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今年一年を振り返り

今年もあと数時間となってきた。私にとって今年一年どんな年であったのだろうか。昨年に比べれば、よかったといえるのは当然だが、一昨年と比べたらどうであったか、その答えは見出せない。
ただ、日常生活がそれほど不便なくこなせるレベルになってきたことはいいことかもしれない。さて、週末日課としている近所の散歩であるが、目的もなくただ歩くのでは長続きしないので目的をもって歩くようにしている。他人からみればその目的というのは些細なことかもしれない。最近であれば、代々木公園の見所スポットであったり、神社の狛犬であったりする。その中で「ハチ公」の記念碑が建てられていることを知った。
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写真の右に写っているのがその記念碑である。「ハチ公」は東京帝国大学(現・東京大学)教授の上野英三郎氏が飼っていた秋田犬だった。教授の墓は都立青山墓地にあり、その傍らに記念碑が建てられている。「ハチ公」の亡骸は剥製となっていると聞く。小学校のときに渋谷駅で展示されていたのを見た記憶があるので、記念碑というからには分骨されているのかもしれない。訪れた日は教授の墓に花が飾られ、また掃除道具も用意されているので、参拝する人も多いのではと思ったしだいである。一種ロ6号12側に記念碑はある。向かいには警視庁墓地があるので比較的わかりやすい場所である。
このように青山墓地には多数の有名人、著名人の墓があるようで、今後探索して発見したら紹介して行こうと思う。
さて一年を振り返りというタイトルとはほど遠い内容となってしまったが、私の好きなモータースポーツの世界では、ベッテルがF1ワールドチャンピオンとなったことが記憶に新しい。今年はぶっちぎりでチャンピオンシップを獲得するのではと考えられていたが、最終戦まで4人の候補が残り、その中でのチャンピオン獲得、見事であった。日本人としては小林可夢偉の活躍もうれしい出来事であった。前半戦の不振(マシン熟成不足が原因のようだが)から後半戦の進撃は予想を超えるものであった。
もうひとつの趣味(もっぱら観戦であるが)はサッカーの世界では、Jリーグでは発足当初から応援していた名古屋グランパスが初優勝を飾った。生え抜き選手ではなく、有力選手を補強しての優勝にちょっとした違和感は感じるが勝負事は勝ってナンボの世界であるのでこれを機に常勝軍団を目指して欲しい。
生活面では、沖縄、消費税などの問題からか民主党政権が落ち着かない。個人的には応援したきたのだが、このままでは自民党のほうがよかったと思ってしまうほどのガッカリ感が頭の中で充満している。
来年はどんな年となるであろうか、政治が安定してくれることがまず第一である。民主党には頑張ってもらいたいのだが果たしてどうであろうか。
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by motokunnk | 2010-12-31 15:42 | 日記 | Trackback | Comments(0)

神社と狛犬その2・氷川神社(渋谷区)

年末には、神社に一年無事を守ってくれたお札を返し、また新年の新しいお札をもらいにいく風習が古くから我家にはあり、子供のときから神社への使いは私の役目であった。それは今も同じであり、年末の私の仕事となっている。
我家の氏神さまは氷川神社であり、今年の氷川神社にお札をもらいに参上した。氷川神社についてはこのブログで紹介しているのでそちらを見てほしい。さて今年に関していえば、お札をもらいにいくというよりは、神社にはいたるところに狛犬が奉献されており、それを見てくるという別な目的もあった。それが以下の写真である。
狛犬については詳しく調べているホームページがあり、当然氷川神社についても書かれていた。それによると
裏参道入口(渋谷図書館前の信号機あり)を守る狛犬には
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「明治29年生まれの青山・石勝刻の江戸流れです。未だ若い時期の作だそうですが、もう名人の風格が充分感じられる彫りです。補強のためお腹の下に大きめの子狛を連れていますが、惜しいことにその手前にでている玉が二つとも壊れてしまいました。言うまでもなく完品ならば名品の部類に入る狛犬でしょう。」(石工・青山 中村勝五郎 明治29年9月建立)
とある。また境内にある稲荷神社を守る狛犬(狐?)にも
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「昭和14年・青山石勝刻のお狐様です。やはり得手不得手はあるのでしょうか?狛犬の様な腕の冴えは無いように見受けられます。石勝さんご本人の作ではないのかも…。」
とあり、よく調べられているなあと感心してしまった。
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他にも階段上にいる招魂社系狛犬や稲荷神社の横にある厳島神社を守る狛犬など多数の狛犬について詳しく説明されている。狛犬だけではなく、神社についての由来、本殿説明などがあり、勉強なるページである。
こちらがそのページとなる → 氷川神社(東)
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by motokunnk | 2010-12-31 09:02 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

