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今日が見納めか、亀島橋

私事で恐縮であるが、ある団体の委員を今日で辞することになった。その委員会が本日亀島橋のそばで開催された。ある団体とは資料室系の結構名の通った任意団体である。そこの委員をして早20年近くになってしまった。まあ、今の場所に移ってからは10年近くであるが、今の場所に移ったときは、既に私の会社での業務も資料室関係ではなく、20年の間に資料室に関連した仕事をしていたのは5~6年ではなかったかと思う。
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それがやっとお役御免となったわけで正直ホッとしている気持ちとちょっとさびしい気持ちが入り混じって複雑な心境ではある。この心境については今度まとめてブログで報告しようかと考えている。
さて亀島橋について、以前堀部安兵衛の記念碑の説明をしたが、その記念碑がこの橋のたもとにある。そして赤穂浪士が討ち入りの後、この橋を通って泉岳寺まで行ったとも書いた記憶がある。この橋は元禄時代からある橋のようである。安兵衛の記念碑の対岸には亀島橋の説明板が用意されており、その中にも元禄年間に架橋されたらしいとの記述がある。
その後、震災などにより被害を受け、数年前に現在の橋になったそうである。下を流れるのは亀島川というそうであり、神田川の支流だという。一方川の写真(右写真)の上流にも橋がある。それほど交通量が多いとは思わない道に架けられているこの橋を新亀島橋という。
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こちらは橋のたもとに大震災遭難者慰霊碑、戦災遭難死者慰霊碑が建てられている。大震災とはおそらく関東大震災のことであろう。この付近では火の手から逃れるために多数の人が川に飛び込み水死したと聞く。その慰霊碑ではないかと思う。恥ずかしい話だが、何回もこの道を通っていたが、今日気付いたしだいである。見納めとなると(また呼び出されるかもしれないが)周りの風景が目に入るものなのかもしれない。
by motokunnk | 2011-03-10 19:00 |
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