カテゴリ:Racing Car( 14 )

モータースポーツジャパン2012へ行ってきました

先週末、昨年に引き続いてお台場で開催されているモータースポーツジャパン2012に行ってきた。今年は今までと違って、りんかい線の東京テレポート駅から会場へと向った。
今まではゆりかもめで行っていたが、やはり渋谷からだとりんかい線のほうが圧倒的に短時間で目的地まで到達できる。もっとりんかい線を利用しなくてはと思ったわけである。
さて今年は見たいマシンが決まっていたので、またそのマシンがどこに展示されているのかをあらかじめホームページからチェックしておいたので、迷わずお目当てに行き着くことができると思っていた。
ただ会場につくと、お目当てのマシンは見つかったのだが、それ以外にも目を引くマシンが多数展示されていた。私のお目当てのマシンはスーパーアグリの2007年モデルSA07とトヨタTS070であったのだが、まずスーパーアグリのF1マシンの隣にトヨタ7が展示されていた。
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両車の間には30年の年月があるが、ともに時代を感じさせない綺麗な状態を保っているのには感服した。この他にもC会場といわれる場所にはラリーカーが数多く展示されていた。WRCとなって一時期大活躍したスバルインプレッサや、今大活躍中のシトローエンなどが目についた。
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さてもう1台のお目当てであるトヨタTS030ハイブリッドはトヨタのブースに展示されていた。隣にルマンで活躍したスポーツカーが展示されており、ちょうどはさまれるような状態であった。カラーリングも富士で走ったそのままであり、実車が展示されているようであったが、本当にそうかはよくわからなかった。
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今年来てみて驚いたのは、小さな子どもを連れた家族連れの多かったことである。また、各メーカーとも往年のマシンをバックに家族写真を撮るサービスをしていた。これだと家族全員で記念のマシンの前で「パチリ」と撮ってもらえるのでいいサービスなのかもしれない。
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そして1台のラリーカーに目が留まった。インプレッサのラリーカーである。多分、全日本ラリー選手権でトップにたっている藤田/足立ペアのラリーカーではないかと思い、近づくとマシンの上に藤田範彦/足立さやかのプレートがかけられていた。
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足立さやかさんは、スバル提供のBSで放送された番組で知ったのだが、理学療法士の資格を持つ現役の療法士である。八事日赤で働いているそうで、私も3年前にリハビリで理学療法士さんにたいへん世話になったので親しみがわいた記憶が残っている。その彼女がコドライバーを勤めるマシンを見ることができ、また別の意味で感動してしまった。
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その他にも。MotoGPマシンや、スーパーGTマシンなどたくさんのマシンが展示されデモ走行も行っているようであった。有意義な一日であった。

モータースポーツジャパン → ホームページ
Youtube → 理学療法士足立さやかさんのモータースポーツとはラリー!
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by motokunnk | 2012-10-22 20:35 | Racing Car | Trackback | Comments(0)

シャープとトヨタ

シャープとトヨタといえば、日本を代表するリーディングカンパニーである。もしくはあったというほうが現状では正しいのかもしれない。
今朝、通勤電車の中吊り広告には「シャープ」の文字が躍っていた。「シャープは大丈夫なのか」、「シャープ非常事態」といずれも一時は飛ぶ鳥をおとす勢いであったシャープについての特集が週刊誌で組まれていたものである。
さて、ネットでみるとシャープは何故このような事態に陥ってしまったのかを冷静に分析している記事があった。「シャープ危機の真因は“製品力”の凋落にあり?」というダイヤモンドオンラインの記事が的を得ていると私は思う。確かにシャープに同情すべき事象が重なってしまったことはあるかもしれないが、他の家電メーカーに比較して主力製品である液晶テレビの落ち込みは急激であった。
ここにはライバルの商品企画に屈してしまったのが敗因であると記事は指摘しているし、私もそのように思う。携帯事業しかりであり、どうも急成長してしまったが故に商品企画をないがしろにしてしまった(もしくは力を入れられなかった)ツケが一気にきてしまったのかもしれない。このまま凋落してしまうことはないと思うが心配である。
シャープ→
シャープは大丈夫なのか
シャープ非常事態 切迫する資金繰りと金融支援の行方
シャープ危機の真因は“製品力”の凋落にあり?