放送事業功労者を称える記念碑・代々木公園散策その6

東京オリンピック記念宿舎から見本園へ歩き、その先のほうに夫婦が仲良く腰掛けている銅像が見える。台座の説明によれば「しあわせの像」というのだそうである。
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㈱電通がこの像を建てたようで、電通のホームページには次のような記載がある
「 創立70周年にあたる昭和46年には、国民共有の財産ともいえる放送事業の育成発展に尽くし、国民生活の向上に大きく貢献した先覚者の功績を称える<放送功労者顕彰>が、計画どおりに実現しました。第1回の顕彰者には正力松太郎氏(日本テレビ放送網社長)、鹿倉吉次氏(東京放送社長)がその名を連ねており、すでにテレビ時代が始まっていたことが分かります。
顕彰記念像「しあわせの像」は谷口吉郎氏(東京工業大学名誉教授)の設計、菊池一雄氏(東京芸術大学名誉教授)の制作で、昭和46年、東京都渋谷区の代々木公園に建設されました。父親と母親、そして小さな子どもが家族のしあわせをあらわし、温かい家庭のある人生のしあわせを象徴しています。」
とある。 → とっておきの話 放送事業だけでなく新聞、広告それぞれ功労者を顕彰する仕組みがあり、それぞれに記念の銅像が建てられている。時間があれば他の銅像を見てくることにする。
台座にはかすれてしまってはいるが、歴代の放送功労顕彰者の名前が刻まれていた。ひっそりと建てられているところが妙に気になる銅像である。見所スポットなどでは紹介されていないが、代々木公園を散策しているブログではよく見かける銅像であり、訪問した人にとっては印象に残る銅像なのではないか、私もそのうちの一人ではあるが。さていよいよ明日は2010年の大晦日である。今年の10大ニュースなど書いてみようかと思っているが、明日になるとほかに書きたいネタがでてきるかもしれないのがブログのいいところかもしれない。
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by motokunnk | 2010-12-30 19:49 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)

記憶に残るレーシングカー・その7

今回は、ニッサン2000GTRを紹介する。現在のスーパーGTクラスで走っているニッサンGTRの祖先にあたる車である。
このマシンのデビューは記憶によれば1969年5月のJAF_GPの前座のツーリングカーレースだったと思う。レースは、トヨタ1600GT(デビュー数年が経過していたが、操縦性、信頼性は高くまたドライバーも能力が高かった)とデッドヒートを繰り広げて、優勝している。ただし、1位でゴールしたトヨタ1600GTに違反があり3位降格となっての後味の悪いデビュー戦勝利だったと思う。
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その後、2000GTRは連勝を開始し、日本のツーリングカーレースでは負けなしの状況となる。ライバルの出現は1972年まで待つこととなる。この年にマツダはロータリーエンジン搭載のカペラのツーリングカーをデビューさせ、2000GTRに勝負をいどんだ。車重が重いなどの影響か、GTRに勝つまでにはいかなかったが、貴重なノウハウは得ることができたようだ。そしてサバンナのツーリングカー仕様となるRX3がデビューしGTRと死闘を繰り広げることとなる。
1973年の富士GCシリーズの死闘は古いレースファンの間では語り草となっている。GTRも50勝はとげたが、年式の古さには勝つことができず、またメーカーの公害対策に本腰をいれるという方針もあり、GTRがサーキットに復活するのは1990年代となってからではなかったかと思う。
判官びいきというか、デビューしたころのGTRはそれほど好きではなかったが、RX3との死闘を繰り広げているうちに好きになってしまったというのが今思う当時の心境だったような気がする。いまから40年前の古きよき時代の出来事であった。
写真は数年前のお台場で撮影したもの、R381,R382と並んで展示されていたような気がした。
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by motokunnk | 2010-12-30 09:50 | Racing Car | Trackback | Comments(2)

