散歩を楽しく/常磐松の碑について

総選挙、知事選挙も終わりちまたにまたいつもの生活が戻ってきたような感覚である。以前から気になっていたのだが、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の道路を挟んだ反対に一つの石碑が建てられている。
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その石碑の脇には渋谷区教育委員会が設置した案内板が建てられている。その案内板によると今日のブログのテーマである「常磐松」がこの地にあったことを記している。残念なことに先の第二次大戦の空襲で焼失してしまったそうであるが、もし焼失を免れたいたら樹齢400年以上になる松が存在していることになる。このエリアのランドマークとして有名になったいたのではないかと思われるので残念なこと、戦争の悲惨さは人間だけでなく自然も破壊してしまうということを実感した。
この松がなぜ常磐の松と言われるかについては諸説があるそうだ。一説には、源義朝の側室で牛若丸の母である常磐御前が植えたと伝えられている。この説が常磐松という地名にもなったといわれている。説明板によれば、世田谷城主吉良頼康の妾、常盤のことであるともいわれている。こちらの場合は樹齢400年と言われる松の年齢ともおおよそ一致するのでこちらの説が正しいのかもしれない。
この吉良頼康の妾、常盤についてはいろいろと地元では有名人のようで数々の逸話が残っている。これはまたの機会にでも紹介しようかと思う。
話はずれてしまうが、もともとこの地区は常磐松町といわれていた。それが昭和39年に実施された町名変更で東何丁目というようになったわけである。常磐松という名はわずかに小学校に残っているが、相変わらず、地元の町会にはその名称が残っている。
その名称の常磐松がこの常磐の松からの命名であることは間違いないのでそういう意味からは、由緒ある松である。すぐ隣には常陸宮殿下が住む常磐松御所があるが、その御所も名称も常磐松となっている。また今の天皇陛下もこの地に住まわれており、皇太子もこの地で生活した記憶がある。古い話であるが、我が家の隣にも皇太子と同世代の子どもがいて、高貴な顔付(だったかは忘れたが、その両親がそう言っていた)のためか誘拐(そのころ吉展ちゃん誘拐殺人事件が世の中を震撼させていたので)されることを心配したいたことが思い出される。
またまた話がずれてしまったが、常磐の松とはいろいろな人にとって、数々の思い出がつまっている松(常磐松という名称のほうが正しいのかもしれないが)と言える。
説明板には次のように書かれている。
「もとこのあたりにあった皇室の御料乳牛場の構内に常磐松と呼ばれた樹齢約四百年、枝ぶりのみごとな松がありました。その松は源義朝の妾、常盤が植えたという伝説があり、また一説には世田谷城主吉良頼康の妾、常盤のことであるといいますが、はっきりしたことはわかりません。
この近くにはかつて渋谷城があり、渋谷一族の金王丸は義朝、頼康の二代に仕えた臣ですから、常盤御前が植えたという伝説が生まれたのでしょう。
この碑は御料地になる以前に、その土地が島津家の持地だったこともあり、そのときに島津藩士によってたてられました。当時常盤松の代価壱千両といわれたほどの名木でこのあたりの地名であった常盤松町の起源となりました。」
なお常盤と常磐についてであるが、そもそもは常盤という漢字が利用されていたそうだが、皿は割れるので縁起が悪いという理由で町名は石の文字のほうを利用したそうである。
参考URL → 常磐松町
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by motokunnk | 2012-12-20 19:07 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)
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