カテゴリ:橋( 19 )

庚申塔あれこれ

明治通りを渋谷から恵比寿方面に歩いていくと、渋谷川に架かる数々の橋を見ることができる。以前このブログで紹介したことがある。その橋の中に「庚申橋」という名前の橋がある。その橋の袂にはご覧の庚申塔が祠にはいって祀られている。
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横には渋谷区教育委員会の説明板が掲示されており、それによるとこの庚申塔に記載されている個人名は多数の地域からなっており(名前が記載されているものもあるがこのように多数あるのは珍しいらしい)その地名も赤坂、芝、池袋、目黒、世田谷、荻窪と多岐にわたっておりこの地が重要な交通路であったことが伺える。
代官山交差点付近にもこちらは地蔵ではあるが同種のものが建てられており、江戸時代からこのエリアが交通の要所であったことが伺える。
話が毎度のことであるが横道にそれてしまった。今回調べたかったことについて書いていくことにする。それはタイトルにもある「庚申塔」についてである。
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庚申塔については、広尾にある「広尾の庚申塔」脇の港区教育委員会説明板が詳しいのでそちらから引用すると
「庚申信仰は、庚申の夜に人の体内に住む三尸虫が、眠っている間に体内を抜け出して、天帝にその人の罪科を報告して生命を縮めるといわれているため、眠らずに一夜を明かすもので、講の形をとって地域住民の交際の場となっていました。庚申塔は庚申信仰を具象的に表現する塔で、室町時代後期以降盛んに各地に建てられました。」
とある。これによると中世の地域住民の井戸端会議の場所であったことがうかがえる。それで各地に庚申塔が残されているようだ。また別のサイトの説明によると
「明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めた。さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。」
とある。それでこのような供養塔が神社にまとめて祀られている光景を見かけることも納得である。豊栄稲荷神社の庚申塔もこのような理由によりまとめられたようである。

庚申塔その1 → いつものウィキペディア
庚申塔その2 → 庚申塔というページ
庚申塔その3 → 庚申塔物語(章になっており解りやすい)
広尾の庚申塔 → 広尾の庚申塔(港区のページから)
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by motokunnk | 2012-01-15 09:11 | | Trackback | Comments(0)

散歩を楽しく/久安橋という名の橋について

八重洲通りを歩いていると、首都高速と交差する地点に「久安橋」という名の橋が架かっている。このあたりの首都高速は1964年に東京で開催されたオリンピックに間に合わせるために江戸城の堀を埋めて建設されたものが多い。従ってこの橋もそもそもは江戸城の堀に架かっていたと思われる。
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親切なことに橋に併設して久安橋公園が作られて、昼間のサラリーマン、OLの憩いの場として活用されているようである。またりっぱな石のプレートには久安橋の由来が書かれている。
それによると、「江戸時代に松平越中守の屋敷前に架けられ『越中橋』と呼ばれていたが、明治維新で江戸幕府の名残りである『』越中』の名が取られ『久安橋』と改称された。『久安』の名は、昔この付近に御坊主久安の拝領地があったことに因んで付けられたとされている。
現在の橋は、関東大震災の復興事業により、八重洲通りの造成と共に、この位置に架け替えられたもので、設計にあたり皇居に近く東京駅を正面に臨む場所柄を考慮して、石を多く使用し重みの感じられる『アーチ橋』にしたものと思われる。」都内にはいろいろないわれのある橋が多数あることを実感した。またそばの町内会のお知らせ看板には今日、明日と浜町公園で「大江戸まつり盆おどり大会」が開催されるようである。
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たまたま用事で都心に出かけたが、現在は雷まじりの雨が降り出している。盆おどり大会は中止となってしまうかもしれない。折角の夏休み最後の週末、天気がよいことを期待したのであるがこればかりは逆らうことはできないようである。
明日は、原宿表参道でよさこい祭りが開催されるが、果たしてパレードは実施されるのであろうか、ちょっと心配ではある。心配といえば今晩前夜祭があるが雨天中止と書かれていたようであるのでこちらも心配といえば心配である。
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by motokunnk | 2011-08-26 15:40 | | Trackback | Comments(0)

