やっと見つけた十四烈士の碑・代々木公園散策その4

探しあてれば何のことはなかった。代々木公園内の周回道路にご覧のような道標がありその先に大東塾十四烈士の記念碑が建てられていた。記念碑建立までの由来を記述した碑などあり、大きさではないが何故か威圧感を感じる記念碑であった。さて、時は昭和20年8月、何故このような集団自決が起こってしまったのであろうか、その背景についてしらべてみることにした。
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十四烈士が所属している大東塾(だいとうじゅく)とは、1939年(昭和14年)4月3日に影山正治が中心となって結成された右翼団体である。集団自決の中には正治の父、庄平もいた。
ウィキペディアによれば、「大東塾が動くときは昭和維新への決起の時」と言われたほどであり、右翼界・政界への影響力は極めて強かった。現在も活発な活動を行って居り、祭典や集会、講演会などを主催して居る。公安警察・公安調査庁の調査対象であるといわれる。
正治も集団自決には参加していなかったがその後の活動を活発に行い、月刊『不二』を発行。1947年(昭和22年)より毎年宮中勤労奉仕、勅題詠進、新穀献上を行う。伊勢神宮御造営奉賛活動、紀元節復活運動、「自衛隊内神社問題活動」、二重橋事件問責活動、明治維新百年祭運動、明治神宮復興奉賛活動、皇居防衛部隊設置要請活動、8月15日慰霊行事運動、勤皇村建設運動、靖国神社国家護持運動、元号法制化実現活動などを展開した。また前代表・鈴木正男が昭和天皇御製集「昭和天皇のおほみうた―御製に仰ぐご生涯」を刊行している。
その後、1979年(昭和54年)に青梅の大東塾農場内で自決、塾長を継いだ長谷川は病没、2003年(平成115年)には、塾長格の鈴木が同じ農場内で自決している。死というものを神格化している団体なのかもしれない。
大東会館が青山通りから1本入ったところにあるそうである。立派なホームページも用意されており、筋金入りの右翼団体(といっていいかどうか、法人格を取得している団体であるので)といえるかもしれない。
参考としたURI → http://manriki.sanpal.co.jp/shibuya/daitou.html
→ http://yukoku.xii.jp/yukoku/y04/03/index.html 特にこちらのホームページはいろいろ考えさせられることが記述されているのでぜひ見て欲しい。
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代々木公園を散策し、考えさせられる記念碑を見つけてしまった。何故この記念碑が「みどころ」や「園内マップ」に標記されていないのかわかるような気がしたのがこのブログを書くために調査した結論かもしれない。
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by motokunnk | 2010-12-25 17:37 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)
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