戦国武将として有名な黒田長政の墓が広尾にある。この写真がその墓である。
では、歴史を紐解いて黒田長政について調べてみる。今回は私の記憶によるものであり、間違いがある場合はご容赦願いたい。長政はご存知、黒田官兵衛の長男である。荒木村重が謀反を起こしたとき、官兵衛はその説得係りとして村重の居城に出向くが、逆に幽閉されてしまう。織田信長は長政を殺すように秀吉に指示する(官兵衛は織田信長の家臣であり、長政は人質として信長家臣の秀吉に預けられていた)。ところが、秀吉の家臣・竹中半兵衛が指示を無視してかくまっていたそうである。そのおかげで晴れて黒田官兵衛が助けられたときに息子との対面ができたといわれる。長政自体もある意味では、数奇な運命をたどった戦国武将であったのかもしれない。信長暗殺後、秀吉の世界になると黒田官兵衛は家督を長政に譲り、黒田家は長政の代となる。一説には黒田官兵衛の力量をよく知っている秀吉の黒田家つぶしを未然に察知した黒田官兵衛の機転という説もある。
そして関が原では、徳川家康につき、武功をあげて大名となった。その墓が広尾の祥雲寺にある。そして渋谷区の区指定史跡となっている。
なぜ渋谷区にあるかは、区のホームページに簡単な説明があるのでそちらを参照してほしい。祥雲寺には他にも有名人の墓がある。それらをおいおい紹介していくことにする。
区指定史跡黒田長政の墓