中央大橋とメッセンジャーとスカイツリー

今日は仕事で新川付近まで出かけてきた。以前バスに乗っていたときに何気なく車窓からの風景を眺めていたら、新川付近の橋を通過した際に東京スカイツリーが綺麗に見えたので、仕事が終了したのをいいことにその場所を確かめることにした。
橋の名前は中央大橋といい、墨田川にかかる橋では一番新しい橋(現在は千住潮入大橋が一番新しいそうである)のようである。そのせいかたいへんモダンなつくりとなっており、橋というよりは何かの彫刻をみているような気がする。
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橋の袂には水上バスの停車場があり、隅田川を走る水上バスの起点となっているようである。
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そして橋の上からはスカイツリーが綺麗に見える。
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東京スカイツリーも634mの高さまで立ち上り、後は仕上げ工事をしているところらしい。何でも京成線では業平橋という名称を東京スカイツリー駅という名称に変更するというらしい。またひとつ下町の地名として親しみのある業平橋が消えてしまうのかと思うと残念である。と思うのは自分が歳をとったせいかもしれない。
スカイツリーは近くでみるのもいいがこのように離れてみるとその全容がわかりバランスよく建てられていることなど美しさが際立つような気がする。さて橋の話題に戻るが、橋の中央には「メッセンジャー」と題された彫刻が飾られている。
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水上バスから眺めた方がよいのかもしれないが、この「メッセンジャー」という彫刻はパリの万博に展示されていたものだそうで彫刻家オシップ・ザッキンの作品とのことである。セーヌ川と墨田川は友好河川を提携(こんな提携もあることを初めて知った)しているそうでこの橋が完成した1997年にシラクパリ市長から寄贈されたと説明プレートに書かれていた。
ちょうど写真を撮っているとさきほど停車場に止まっていた水上バスが墨田川を北上していく姿を目撃! 今度は暇を見つけて水上バスから「メッセンジャー」やスカイツリーを見てみたいと思う。
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全国には中央大橋がたくさんあるようだ → 中央大橋(いつものようにウィキペディアから)
オシップ・ザッキン → オシップ・ザッキン(こちらも出典はウィキペディア)
ザッキンの作品は庭園美術館にも飾られている! 「住まい」と題された彫刻である。確かに台座のプレートには東京とパリの友好都市協定を結んだ際にシラクから寄贈されたと書かれている。
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私の関連するブログ → 浅草の活性化と東京スカイツリー
私の関連するブログ → 庭園美術館の花たち
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by motokunnk | 2011-06-24 20:01 | | Trackback | Comments(0)

水無橋のこと

今日も新聞は昨日ブログで書いた福島原発1号機のメルトダウンの記事で賑わっている。どうも東京電力の隠蔽主義には困ったものである。悪い情報ほど公開して、皆で考えるという姿勢にあんってほしいものである。
さて以前このブログで五輪橋と神宮橋のことについて説明したことがある(写真左)。その五輪橋から渋谷寄りに一本の橋が架けられている。名前を水無橋というそうである。確かに鉄道橋で川の上に架けられているわけではないので水とは縁がない。うまいネーミングであると感心してしまった。
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さてこの水無橋であるが、五輪橋と違って由緒正しき橋のようである。渋谷区教育委員会の説明プレートによれば
「この道は江戸時代からあったもので青山から代々木村に通じる唯一の幹線道路だった。それが明治時代となり、山手線計画がもちあがり、そのために新たな切り通しがここに作られることになった。そのため、今まで利用していた道路が分断されてしまうのを避けるためにこの橋を架けることになった。」
おおよそ、このようなことが書かれている。
江戸時代は幹線道路であったが、現在はひっそりとした知る人ぞ知る道となっている。車は通れるが、この通りに住んでいる人の車しか通らないようだし、まして人の往来もほとんどない。コープオリンピアの裏を通って、大田記念美術館付近まで続いているので、一度原宿に行かれた際はぜひ歩いてちょっと違う風情を感じてほしいものである。

路地からの接点 → 散歩を楽しく/表参道・原宿編
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by motokunnk | 2011-05-13 18:54 | | Trackback | Comments(0)