一方のトヨタであるが、こちらはモータースポーツの世界での朗報である。WEC世界耐久選手権第4戦でトヨタが見事に表彰台を確保したというニュースである。前戦のルマンでは惜しくもリタイアに終わってしまったが、ルマンより短い6時間耐久レースであったのが幸いしたのか、今回はメカニカルトラブルも発生せずに、ライバルのアウディに続く2位を獲得した。
レースリポートを読むと一時はトップを快走したそうである。アウディ2車の間に入っての2位は評価できるし、今後の活躍にも期待できる。10月に開催される富士6時間耐久レースが待ち遠しい!
トヨタ→
WEC第4戦:#1アウディ連勝。トヨタが2位に
2012 FIA 世界耐久選手権

分野は全く違うが両極端のニュースが目に入った一日であった。
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by motokunnk | 2012-08-27 19:37 | Racing Car | Trackback | Comments(0)

散歩を楽しく/自動車ショウがヒカリエで開催中

昨日から夏季休暇のはじまりである。まあその前の土日から休みは続いているのであるが。ただ、奇妙なことに13日と17日はいつもは特別休暇扱いであるが、今年は年休扱いとなってしまった。なんでも社員の年休取得率が極端に低いとか、年休は万一のためのものであるのでそんな年休を勝手に処理して欲しくはないがこれも時代の流れなのかもしれない。
さて、昨日はヒカリエに行ってきた。といっていつも通勤で連絡橋は利用しているのであるが、オープンして初めてヒカリエ本体に入ってしまった。目的は9階のヒカリエホールで開催されている「全日本自動車ショウ2012」見学である。所ジョージがBS放送で「世田谷ベース」という番組をしていることは知っていた、そして車マニアであることも知っていたが、このようなショウを開催しているとは知らなかった。
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どんなショウなのか興味もあり、覘いてみることにした。エレベータで9階まで上がると、目の前に行列ができているではないか。けっこう入場までに時間がかかりそうな列の長さである。こんなに人気があるショウなのかと感心してしまった。夏休みということもあり、家族連れの方も数多く列に並んでいた。そして列が進み9階から渋谷方面を見渡せるエリアまで進むといつも見慣れていた景色が20m近く上から見るとこのように見えるのかを思わず写真を撮ってしまった。
さて入場料を払いホール内に入場すると、それほど満員というわけではなくゆっくりと展示してある車両を眺めることができた。まず目に入ったのは、ターンテーブル上に展示されている銀色のスパイダーマシンである。どうみてもベンツ196のようであるが、エンブレムをみると例のスリーポンテッドスターはついていないでみたここともないエンブレムがついていた。また車両の解説には「SNAKE MOTORS 196S」と書かれている。どうもベンツ196Sをイメージしたレプリカマシンのようである。
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まあ、レプリカであっても精巧に製作されており、見る者の目をひきつけてくれる。ベンツ196Sであればもっとよかったことには間違いなかったがそのエキスをすえたばけでも価値はあった。
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さて次に目についたのはポルシェ959である。こちらも最強のグループBマシンとして有名であるが、説明をみると979となており、ディテールはオリジナルとは異なっている。これも959をイメージしたワンオフモデルとか、ちょっと拍子抜けしてしまたことは事実である。さてあたりを見回すと少年時代に心ときめかしたマシンがあった。
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それは「コルベット・スティングレィ」である。1960年代に発表されたこの車は何故か思いいれがある。ドラマ名は忘れてしまったが、主人公が乗り回していたのがこのマシン、かっこいいなあとの記憶が残っている。今見てもかっこいいことには間違いない。
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そしてその隣には「シェルビー・コブラ」が展示されている。こちらもキャロル・シェルビーがフェラーリに対抗して製作したもので、アメリカ西海岸で1960年代中盤に大暴れしたマシンである。これも説明を読むとレプリカだそうである。ちょっと残念な気がしたが、いまどき日本に本物があるということ、そして本物にナンバーがついていることなどは奇跡に近いことであろう(排気ガス規制をクリアできない!)。
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ホットロッドも展示されていた。説明を読むと「FORD F-1 HOT ROD」とあり、1940年代に製作されたピックアップを昨年購入して、日本に持ち帰り、エンジンや内装などを世田谷ベースでチューンアップしてそうで、初のお披露目だそうだ。
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会場には子供向けにマリオカートのサーキットがオープンしておりタイムトライアルが行われていたようである。そしてバイクも展示されていたが、帰宅して調べたところ何とバイクは販売されていたということがわかった。
そしてベンツのレプリカで紹介した「SNAKE MOTORS」とは実在しており、あの北野武が会長を務めていることがわかった。これならもっとバイクも見ておくべきであったとちょっと後悔した見学であった。

自動車ショウ2012 → ホームページ
Snake Motors → ホームページ
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by motokunnk | 2012-08-14 09:14 | Racing Car | Trackback | Comments(0)

