NFLの季節到来

今日2個目の記事は神社関連ではなく、久々にNFLの話題についてである。いつものことだが、この時期からNFLが面白くなってくる。レギュラーシーズンが終わり、スーパーボールへ向けての一発勝負の試合が今日から始まった。
今シーズンはシアトルシーホークスが負け越しながら地区優勝を飾るなど話題が多かったNFLであったが、ニューイングランドペイトリオッツ、ニューオーリンズセインツやインディアナポリスコルツなどの強豪といわれるチームもプレィオフに残りこれから調子を上げていくと思われていた。
そして今日ワイルドカードプレィオフに昨年のスーパーボールを戦ったセインツとコルツが出てきた。どちらのチームも下馬評では対戦相手より有利との評価がされ初戦突破は間違いないと思われていた。セインツはアトルシーホークスとコルツはニューヨークジェッツと対戦したのであるが、何とそれぞれ負けてしまった。大きな番狂わせだったと思う。特にセインツの場合は対戦相手がシーホークスであり、負け越しチームのプレィオフ出場で何かと話題となっていたチーム、下馬評でもセインツ有利と言われていただけにちょっと気が緩んでいたのかもしれない。
またコルツもジェッツにまさかの逆転負けを喫してしまった。残り1分でビナティエリが50ヤードのFGを決め、勝負あったかと思われたのであるが、その後のキックオフリターンでジェッツ・クロマティに47ヤードのリターンを決められ、その後もQBサンチェスがパスを通して、残り3秒でフォークが逆転のFGを決めた。バスケットボールでいえば、ブザービーター! 終了と同時の劇的な決勝FGであった。これでジェッツは昨年のAFC決勝での借りをしっかり返す結果となった。
これだからNFLを筆頭にスポーツは何が起こるかわからないから面白いのである。NFL、明日は残りの2試合が行われる。果たして勝ち上がるのはどのチームであろうか。
日程などはこちら → NFL公式ホームページ
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# by motokunnk | 2011-01-09 16:47 | スポーツ全般 | Trackback | Comments(0)

神社と狛犬その5・都内23区の七福神

昨日のこと、赤坂氷川神社参拝の帰りにこの神社を見つけた。六本木通りから1本入った路地に面している「久国神社」である。早速参拝したのであるが、参道わきに「港区七福神のうち布袋」との看板があった。
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帰宅し、港区のホームページを調べると、このようなページが公開されているではないか。たまたま見つけた神社ではあったが、七福神めぐりの最初の神社であったとは縁起がよかったのかもしれない。
今日はこれから、麻布方面の神社散策に出かけようかと思うが、七福神を祭っている神社もあるのでよく見てこようかとも思う。
さて話が七福神になってしまったが、久国神社について調べてみると
「元は千代田村紅葉(現・皇居内)に鎮座していたという。長禄3年(1457年)太田道潅の江戸築城に際し、溜池に遷座した。道灌が久国作の刀を寄進したところから久国稲荷と称するようになったという。寛保元年(1741年)現社地に遷座。昭和2年(1927年)社号を久国神社と改めた。」
とある。
大田道灌が関連していたようで、境内にもそれとなく江戸城ゆかりのものが置かれていた。
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狛犬はというと、階段を上りきったところに1対奉献されていた。特筆すべき事項はない、普通の狛犬のようであった。確かに全ての神社の狛犬が特徴だらけであったら狛犬研究家が多数現れているだろうし、本ももっとたくさん出ているであろう。
七福神はスカイツリーを見に行った墨田区の神社でもあったし、目黒区の神社でもあるように聞いている。特別区には七福神めぐりなる散策コースができているのかもしれない。今度調べてみよう、ただし渋谷区にはないようである。

本ブログ内で関連する記事
七福神のある神社の紹介その2 → 麻布の神社めぐり・十番稲荷と氷川神社
七福神のある神社の紹介その3 → 散歩を楽しく/神社と狛犬その17・櫻田神社
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# by motokunnk | 2011-01-09 09:31 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

