三田用水という農業用の用水路が江戸時代には存在していたそうである。先日ひょんなことで用水跡を示すプレートを発見したしまった。
目黒駅から程遠くない場所に「日の丸自動車教習所」がある。JR山手線から目黒・恵比寿駅間に線路に面して教習所が立地しているので電車から見た人は多いと思う。その敷地にこの記念碑は建てられている。
また目黒区のホームページには三田用水のことが2頁にわけられて丁寧に説明されている。
その説明には
「江戸の初期、寛文4年(1664年)に、飲料用として玉川上水から分水して、三田上水が造られた。この上水は、白金御殿と呼ばれた松平讃岐守の下屋敷(現在の自然教育園辺り)も使用したといわれる。この三田上水の余水を灌漑用水として農民が利用することが許されたので、付近の農村は大いに潤っていた。」
とある。明治時代にあんると、次第に農業用水の目的から工業用水へと利用目的が変化していったようで、恵比寿ビールで有名な日本麦酒醸造会社もこの用水が工業用水として利用できることが恵比寿の地に工場を立地した条件であったようだ。
今は跡形のない三田用水であるが、歴史を振り返るとこのエリアの発展にはなくてはならない用水であったようである。記念碑には江戸時代の用水路の水路や断面図イラストが描かれている。
三田用水1 →
その1
三田用水2 →
その2