著名人の墓が多数ある寺

六本木通り、富士フィルム本社そばにこの寺院はある。小学校に通う頃にはすでにこの寺院はあったからかなり古くからこの場所にあるはずである。
歴史を紐解いてみると、公式ホームページに歴史のページがあり、次のように書かれている
「かつて「渋谷が原」と呼ばれたこの地には、古くから観音堂が建ち、奈良長谷寺の観音さまと同じ木片で造られたという、小さな観音さまが祀られ、人々に親しまれていました。
時流れて徳川家康公開府の後、この観音堂を基に補陀山長谷寺が開かれました。家康公の幼馴染みでもあった高僧、門庵宗関大和尚をご開山に2万余坪の寺領を賜ったと伝えられます。
正徳6年(1716年)2丈6尺の大観音を建立。古仏は尊像の体内にお納めし、江戸屈指の観音霊場・江戸観音霊場第22番札所として尊崇(そんすう)を集めました。
近年、戦火で消失した大観音の再建を願う人々の根強い信仰により、高さ3丈3尺、壮麗無比の御姿がよみがえりました。
幾多の災禍を越え、寺観再建が成った今、現代に生きる観音霊場長谷寺は、宗門の専門僧堂(修行道場)大本山永平寺の東京別院として、また、観音信仰の聖地として、現世利益が満ち溢れています。」
由緒正しき寺院である。言い忘れたが寺院の名は「曹洞宗大本山永平寺別院 長谷寺」である。福井県にある永平寺の別院である。
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さて、たまたま参拝に訪れたのであるが、墓地の傍らに教育委員会の説明板があるではないか。きっと著名な人の墓があるのではと読んでみると、「湖畔」「舞妓」などの傑作を描いた洋画家黒田清輝と、江戸時代後期の医師・文化人の伊澤蘭軒の説明が書かれた案内板であり、伊澤蘭軒の墓には港区指定文化財の記述があった。墓地の中には多数の墓があり(当たり前!)、年末の時期にもかかわらず、墓参りに来ている人も見受けられた。
そんな中、変わった墓石を見つけてよく見てみると、「エノケン」と書かれているではないか。喜劇王と言われた榎本健一の墓がこれなのかとビックリしてしまった(帰宅してネットで調べて確認した)。その他にも著名人多数埋葬されているそうな、明治の政治家である井上馨や坂本九、盛田昭夫等の墓があるそうだ。また、11面観世音菩薩像もあるという。今度時間を見つけて境内を散策してみることにしよう。
写真の右が榎本健一の墓石である。
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by motokunnk | 2010-12-29 19:21 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

大祓には茅の輪くぐり

数年前から、金王八幡宮では暮れになると境内に茅の輪が出現する(左の写真)。以前調べたところによると茅の輪は夏の大祓で利用されることが多いとのことであるが、時期は違うが冬の大祓でも利用されてもいいようだ。
そもそもの起源は
「善行をした蘇民将来(そみんしょうらい)が素盞鳴尊(すさのおのみこと)から『もしも疫病が流行したら、茅の輪を腰につけると免れる』といわれ、そのとおりにしたところ、疫病から免れることができたという故事に基づきます。」
であるから、年末に来年の無病息災を願う儀式として定着しているのであろう。近所では隠田神社(右の写真)でもご覧のように茅の輪ができていた。
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ちなみに茅の輪であるがくぐり方に作法がある
(1) 先ず、茅の輪の前に立って軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って元の位置に戻る。
(2) 茅の輪の前で軽く礼をします。右足からまたいで輪をくぐり、右回りに回って元の位置に戻る。
(3) 茅の輪の前で軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って元の位置に戻る。
(4)茅の輪の前で軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり、神前まで進み、二拝二拍手一拝の作法でお詣りする。
ただし、正月の参詣者が全員この作法でくぐると、境内が大混乱する恐れがあるので場所によってはこの作法を掲示していないところもある(金王八幡宮はあるが、隠田神社はなさそう)。
茅の輪をくぐること自体にお祓いの意味があるので、正式なくぐり方ができないからと言って心配には及ばないとのこと、茅の輪を見つけた際はぜひくぐってみてはいかがであろうか。