赤坂氷川神社には歴史がいっぱい

白金の氷川神社にお参りし、都内の氷川神社を巡ってみようかとの思いが芽生え、とりあえずは近場にある氷川神社をこの3連休でお参りしようと今回は赤坂にある氷川神社をお参りした。
地下鉄千代田線の赤坂駅から徒歩で5~6分ほど歩くと目指す赤坂氷川神社の参道が目に入る。参道脇には看板があり、よく見ると徳川吉宗公即位300周年記念事業のご案内とあり、新社務所建築の寄付(奉賛金というそうである)のお願い看板であった。いずこの神社も記念事業ばやりであるようだ。
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さて、赤坂氷川神社はりっぱなホームページを公開しており、由緒などを調べるのに役に立つ。
ホームページの由緒によれば、
「創立の起源は、古い書物によると、天歴5年(村上天皇 951年)武州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られました。これよりおよそ百年後の治歴2年(後冷泉天皇 1066年)、関東に大旱魃が発生、降雨を祈るとその霊験(しるし)があり、以来よく祭事が行われました。
江戸時代、幕府の尊信は篤く、八代将軍 徳川吉宗公が享保元年(1716年)将軍職を継ぐに至り、同14年(1729年)に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営、翌15年(1730年)4月26日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、28日に将軍直々の御参拝がありました。
以後十四代家茂公まで歴代の朱印状(※港区文化財)を下附され、一層の御神徳を高め、開運・厄除・良縁の鎮守神として尊崇を深められました。」
現在の位置に社殿を作り、遷宮させたのは徳川吉宗ということがわかる。それで吉宗即位300周年記念事業となることが理解できた。
現在の社殿は東京都の有形文化財指定されているとのこと、ここも文化財がたくさんあるようである。境内には銀杏の大木もあるが、これも港区の指定文化財となっていた。
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さて階段をあがり境内を見渡すと古めかしい看板がある。近づいて読んでみると、何と浅野家下屋敷跡とあるではないか、ということは瑤泉院が大石内蔵助と討ち入り前に会った場所はここなのかと感心してしまった。
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帰りには何と南部坂を下り六本木から帰宅したので大石内蔵助気分を満喫したのである。(帰宅して、ネットで調べると、史実には「南部坂雪の別れ」はなく、大石がこの下屋敷を訪ねているのは1回のみだったそうである)。
また、ネットで調べていると、江戸七氷川という記載があり、赤坂氷川神社がその筆頭と書かれている。では残りの六氷川はどこなのかを調べてみると、これがよくわからないらしい。
唯一、赤坂氷川神社のホームページによれば
「望海毎談に云、氷川明神、江戸の中に七所有、赤坂御門外の社、江戸にては年久し、元大宮の近くに小呂子と云所、氷川を祀りたりし社なり、此所より遷したる所なれば、赤坂の宮居を小呂子の宮と呼びたるを、誤て小六の宮といふ、素盞男尊根の國に追せられ、手摩乳足摩乳が家に入給ふ所を、日の川上といふ所なれば、日の川上といふ詞を以て氷川と呼で素盞男尊を祭りたる神なり、大貴己命は素盞男の御子なりと申より此神は此地神の祖なるを以て、氷川の神靈には相共に祠る、世人大貴己命計を祠り申と覚へたり、(―中略―) 此外今井の盛徳寺の内の氷川の社、麻布一本松の市中の社、羽根田村にて新堀近き所の社、下渋谷にて羽根田の屋敷の社、又北の方にては上水のはたなる萬年寺山の社、巣鴨の入口なる氷川の社頭は坂より上へ見上ぐる所にして、いとかうかうしく何も氏子多く賑ふなり」
とあり、脚注に
①赤坂御門外 : 当神社遷座前のお社のことです。
②今井の盛徳寺 : 元氷川坂(現:本氷川坂)の盛徳寺(現:神奈川県伊勢原市)の敷地内にあり、当神社に勧請されました。
③麻布一本松 : 現在の麻布氷川神社のことです。天慶五年(938)源経基東征の時、麻布一本松付近に勧請しました。文明年間太田道灌ともいわれます。万治二年(1659)、芝増上寺の隠居地になるに伴い、現在地に遷座しました。麻布の総鎮守のお社です。
④羽根田村 : (調査中)
⑤下渋谷 : 現在の渋谷氷川神社のことです。明治22年以前、渋谷村は上渋谷・中渋谷・下渋谷に分かれていました。慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとあります。
⑥萬年寺山 : (調査中)
⑦巣鴨の入口 : 文京区千石の簸川(ひかわ)神社のことです。もとは小石川植物園の地にありましたが、承応元(1652)年に、徳川綱吉の白山御殿が造営されることになり、同じ地にあった白山神社と共に移転しました。簸川神社が現在地に移ったのは元禄十二(1699)年です。
と記されている。
渋谷にある氷川神社も七氷川のひとつであることがよくわかる。
狛犬の写真を撮りに赤坂氷川神社までお参りにいったが、狛犬以外の新たな発見をした氷川神社参拝であった。この他(勝海舟が住んでいた、包丁塚など)にもいろいろな発見があったので、次回以降に書き記すこととする。