ニッサンR380-Ⅱのデビュー戦は1967年の、、、

先月末のノスタルジックカーショーでこれまた久しぶりにニッサンR380-Ⅱを見ることができた。カラーリングは赤と白のツートンカラーで1967年秋に矢田部サーキット(バンクのついた円形のサーキットで主として耐久テスト等が行われていた)でレーシングカーとしてのスピードレコード樹立のときのものである。
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それを遡ること約半年、5月に行われた第4回日本GPで必勝を約束されて昨年のR380とは全く新しいコンセプトで開発されたとのが真の目的であったのであろう。実際に4台のR380-Ⅱがエントリーされ(ドライバーは旧プリンス系が砂子と大石、旧ニッサン系が高橋と北野と仲良く2名ずつ)、同じく3台エントリーされたポルシェ906との決戦に備えていた。
結果はご存知のように昨年までプリンスのワークスドライバーであった生沢徹が見事に優勝し、R380ーⅡは2位に甘んじてしまった。ただ、レース開始直後から生沢と高橋国光のR380-Ⅱはテール・トゥ・ノーズの接戦を繰り広げ、18周目のS字で生沢がスピン、直後についてい高橋もその巻き添えを食ってしまい、生沢はすぐにレース復帰したが、高橋は大きくエスケープゾーンはずれまで回避してエンジンストール、再始動に手間取ってしまい優勝は去っていってしまったのが実際のところである。
このレースはTVで見ていたが、まさに手に汗握る戦いであったと記憶している。またこの後、生沢は同じポルシェの酒井正と後半40周過ぎからデットヒートを繰り広げるのであるが、こちらは酒井のポルシェが30度バンクでスピンしてリタイア(車は大破したしまったが、怪我はたいしたことはなかった)し、その後は燃費を考慮して若干ペースを落としてチェッカーを受けた。
これが第4回日本GPであるが、TVやその後の雑誌で見たR380-Ⅱはポルシェ906ライクなイメージがして美しかった。この頃は速いレーシングマシンは全て美しかったと記憶している(フェラーリしかり、ロータスしかり)。そしてミッドシップに搭載された直列6気筒エンジン改良型があのスカイラインGT-R(通称はこスカ)に搭載されるのである。

ウィキペディアより → ニッサンR380
ウィキペディアより → 第4回日本GP
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by motokunnk | 2011-06-09 19:05 | Racing Car | Trackback | Comments(2)

日の目を見なかったニッサンR383

先日のノスタルジックカーショーで見たかったマシンのひとつにニッサンR383がある。このマシンは1970年の日本GP及びCAN-AMシリーズ用に日産自動車が開発していたものである。
しかし、その前年に起こったオイルショックの余波で1970年の日本GPは中止、同時に開発されていたライバルトヨタのトヨタ7は看板ドライバーであった川合稔がテスト中の事故で死亡してしまったため、CAN-AMシリーズ参戦を中止し、マシンの開発もストップ、ワークスとしてのレース活動も休止となってしまった。
そんな中、R383も日の目を見ることなく、ひっそりを開発が終了してしまった。その存在は噂はされていたが、、、
そして日産からR383の存在が発表されたのは1976年、そして実際にサーキットを走ったのは2006年であった。このように数奇な運命をたどったR383であるが、実際に目の前で見ると結構見事なシルエットである。1970年のレーシングカーの時流に沿ってクサビ型のボディラインをとっており、今見ても美しい。
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2006年当時のプレスリリースにR383の説明が詳しく紹介されている。そして先日のショーがyoutubeにアップされていたのには驚いた! プレスリリースには当日の写真もアップされているので、そちらも見て欲しい。私の写真より綺麗である。

プレスリリース → 「ニッサンR383」が36年の歳月を経て初走行
ノスタルジックカーショー → Tokyo Nostalgic Car Show 2011
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by motokunnk | 2011-06-01 19:53 | Racing Car | Trackback | Comments(0)

