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江戸城無血開城、会見の場

田町駅から浜松町方面へ第一京浜国道を歩いていくとほどなく、ある記念碑を目にすることはよく知っていた。ただ、田町駅のコンコース、三田方面へ下るエスカレータの前にこのような看板があることは知らなかった。
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知らなかったというのは嘘かもしれない。看板があることは知っていたが、気にとめず、何が書かれているのかをしっかり読まなかったというのが事実である。最近、立ち止まってよくみると、江戸城無血開城の会見場はすぐ近く、記念碑があるということが知らされている。こちらがその記念碑である。ビルの傍らにあるおんで、すぐわかるはずである。
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このことも周りを見る(いい意味できょろきょろする最近の自分)目がでてきて気付いたことかもしれない。
さて、会見自体であるが、扶養社の新しい歴史教科書・中学の社会の中にその記述がある。

1868(慶応4)年3月14日、江戸高輪にある薩摩藩の屋敷の一室で,幕府陸軍総裁の勝海舟と官軍参謀の西郷隆盛が向かいあってすわっていた。同年1月,鳥羽伏見の戦いが始まり,3月はじめには官軍(新政府軍)は江戸に到着し,この会談の翌日,3月15日には江戸城総攻撃が予定されていた。二人は,総攻撃を中止し,江戸の町を戦火にさらすことなく,官軍を江戸に入れるために話しあっていたのである。
勝は西郷に,官軍が徳川慶喜を助命し,徳川家に対する寛大な処分を行うならば,徳川方は抵抗せず江戸城を明け渡す(江戸城無血開城)と申し入れた。勝の申し入れを聞いた西郷は,しばらくして,「いろいろむつかしい議論もありましょうが,私が一身にかけてお引き受けします」と答えた。これにより,江戸の町が戦場になるおそれはなくなった。

この内容はネットでも読むことができる → こちらから
Gooble Bookではないが、最近の出版社のホームページは本のページ紹介が充実しており、この教科書もかなりの部分がネットで読むことができる。一見の価値はあると思う。教科書だけに、販売数も限られており、いろいろセールスに工夫をしなければいけない時代となっているのかもしれない。または平成14~17年版とあるので、過去の版あのかもしれないが。
新しい歴史教科書・中学の社会
by motokunnk | 2010-07-31 08:17 | 記念碑
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