この記事を書くにあたっての参考→ 赤坂氷川神社ホームページ
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# by motokunnk | 2011-01-08 15:58 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

平和の群像と自由の群像

先日、代々木公園内にあるしあわせの像についてのブログを書いたが、その中で「とっておきの話」のページについて若干触れていたと思う。今回はその件についての補足である。
しあわせの像が「放送功労者顕彰」を記念して制作されたのに対して「平和の群像」は「広告功労者顕彰」、そして「自由の群像」は「新聞人顕彰」を記念して制作されたものである。
まず「平和の群像」についてであるが、内堀通りと青山通りの接点に建てられている。最高裁判所の敷地内にあるのかは定かではないが(生垣で明確に区分されている)、一角を盛り土してあり、歩道から数段の階段を上るとご覧の像にとどりつく。台座の項には制作にあたっての主旨などが書かれており、これは「しあわせの像」と同じである。
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言い忘れたがいずれの像も電通が大きな役割をはたしており、こちらの「平和の群像」は電通創立50周年の昭和25年に東京芸術大学名誉教授・菊地一雄が制作している。
広告とは関係ないが、この場所は江戸時代の画家・蘭学者として有名な「渡辺崋山」生誕の地だそうである。千代田区教育委員会の説明板が立てられており、そちらに記述されていた。
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さて、内堀通りを国立劇場方面へ歩き、FM東京本社を横目でみながら千鳥ヶ淵公園に行くとまずこの群像が目につく。ご覧のように小さな池の真ん中に立てられており、知らない人からは何の像であろうかと興味の対象となること間違いないと思う。台座はなく、池のほとりに説明書きがある。
それによると、「自由の群像」も電通創立50周年の昭和25年に企画されたそうであるが、終戦後間もない時期ということもあり、実際には創立55周年事業として昭和30年に制作されたそうである。制作は「平和の群像」と同じく菊地一雄が担当している。新聞人顕彰ということもあり、台座は低く、見る人の目線にあった配慮がなされている。皇居の周りをジョギングするランナーは見かけたが、早朝に行ったのでほとんど人はいなかった。
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# by motokunnk | 2011-01-08 10:12 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)