雨のビッグサイトにノスタルジックカーショーを見に

今日からビッグサイトでノスタルジックカーショーが開催されている。今回の目玉は故桜井真一郎の記念展ということで歴代のR380シリーズが展示されるということである。
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ゆりかもめを降りると普段のショーとは違い、ほとんど私一人がビッグサイトに向っているではないか、ただし、実際のショー会場では満員とはいわないが、そこそこのマニアがきていたことを報告しておく。
さてお目当てのニッサンR380シリーズは各地のフェアでその姿は見ているが、一堂に会した姿は見たことがないので是非見学しようと考えていた。朝から雨模様、日曜日は土砂降りになるかもしれないという予報もあり、午前中にビッグサイトに出かけてきた。
桜井真一郎といえばスカイラインの生みの親として有名であり、会場には50~60代のレースでのスカイラインが強かった世代の人がカメラ片手にマシンを撮る姿があちこちで見受けられた。かくいう私もその中の一人ではあるが。
さて、桜井真一郎は旧プリンスでスカイラインを開発したそうで、1964年の第2回日本GPでポルシェ904に敗退したのをきっかけにプリンスR380を開発したそうである。そしてそのR380が宿敵でもあったポルシェを破るわけであるが、そのやり方が巧妙であった。
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1966年の日本GPには滝進太郎のポルシェ906がエントリしており、プリンス(既にニッサンに吸収合併されていた)はR380を4台エントリしていた。このR380は904をモデルに製作されており、その能力では到底906には太刀打ちできないシロモノであった。そしてとった作戦はスタートで頭をとり、ポルシェの前でブロックするという作戦(少なくともTV観戦していた私にはそう見えた)をとったようであった。
そしてその作戦は見事に実り、11号車が優勝したわけである。写真の車がそのようだが、私にはブロックした黄色の8号車の印象が強く残っている(その8号車のドライバーが翌年ポルシェ906で優勝する生沢徹であった)。
雨の中レーシングマシンを見て、昔を思い出してしまうと、私も歳をとったのだなあと実感してしまった午前中であった。他のマシンも写真におさめてきたのでそれらはその思い出とともに別の機会に語ることにする。

ノスタルジックカーショーの公式ホームページ → http://www.nostalgic.co.jp/index.html
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by motokunnk | 2011-05-28 18:47 | Racing Car | Trackback | Comments(2)

記憶に残るレーシングカー・その8

何ヶ月ぶりかでF1マシンについて書くことにする。今回も昔撮影した写真の中から選んだ1台のマシンについてである。そのマシンとはウィリアムズFW11Bである。
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1987年、鈴鹿サーキットにF1が帰ってきた年にF1界を席巻したウィリアムズ+ホンダのマシン、そしてドライバーはネルソン・ピケが3回目のワールドチャンピオンとなったマシンである。
ピケとは同世代なので思い入れは多々ある。この年のピケはサンマリノGPで大クラッシュ事故を起こしてしまうが、奇跡的に無傷であった。欠場は1戦のみであったが、後日談によれば数レースは耳鳴りなどが激しくレースをできる状態ではなかったそうである。そのわりには4戦連続して2位入賞するなど、マシンに助けられたとはいえ抜群の成績を残してチャンピオン街道をまっしぐら、この年の初優勝はドイツGP、その後3勝をあげ、鈴鹿開催の日本GP予選でマンセルがクラッシュした関係でチャンピオンを確定した。
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ピケといえば、ブラバム時代の速さが記憶にある。しかし1987年、すでにベテランの域に達した年齢のピケが魅せたレース運びのうまさは印象に残っている。
その後は以前に比べるとパッとした活躍はできなかったが、私にはピケとこのFW11Bが記憶に残っている。
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by motokunnk | 2011-04-21 19:42 | Racing Car | Trackback | Comments(0)

記憶に残るレーシングカー・その7

今回は、ニッサン2000GTRを紹介する。現在のスーパーGTクラスで走っているニッサンGTRの祖先にあたる車である。
このマシンのデビューは記憶によれば1969年5月のJAF_GPの前座のツーリングカーレースだったと思う。レースは、トヨタ1600GT(デビュー数年が経過していたが、操縦性、信頼性は高くまたドライバーも能力が高かった)とデッドヒートを繰り広げて、優勝している。ただし、1位でゴールしたトヨタ1600GTに違反があり3位降格となっての後味の悪いデビュー戦勝利だったと思う。
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その後、2000GTRは連勝を開始し、日本のツーリングカーレースでは負けなしの状況となる。ライバルの出現は1972年まで待つこととなる。この年にマツダはロータリーエンジン搭載のカペラのツーリングカーをデビューさせ、2000GTRに勝負をいどんだ。車重が重いなどの影響か、GTRに勝つまでにはいかなかったが、貴重なノウハウは得ることができたようだ。そしてサバンナのツーリングカー仕様となるRX3がデビューしGTRと死闘を繰り広げることとなる。
1973年の富士GCシリーズの死闘は古いレースファンの間では語り草となっている。GTRも50勝はとげたが、年式の古さには勝つことができず、またメーカーの公害対策に本腰をいれるという方針もあり、GTRがサーキットに復活するのは1990年代となってからではなかったかと思う。
判官びいきというか、デビューしたころのGTRはそれほど好きではなかったが、RX3との死闘を繰り広げているうちに好きになってしまったというのが今思う当時の心境だったような気がする。いまから40年前の古きよき時代の出来事であった。
写真は数年前のお台場で撮影したもの、R381,R382と並んで展示されていたような気がした。
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by motokunnk | 2010-12-30 09:50 | Racing Car | Trackback | Comments(2)

