東京駅のちょっと変わった楽しみ方(前編)

ちまたでは、今日の国会の党首討論で野田首相が「16日に解散します」と言って大騒ぎとなっている。これも大きな話だが、本当に解散するのかどうかは16日になってみないとわからない話ではある。自民党が定数削減に応じるかどうかに解散するかどうかがかかっているからである。それはさておき、東京駅丸の内口の復原工事が終了し、東京駅そのものが観光エリアとなって1カ月半が経過した。
今でも日中用事で丸の内に行くと、いかにも東京駅観光で来た人たちの集団を見ることができる。
さてそんな東京駅であるが、ちょっとかわった楽しみ方もあるので紹介したい。それは今日、11月14日に若干関係がある。東京駅で首相が襲撃された事件で思い出すのは原敬元首相の暗殺事件がある。
実はこの他にも首相襲撃事件がある。浜口雄幸元首相がその人であり、襲撃されたのが1930年11月14日! すなわち82年前の今日なのである。オフィスが京橋に移り、帰宅する際は健康のため東京駅経由で帰ることにしているのだが、八重洲口改札からつぐく通路の柱の一つにプレートが埋め込まれている。
そのプレートが浜口雄幸元首相襲撃事件のプレートである。そのプレートの周辺をみると一枚周囲とことなるタイルが貼られており、そのタイルにポイントが埋め込まれている。このポイントが実際に浜口雄幸元首相が襲撃された場所を示しているのだそうだ。
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浜口雄幸元首相という人も知らなかったので調べてみるとこれがりっぱな人物だったようである。
「高知生まれ。大蔵官僚、政党政治家。生家の父は山林官。明治28年(1895)東京帝国大学法科卒業、同年大蔵省入省。40年(1907)専売局長官となる。大正元年(1912)逓信次官、3年(1914)大蔵次官。立憲同志会に参加し、4年(1915)に衆議院議員に初当選し、以後6回当選した。憲政会総務をつとめた後、加藤(高)内閣蔵相、第1次若槻内閣内相、蔵相を歴任。昭和2年(1927)立憲民政党初代総裁。4年(1929)首相となり、金解禁を断行、ロンドン海軍軍縮条約調印を行う。5年(1930)東京駅で狙撃され重傷、翌年死去。」(出典:近代日本人の肖像から)
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ウィキペディアによれば、「その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれ、謹厳実直さも相まって強烈な存在感を示しつつも大衆に親しまれた首相」とあり、狙撃後も自身の容体悪化にもかかわらずに国会答弁を行ったこともあり、狙撃後の翌年に死亡した。「議会で約束したことは国民との約束であり、宰相たるものがそれを裏切れば、国民は誰を信頼すればよいのか。」との名言がある。「男の本懐」という言葉も浜口元首相のことをモデルにして書かれた小説である。どこぞの宰相(と出身母体の政党)に聞かせたい言葉である。
これが浜口雄幸についてである。なかなかの人物であろことがわかり、その死をいたんで国民葬が行われたともいわれている。今の政治家でここまで慕われている人は皆無かなあと思ってしまった。
さて、浜口雄幸狙撃プレートの説明はこのあたりにして、もう一人の宰相である原敬元首相の狙撃現場はどこか探してみると、これが新装なった丸の内南口にある。こちらは改札を出た(改札の外)ところにあり、しいて入場券を購入しなくても見ることができる。こちらもプレートのそばの床にポイントが埋め込まれており、そのポイントが実際に狙撃された場所だそうだ。
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浜口雄幸狙撃の約10年前に狙撃され(といって浜口の時は拳銃であったが、原敬のときは刀で刺された)、ほぼ即死に近い状況であったそうだ。原敬と言って庶民宰相というぐらいしか知識がないのでさきほどの浜口雄幸と同じサイトで調べてみると、
「岩手生まれ。ジャーナリスト、官僚、政党政治家。父は南部藩士。苦学の末、明治9年(1876)司法省法学校に入学。12年(1879)に退学後、郵便報知新聞、大東日報の記者をつとめる。外務省入省を契機に官界へ転進。外務次官などを歴任。30年(1897)9月、官界から引退するが、伊藤博文を中心に結成された立憲政友会に参加。35年(1902)衆議院議員に初当選。以後連続当選8回。政友会の実力者として西園寺公望総裁を補佐し、桂園内閣時代の立役者となる。大正3年(1914)第3代立憲政友会総裁。7年(1918)首相となり、初の本格的政党内閣を結成するが、10年(1921)東京駅で暗殺された。」
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と説明されていた。現職の首相が10年間に2人も狙撃されたという今考えると治安が非常に悪かった時代だったのかもしれない(うらをかえすと、狙撃に値しない人しか首相をしていない)。いずれにしろ、この事件から515事件~226事件へと日本が太平洋戦争へ進んでいく道を走っていってしまうのである。まあこの2人が存命であったとしても大きな流れを遮ることはできなかったかもしれない。
このように一つのプレートをみてもその背後には歴史があり、いろいろなことを考えさせられる出来事が隠されているのである。このプレート紹介を含めて東京駅の紹介サイトにはお薦め観光スポットというページが用意されている。
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それによれば東京駅の石碑、開業時のホームの支柱、ゼロキロポスト、駅長室が紹介されている。これら以外も含めて別の機会に紹介しようと考えている。
参考URL → 東京インフォ
この中に観光スポットというページがあり、そこに原元首相、浜口元首相のおおよその狙撃位置が掲載されている。
参考URL → 東京駅の歴史
10月一杯で展示は終わってしまったが、丸の内から京葉線へ向かう地下通路に展示されていた東京駅の歴史パネルを見ることができる
参考URL → 近代日本人の肖像
国会図書館のDBである。ブログ中の写真、紹介文もここから転載した。このサイトには近代日本の形成に影響のあった、政治家、官僚、軍人、実業家、学者、芸術家等約350名の肖像写真が紹介されている。歴史を紐解くうえでたいへん便利なサイトである。
参考URL → 原敬事典
原敬のすべてがわかるサイトである。個人で運営しているようであるが、いろいろな分野もありたいへんなことだと思う。
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by motokunnk | 2012-11-14 18:53 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)
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