目黒川に架かる橋・その2

今朝から首都圏は雨が降っている。これから雨脚は強まると先ほどの天気予報では言っていたが、今は若干小振りとなっているようである。
明日は統一地方選挙の第二弾であるが、イマイチ盛り上がっていない気がする。やはり東日本大震災の影響ではでな選挙戦は差し控えているのであろう。いつもであれば選挙カーからながれてくる騒音(私には候補の名前の連呼が騒音以外の何者でもないように聞こえる)がないことが平和である一方、誰が立候補しているのかポスターを見なければわからないというデメリットもある。
さて今日は先日目黒川に花見に行った際に橋の写真を撮りためておいたのでその橋の写真を紹介していくことにする。前回は山手通りに架かる目黒橋まで紹介したのでその次に架かる中の橋からはじめることとする。
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この橋は何故架けられているのかよくわからなかったが、桜の季節にきてその存在がわかるような気がした。歩行者専用の橋であり、橋の中央から川沿いに茂る桜を鑑賞することができる絶好のポイントであることがわかった。多分この目的で架けられた橋ではないかと思う。
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南部橋はその橋のたもとに記念碑があることは紹介した。菅刈公園への入口が橋から見え、この公園に散策に出かけるにはこの橋を覚えておけば迷わないと思う。
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柳橋を渡り山手通りへ出るところには安売りで有名な「ドンキホーテ」がある。花見の際にはこの建物裏に屋台がでていた。
千歳橋はもうひとつ普段散策している私にとっては行きつけの公園への入口となっている(というよりは目印かもしれない)。その公園は西郷山公園である。このブログにも何度も登場しているので説明する必要はないかもしれない。
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天神橋そ過ぎ、朝日橋に向かうことにする。この朝日橋のそばに以前紹介した北野神社がある。東京コカコーラの大きな工場があるそばの路地に面しているので、わかりづらいかもしれないが、この周辺をぐるりと回れば発見できると思う。
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宿山橋と書いてしゅくやまと読むそうである。次は文字通りの桜橋、この橋の上からも桜の花が手に取る距離で咲き誇っている。そして別所橋へと進んでいく。
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この橋の山手通り沿いには古くから「東急ストア」が立地している。東横線の中目黒駅から見えるので中目黒の東急ストアは地元ではかなり古くから有名なお店であると私は思う。
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そうこうするうちに川の上を東急東横線の電車が走っている姿をみながら日の出橋へとたどりつく。
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橋の左手は老舗の店が並び、山手通り側は再開発されたのか、新しい店舗が並んでいる。
今回紹介するのはこの橋まで、これで撮ってある写真は全てなのでこの先紹介することはかなり先の話となりそうであるし、地図で見る限り、この先には橋自体が至近距離では架けられておらず散策がけらというわけにはいきそうもなさそうである。
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by motokunnk | 2011-04-23 09:06 | | Trackback | Comments(0)

目黒川に架かる橋・その1

目黒川も都心に向かう部分は暗渠となっており、その上部は緑道(遊歩道)となり区民に開放されていることは先日のブログで書いたが、その遊歩道にも東仲橋という橋が架かっている。
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正確には路地に欄干柱(というにはお粗末だが)があり、その橋が架かっていたことがわかる仕組みとなっている。
さて、実際の目黒川はどこから暗渠ではないかというと、246号線に架かる大橋の下流で暗渠から解放され実際の川となって東京湾まで流れ込んでいるようである。
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渋谷川の場合と違い、ご覧のように暗渠となる部分の水量はかなりのものがある。きっと水源までかなり広い流域面積を確保しているのであろう。上部の遊歩道を見ればおのずと想像できるような気がする。
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さてこの目黒川も東京都の「清流の復活」プロジェクトの1河川となっているようである。説明プレートが用意されていた。また玉電の説明板も用意されている。玉電とは東京急行電鉄が走らせていた路面電車で渋谷から砧まで走っていた。玉電については機会があれば思い出など語ろうと思う。では目黒川に架かる橋について簡単に見ていくことにする。大橋の次に架かっている橋は常盤橋である。
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先ほどの暗渠を写した写真もこの常盤橋から撮ったものである。つい最近撮った写真なので花見をする人の姿も目立っている。この付近には水車の模型のようなものもあり、歴史を紐解く社会科見学にはうってつけかもしれない。そうこうするうちに万代橋が目に飛び込んでくる。
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万代橋の次は氷川橋である。
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このあたりまで来ると桜の木が多くなり花見見物の客が目立つようになってくる。
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東山橋の橋上には桜の写真を撮る絶好のポイントがあるらしく、かなりの人がデジカメ片手に写真を撮っている姿が見受けられた。そうこうするうちに山手通りと交差する目黒橋に到達した。
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目黒区もみどりの散歩道という散策コースを区内に張り巡らせており、このエリアは西郷山・目黒川コースとなっているようである。とりあえず、今日はここまで、次回はいつになるかわからないができれば東京湾にそそぐところまで紹介していければと思う。
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by motokunnk | 2011-04-20 19:44 | | Trackback | Comments(0)

