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長崎原爆の日と「ナガサキの郵便配達」について

今年も長崎原爆の日がやってきた。長崎市の平和公園の式典では、2011年と並び過去最多となる44カ国の代表が参列し、原爆投下時刻の午前11時2分、全員で黙とうをささげたとのニュースが流れていた。
田上市長は平和宣言で核兵器の非人道性を強調、4月にジュネーブであった核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会で、政府が核兵器の不使用を求める共同声明に署名しなかったことを挙げ、「世界の期待を裏切り、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を示した。被爆国の原点に反する」と厳しく指摘したそうである。
さて毎年、この日をむかえるにあたり1冊の本を思い出す。それは『ナガサキの郵便配達』である。つい最近ネットでなにげなくキーワードを入れていると、この本についての記事が見つかった。それは原爆文学研究会が発行している機関誌「原爆文学研究」の2004年第3号に掲載されている。タイトルは「ピーター・タウンゼント作・間庭恭人訳『ナガサキの郵便配達』を読む  ―重ね合わされた二つの声― 」である。
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PDF形式でよむことができるので早速ダウンロードして読むことにした。執筆者の田崎弘章という人は私と同年代の人物であることが類推できた。それは、ピーター・タウンゼントといってロックグループのフーのメンバーを思い出すと書かれていることからである。話が横道にそれたのでちょっと原爆文学研究会についても調べてみると、発足の辞で
「戦後半世紀、「原爆」という「わたしたちの体験」はさまざまな形で問題化されてきましたが、いわゆる記憶の風化の問題、語り部の語り口の問題、世界的規模の核兵器削減・廃絶に関わる問題、あるいは戦争と平和論の問題など、今日なお模索すべき課題は多くあるようです。 本会では、これを「文学」、あるいは「文学的」な問題として再考していきたいと考えています。
 思えば戦後五十年、「原爆文学研究」と銘打った雑誌は刊行されていないようです。これはどういうことなのか。文学というジャンルは、情感を盛り込むことに適した表現形式として当事者たちの有効な「記録」媒体として用いられてきましたが、同時にまた、文学はクリエイティヴな言語運用の表現形式でもあります。後者の意味において、原爆「文学」は、きわめて今日的な光景の創造の場といっていいでしょう。換言すれば文学の場における「原爆」の光景は、不断の現在の産物といっていいかもしれません。
 これらのことを、ゆるやかに意識しつつ、幅広い視野のもとに、お互いの問題意識を交換し、自由に忌憚なく対話する場として、原爆文学研究会を発足いたします。」
とあり、活動もしっかりしている団体のようである。世の中には知らないが地道な活動をしている会があるものである。
さて記事に戻ることにする。記事では長崎に原爆を投下したB29の機長チャールズ・スウィーニーが死んだことから書き出されて、彼の著書についての批評が述べられている。 広島に原爆を投下したB29が「エノラゲイ」、長崎が「ボックスカー」、この両機にスウィーニーは乗っていたのだそうだ。まさに原爆投下の当事者だったわけであり、著書で原爆投下を正当なものと理由づけていることがうなづける。
そしてピータータウンゼントの小説についてはいずれの当事者でもない英国人の目から見て客観的に記載されていることが評価を得ているのではないかと言っている。またあるシーンも市民目線から被害の大きさを表現したり、B29機内からの歓声を書いたりと一場面複数の視点での描写を冷静にしている。評価はわかれるがこれぐらい書かないとダメそうであると結論づけている。
数頁の投稿記事なので簡単に読むことができるので、読んでみてはいかがだろうか。作者も書いていたが、明日から私は夏季休暇にはいるのでまた「ナガサキの郵便配達」を視点をよく考えながら読むことにしよう。
参考URL → 長崎原爆の日:「被爆国としての原点に」 68回目の夏
参考URL → 原爆文学研究会
参考URL → ピーター・タウンゼント作・間庭恭人訳『ナガサキの郵便配達』を読む
by motokunnk | 2013-08-09 19:13 | 日記
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