より深く調べてたい人のために(由来などはほとんど同じ記述である)
→ http://www.shinmeisya.or.jp/html/tinowa01.html
→ http://www.u-kan.jp/chinowa.htm
→ http://jinja.jp/modules/chishiki/index.php?content_id=42

私の関連するブログ → 明日は夏越の祓
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by motokunnk | 2010-12-29 08:43 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

神社と狛犬その1・金王八幡宮内御嶽神社

週末は健康維持のため、近所の散策が日課となっている。我家の周りには神社が多い。これはどの地方でも一緒なのかもしれないが、健常なときはそれほど気がつかなかったことである。
さて神社にいくと、必ずといっていいほど狛犬が本殿両脇にたち、本殿を守っているようにみえる。これは日本古来からなのであろうか。例によってネットで調べてみると、狛犬について調べている先達の多いことにビックリした。この話題は別の機会に話をしようと思う。
まず例によってウィキペディアで狛犬をひくと
「獅子や犬に似た想像上の獣の像である。一般的に神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる。
飛鳥時代に日本に伝わった当初は左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、やがて二頭の外見上の違いが少なくなって、現在では左右いずれの像も狛犬と呼ぶのが一般化している。」
左右で外見が異なっているとは知らなかった。また名称も当初は獅子と狛犬であったとは、またまた勉強となった。さて、予備知識を得て、実際の狛犬を見てみることにする。写真は金王八幡宮にある御嶽神社の狛犬である。
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御嶽神社の由緒が書いてある説明板を読むと
「御嶽神社は、「開運」「商売繁盛」の神として、特に客商売を営む人々の信仰を広くあつめており、本社は武州御嶽山にあります。大鳥大神と称える日本武尊は、古来より武道守護の神として武士の信仰をあつめておりました。ここに祀られたのも、この地が部門の誉れ高き澁谷氏の居城であったからと考えられます。また、社前の狛犬一対と西参道の鳥居は、かつて実践女子学園の校内にあった「香雪神社」のものを移設したものです。」
とある。狛犬がオカッパ頭に見えるのはそのせいかと納得してしまった。一方、台座をみると、「昭和十二年十月吉日 實踐女學校嚶鳴會」とある。この時期は日独同盟が結ばれた時期であり、なんとなくナチスドイツのヘルメットにも似ているような気もする。とは狛犬を調べてみつけたホームページに書かれていた内容そのものであるが、私も同感であったのであえて転載することとした。実際のホームページはこちらである。
今後は、折に触れて神社と狛犬について考察していこうかと思っている。
話は変わるが、帰宅途中の渋谷駅新南口にむかう廊下の階段上に以前、このブログで紹介した自販機が設置されていた。なるほど、売り切れがない自販機とはよくいったものである。
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by motokunnk | 2010-12-28 17:40 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