古川に架かる橋・その8

早朝に行われたドバイWCで日本の馬が史上初めて優勝という快挙を達成した。暗いニュースばっかりであったが競馬というスポーツ界ではあるが、久しぶりに明るいニュースである。
ヴィクトワールピサは昨年末の有馬記念優勝馬であり、2着もフェブラリーSの覇者トランセンド、ブエナビスタは着外に沈んでしまったが、日本の競馬界にとっては久々の快挙である。
さて競馬の話題はこれぐらいにして、古川に架かる橋の紹介を続けていくことにする。一の橋まで紹介してきたが、この橋を境に古川は大きく右に流れを変えていく。
首都高速環状線と目黒線のジャンクションとして一の橋があるが、それはちょうど一の橋の上にあたる場所である。どうも首都高速を建設した際に、用地買収の観点からか、川の上部や堀を利用して建設されたようであり、古川の上部も首都高速として利用されているようである。
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一の橋を通りすぎほどなく、新堀橋を見つけることができる。ただ、ご覧のようにビルの谷間にあり、通行量もほとんど皆無であるので、話しながら歩いていると見過ごしてしまうかもしれない橋ではある。
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この次の中の橋はりっぱな橋であり、バス停もあれば、交差点の名称にもなっている。
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橋を渡ると、そばに区立の児童遊園があるが、残念ながらご近所の駐車場として利用されているようである。東京タワーがよく見える場所でもある。大震災でタワーの最上部が変形してしまったようであるが、肉眼では判別することは難しいようである。先を進んで赤羽橋の紹介する。
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国道1号線と古川が交差する地点に架けられており、現在の橋の袂には以前架けられていた欄干が置かれている。右の写真が以前の欄干である。一通りも多く、交差点脇には伏見三寳稲荷神社がある。
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古川に架かる橋の紹介も残り少なくなってきた。芝園橋である。日比谷通りに架かるこの橋は、箱根駅伝で選手が渡る橋である。交差点名称にもなっている。
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橋というよりは地名として有名になっているようであり、ビル名称やGSのスタンド名称として使用されている。
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その次は将監橋、袂に区立の公衆浴場がある。浴場自体は20年以上も前からこの場所で営業しているようである。今の建物は新築されてりっぱになっているが、数年前は老朽化していた記憶がある(会社が近所にあるので)。さて次に紹介する橋は第一京浜に架かる金杉橋である。
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金杉橋と言って思い出すことは、子供の頃渋谷駅から金杉橋行きの都電が走っていたことである。確か34番という系統であったと記憶している。いつも間にか廃止され、都営バスが走るようになったが、この橋付近まで都電が走っていたと思うと、懐かしさを感じてしまう。
さて残す橋もあとひとつ、新浜橋である。
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この橋は橋というよりは、浜松町駅から東京ガス、東芝本社へ向かうペデストリアンデッキ(正確にはこうは言わないようであるが)の一部としてたまたま下に古川が流れていたから新浜橋と命名したと思う。実際、上はほば毎日通勤で歩いているが、どこから橋なのか全くわからない。
さて渋谷川・古川に架かる橋を調べてきたが、後は浜崎橋のみであり、これは過去のブログで紹介している。ここまで調べてきたわけであるが先達の方もも多々いるようである。写真をまとめて公表しているサイトがあるので、こちらを紹介して結びとしたい。

渋谷川・古川の橋 → リバーサイドさんの写真・動画

下にある、<渋谷川・古川>のタグを押すと、当ブログ内で渋谷川・古川に関連する記事一覧を表示するので併せて紹介しておく。
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by motokunnk | 2011-03-27 09:20 | | Trackback | Comments(0)