記憶に残るレーシングカー・その6

今回は、ちょっとマイナーなレーシングカーを紹介する。のっけから話が横道にそれてしまうがJAFのホームページには過去のモータースポーツを検索することができるページがある。それがこちらである。いろいろ検索してみて、1969年の日本グランプリのページをみていると、懐かしいネーミングのマシンを見つけた。それが今回紹介するカーマン・アパッチである。
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ちょっと詳しい人であれば、このマシンは日本グランプリでデビューしたがリタイアに終わり、その後各地のレースで活躍したということはご存知のことと思う。
当時ブームというか、私にとっては憧れに近かったCan-Amマシンを彷彿させるマシンデザインに魅かれた記憶が残っている。この写真も数年前にお台場で20年ぶりぐらいに再会したときの写真である。シャーシーはハヤシオリジナルで当時はホンダの1300ccのエンジンを積んだワンオフのマシンが結構制作され、富士や鈴鹿のサーキットで走っていたように思う。マクランサがその代表であったと記憶する。その中でカーマン・アパッチはデザインが洗練されていたこと、マシンのポテンシャルも高かったように思うことで私の記憶に残っている。
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by motokunnk | 2010-12-15 21:22 | Racing Car | Trackback | Comments(2)

記憶に残るレーシングカー・その5

5回目となった今回は、ホンダRA272についてである。ご存知のようにこのマシンは1965年メキシコGPにてホンダに記念すべきF1初勝利をもたらしたマシンである。この1965年は翌年からF1の規則が変更(当時は約5年毎にF1の車両規則が変更となっていた。主な変更点はエンジン排気量であったが)となるため、各メーカー(といって、当時はロータスやフェラーリといった自動車メーカー以外にBRM、クーパーといった専業のシャーシーのみ製作しているメーカーやそのシャーシーを購入して参加しているプライベートチームが多かった)は新たに新型のマシンは開発せずに1964年型の改良型でシーズンを戦っていた。
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ホンダもニューマシンの開発はせずにその前年にデビューしたRA271を改良し、RA272という新しいマシンでシーズンを戦うことにしていた。ホンダのRA271、RA272に共通する特徴はV12エンジンを横置きにしてマシンに搭載していること、リアサスペンションがインボードタイプ(RA272は他のF1マシンと同じようにアウトボード)であったことなどである。このため、各サーキットを転戦するF1ではサーキット毎にセッティング変更に時間がかかり、予選のみでは対応できないことが多かったように思えた。そして車両重量も500kgを超え、ロータスと比べると100kg以上も重たいマシンとなっていた。100kg違うということは操縦性やその他に大きな影響を与える大きなデメリットでもあった。
そこで、8月のドイツGPを欠場して9月のイタリアGPからはエンジンマウントを10cm下げ低重心を実現した「RA272改」をデビューさせた(このときにリアサスのアウトボード化も実施との説もあり。確かに写真のマシンのリアサスペンションはアウトボードだが)。この「RA272改」が写真のマシンである。重心をさげ同時に軽量化(といっても微々たるものであるが)の効果によりハンドリングが格段に改善されたといわれる。そして1965年の最終戦メキシコGPでR.ギンサーのRA272改はD.ガーニーのブラバムを抑えて見事にホンダにF1初優勝をもたらすのである。
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ホンダのホームページにはF1についてのページが用意されており、このRA272についても説明が詳細にされている。ただ、昨日とりあげたRA301については残念ながらないようである。蛇足ではあるが、1964年にホンダがF1デビューした際のドライバーはブックナムで当時はヨーロッパでは無名であった。この頃のF1はヨーロッパ主体でアジアの田舎からアメリカ人ドライバーを乗せたF1が来たとはけしからんとの声もあがったようである。翌年はR.ギンサー(彼もアメリカ人ではあるがヨーロッパの特にF1で実績を残している)をエースとしてむかえ、新たな戦いと開始したというわけである。ホンダがまだ自動車を製作して間もない頃、壮大な夢の実現であったのかもしれない。
写真はこれもお台場で撮ったものである。先のRA301の写真を撮った翌年撮影したものだと記憶している。この年は確かRA301も絨毯が敷かれたテント小屋でRA272と並んで展示されていたように記憶しているが間違っていたらごめんなさい。

ホンダコレクションホールの説明は → 1965年RA272のページ
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by motokunnk | 2010-12-04 08:36 | Racing Car | Trackback | Comments(0)