東京オリンピックの選手村・代々木公園散策その5

代々木公園は古くは(と言っても明治時代からであるが)陸軍の練兵場であった。それが第二次世界大戦後は、米軍キャンプ地となり(ワシントンハイツと呼ばれて、米国空軍の宿舎が建設されていた)、そして東京オリンピック開催のときに日本に返還され選手村として利用された。
私の少年時代はこの場所がワシントンハイツと呼ばれてアメリカ人の将校が住んでいると聞かされていたものである。東京オリンピックが終わり、敷地の一部が代々木公園となり都民に開放されて今日を迎えている。隣接する国立オリンピック記念青少年総合センターも古くは「ワシントンハイツ」であった。
さて、代々木公園の一角には東京オリンピックの選手村であったことを示す記念の宿舎が残っている。ただし、昔はかなり草ぼうぼうで宿舎も今のように周辺が花壇で囲まれて美しくなかったようである(過去の写真はこちら)。どうもリオに決まってしまった2016年のオリンピック招致活動の際に東京都が整備したようである。
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オリンピックは来ないが、宿泊施設の周辺がきれいになることはよいことだと思う。代々木公園を訪れる人にとっては憩いの場ともなっているようだ。現に私が訪ねたときも若いカップルが記念写真をとるなどしており、「公園内の名所」と位置づけられているようだ。見所スポットや園内マップにも表示されている。
りっぱな説明板も用意されており次のように書かれている。
「1964年第18回オリンピック大会が東京で開催され、その時の選手村の跡が代々木公園になりました。この建物は当時各国の選手が利用した宿舎のひとつで(オランダ選手宿舎)、東京オリンピックを記念して保存されています。見本園(宿舎の左手奥)の樹木は、オリンピックの時に世界各国の選手が持ち寄った種から育てたもので、東京オリンピックを記念して育てられています。」
ここから左手奥のところに見本園があるが、それは次回に説明することとする。
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by motokunnk | 2010-12-27 19:41 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)

デムーロ、2週連続のG1勝利、ブエナ敗れる

先週の朝日杯でグランプリボスを栄冠に導いたM・デムーロが今度はヴィクトワールピサをグランプリホースへと導いてしまった。
圧倒的1番人気のブエナビスタは最後の直線、絶望的な位置から驚異的なスピードで追い込み、ヴィクトワールピサをとらえた瞬間がゴール板を越えた直後であった。デムーロの2戦連続してレースの流れを的確に把握した好騎乗が目立ったレースであった。
スミヨンもJCとは違い、今度は失敗できないという思いからか、直線は大外に持ち出して追い上げを開始した。これによるロスがなかったとはいえず、最後までその微々たる差が勝敗をわけたと考えるのが妥当と思う。現役最強馬は間違いなくブエナビスタであると確信したレースでもあった。
馬券にからんだ馬は全て外国人騎手であった。先週もそうであったが、日本人騎手の頑張りを来年は期待したい。また強いと言われている3歳牡馬がブエナビスタ以外で馬券に絡んだことも今年の競馬界を現している出来事であったかもしれない。
来年のG1は2月のフェブラリーS、ダート巧者が勢揃いして欲しいものである。

有馬記念の結果
1△ 1 ヴィクトワールピサ 牡3 M.デムーロ     2:32.6  
2◎ 7 ブエナビスタ 牝4 C.スミヨン ハナ
3 11 トゥザグローリー 牡3 C.ウィリアムズ クビ
4△14 ペルーサ 牡3 安藤勝己 3/4
5 4 トーセンジョーダン 牡4 三浦皇成 1.1/2

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by motokunnk | 2010-12-26 16:54 | スポーツ全般 | Trackback(1) | Comments(0)

明治38年戦没者記念碑が2箇所に存在

明治38年といえば、日露戦争が終結した年である。現在NHKでは「坂の上の雲」が放送され、今夜が第2部の最終回、ちょうど日露戦争開戦の回となっている。
さて、標題の記念碑であるが、ブログで何回も取り上げている「金王八幡宮」と「宮益御嶽神社」に存在する。
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まず、「金王八幡宮」の記念碑についてである写真ではわかりずらいが「希典」のサインがあり、戦没者の慰霊碑ではなく、記念碑となっていること、及び傍らに十五年、二十年、二十五年、三十年の記念碑も併せて建っていることが珍しいと脇の説明板には書かれている。
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さて、「宮益御嶽神社」の慰霊碑であるが、こちらは本堂脇に建てられている。日露戦争の戦没者の慰霊碑であるかどうかは定かではないが、台座の部分に明治三十八年の文字を読み取ることができるので、多分日露戦争戦没者の慰霊碑として建てられたものに間違いないと思う。
時節柄、神社は年末の「大祓」、年始の「初詣」の準備で繁忙のようである。初詣といわず、渋谷に来た際には駅から数分のところにある両神社を参拝し、記念碑を見て欲しい。いずれもすぐにわかる場所に建っている。

なお日露戦争については、ウィキペディアなどに詳しく説明されているのでそちらを参照してほしい。
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by motokunnk | 2010-12-26 12:36 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)