古川に架かる橋・その7

渋谷川・古川に架かる橋の紹介も番外編を除き7回目となった。今回は古川橋以降の橋について紹介していくことにする。片側3車線以上の幹線道路脇を古川は流れているので、橋自体も三田地区への抜け道に架かっているケースが多い。
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まずその中で三の橋が目に入る。会社で残業しているとき、夜も遅くなると、タクシーで帰宅することがあるが、そのときには必ずこの橋を通り我家に帰宅するルートとなっている。その意味では私にとってはなじみの深い橋ではある。ただ実際にまじまじと観察してみるとどこにでもあるような普通の橋という印象しかわかないのは何故であろうか。
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さてその次にあつのは南麻布一丁目児童遊園橋である。港区の区立の公園の作り方は、川のほとりに作る場合、必ず両岸から行けるように橋をそばに架けている気がする。白金公園しかり、そしてこの児童遊園しかりである。
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このこの付近には気がつかなかったが、象印の東京支社ビルもあるし、在日韓国人歴史資料館もある。特に後者はりっぱなホームページも公開しており、見学することも可能でる。
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さて先を急ぐこととする。二の橋が目に入る。この橋を渡ると右手にりっぱな建物が目に入る。元渋沢敬三の私邸があった場所に建てられた「三田共用会議所」である。
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共用会議所という名前からもわかるように中央省庁が共同で利用することを目的として建設された建物である。民間への貸し出しは行われていないが、事業仕分けで民間への貸し出しも可能とすれば場所柄からも高い賃料をとることはできそうに思うが素人の浅はかな考えかもしれない。
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この次に見えてくるのは新広尾公園の脇にある小山橋である。この新広尾公園には親水テラスが設けられている。白金公園と同じ仕組みの親水テラスがある。渋谷川では見ることがなかった親水テラス、水量の関係もあるのだろうが、渋谷区と港区の姿勢の差なのかもしれない。どちらがいいとは簡単に言うことは難しいとは思うが、、、。
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この公園には公衆トイレも用意されているが、その建屋がちょっとトイレっぽくない建屋に感じたのは私だけであろうか。
さて一の橋の紹介に移ることにする。一の橋とはこの橋のことをいうのだそうだ。麻布十番の交差点そばにかかる橋は新一の橋といって古川には架かっていない橋というのが今回初めて知りえたことである。人間知らないことばかりである。まあこんなことはどうでもよいことなのかもしれないが。さすが麻布十番にむかう橋ということもあり、走っている車もランボルギーニ! 高級車である。
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橋の袂には一の橋公園(現在は工事中のようであった)のプレイトがあり、その下には「港区平和都市宣言」が日本語だけでなく、英語でも書かれていた。非核三原則の文字もあるが、今の福島原発の悲惨な状況を見ると、言い方は悪いが、非核三原則とは何だったのか、結局日米の密約でホゴにされていたわけで、この文字が空虚に見えてしまった。
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by motokunnk | 2011-03-26 09:18 | | Trackback | Comments(0)

JR線に架かる橋・恵比寿南橋の別名は?

恵比寿南橋といってピンとくる人は多くはないと思う。「アメリカ橋」というと古い人なら狩人の歌で有名となった橋だということを思い出すであろう。今日は久しぶりにガーデンプレイスに行ってきた。
亀島橋を紹介したブログで書いたが、ある任意団体の引継ぎにガーデンプレイスタワーまである人を連れて行ったのが大きな理由である。引継ぎ自体はそれほど時間もかからずに終了し、帰りに折角なのでアメリカ橋の写真を撮ることにした。これがその写真である。橋といっても川に架かる橋ではなく、橋の下には線路が敷かれて鉄道が走っているのである。
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アメリカ橋とは、橋に説明用のプレイトが貼られているのでそちらに書かれているが「もともとはアメリカセントルイスで11904年に開催されたセントルイス万国博覧会に展示されていたものであった。それを日本の鉄道作業局(当時)が買い取り、鉄製の橋のモデル橋として1906年(明治39年)に現在地に架設した。橋は1970年(昭和45年)に改築されている。」
その後耐震改修などが施され、現在の橋は二代目となる。2006年(平成18年)の大改修にあたり、安全性の向上を図ると共に周囲の景観に配慮し、街路灯については、世界的な著名な照明デザイナーの石井幹子さんによってデザインされた。そのときの落成記念式典のことが当時のミニコミ紙に記載されている。
当時のことを記載したミニコミ新聞記事 → シブヤ経済新聞
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by motokunnk | 2011-03-25 19:12 | | Trackback | Comments(0)

渋谷川に架かっていた橋

表参道から原宿方面へ歩いていていき、現在は改修工事の真っ最中であるキディランド手前、キャットストリートというのだそうだが、その入口に「参道橋」という石塔が建っている。
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橋というからにはこの付近に川が流れて橋が架かっていたのであろうと歴史を紐解いてみることにする。調べると、渋谷川に架かっていた橋だということがわかった。東京オリンピック開催のとき(今から40年以上も前のことになるが)、渋谷駅へ流れる部分は整備事業などで暗渠となり姿を消したそうである。
そのなごりが参道橋という欄干だけになってここに置かれているのだそうだ。キャットストリートの下には暗渠となった渋谷川が流れているらしい(確認したわけではないが)。春の小川のモデルとなった河骨川とはちょっと離れているが、河骨川が渋谷川の支流であったことを考えれば十分理解できる。
葛飾北斎の富嶽三十六景の中に「隠田の水車」という名がついたものがあるが、隠田(過去のブログ記事参照)という地名からしてこの橋近辺がモデルとなったことは間違いないと思う。昔は水量もあり、この地区の水源となっていたのかと思うと何やら今の渋谷川の実態を見ると悲しくなってしまう。そのために「清流の復活」プロジェクトがあるのであろうが。
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by motokunnk | 2011-03-23 19:42 | | Trackback | Comments(0)