神社と狛犬その4・白金氷川神社

通勤経路の途中に気になる神社がある。白金商店街を抜けたところに氷川神社という、我家の氏神と同じ名前をした神社がある。氷川神社は全国に数十あるそうでそのつながりは皆無であるとものの本で読んだ記憶があるが何となく気にはなっていた。つい最近機会を見つけて参拝してきたのでブログで報告と言うわけではないが書き留めておくことにする。
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由緒を調べると、日本武尊が東征の折に大宮氷川神社を遥拝した当地に、白鳳時代に創建されたと伝えられる。江戸時代中期の明和9年(1772年)、明和の大火により焼亡し、江戸後期に社殿が再建された。しかし、太平洋戦争末期の昭和220年(1945年)空襲によって江戸後期の社殿が焼亡してしまう。現在の社殿は、昭和33年(1958年)に竣工したものとなる。
社殿自体は火事で2回焼失してしまっているが、境内社としては建武神社、稲荷神社があり、境内は都心としては広い部類と思われる。
さて、狛犬については2種類の狛犬が社殿を守っている。まずは大鳥居のところにある狛犬から。
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こちらの狛犬は台座に皇紀2600年とあるので、昭和15年に奉献されたものと思われる。見るからに凛々しい顔立ち、スタイルである。昭和15年といえば、第2次大戦前夜であり、軍が強い権力を握っていく時代でもあった。やはり狛犬にも強さが求められていたのかもしれない。
さて、石段の上にはなんとも顔つきが個性的な狛犬が並んでいる。
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大鳥居の狛犬よりかなり古い年代に奉献されてものであろうと推察できる。ホントに神社の狛犬ひとつとってみても全てが異なっており見ていて楽しくなる。これでその作成時期やその時代背景まで考察していくだけの知識があればもっと楽しくなるのであろうが、それは後数年に迫った引退後の楽しみとしておくことにする。
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# by motokunnk | 2011-01-07 20:11 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

メキシコからの贈り物・代々木公園散策その7

メキシコ政府からサリナス大統領(当時)夫人来日に際して写真にあるケツァルコアトルの像が寄贈された。
ケツァルコアトルとは、古代ナワトル語で「羽毛ある蛇」(ケツァルが鳥の名前、コアトルが蛇の意)を意味し、宗教画などでもしばしばその様な姿で描かれている。代々木公園の像もそのような形に見えなくはないが、その説明を受ける前はこれが「羽毛ある蛇」とはとても思えないのが本音である。何かの彫刻のようでもあり、また太古の砲台のようにも見える。
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公園内では原宿駅からの入口近くにあり、よく待ち合わせ、集合場所として利用されているようである。
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# by motokunnk | 2011-01-06 20:03 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)

目黒不動からの帰り道に見つけた「たこ薬師」

昨日、目黒不動からの帰り道、道の右側にりっぱな寺院がある(実は目黒不動にお参りに行く際にも気付いていたのだが)。見るとたこ薬師と書かれている絵が目に入ってきた。それと例によって教育委員会の説明板がおかれている。
早速、お参りすることにした。説明板を読むと、
「天安2年(858)慈覚大師の開山で、本尊は大師の自作と伝えられ3匹の蛸にささえられる蓮華座に乗る薬師如来像です。俗に蛸薬師とよばれ疫病除の仏として人々にあがめられています。この寺の所有に浮世絵師鳥居清長(1752~1815)筆の歌舞伎十八番の一の出し物を描いた「矢の根五郎」の額がありますが、国の重要美術品に認定され国立博物館に保管されています。境内には、徳川2代将軍秀忠の側室、お静の方がわが子保科正之の栄達を祈願し、大願成就のお礼に奉納された「お静地蔵」が建てられ、また、3代将軍家光が遠州の秋葉大権現を勧請した「秋葉大権現」が併祀されています。この他に江戸時代の地蔵尊(下左の写真)や庚申塔が建っています。」
とある。歴史だけを見ると、目黒不動より古くからこの地にあったようである。今何かと話題となっている二代将軍秀忠に関連する寺院ということではないかもしれないが、結構目黒不動に参拝にきた人もこの寺院を同時にお参りしているようである。
また本堂外に掲げられた絵の下には、ご覧のように石仏像(下右の写真)が並んでいる。こちらにもなにやら因縁というか由来があるようだ。たこ薬師のホームページには下記の記述がある。
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「この石仏像は、徳川二代将軍秀忠公の側室・お静の方の発願で奉納されたものです。お静は江戸城大奥にあがり将軍の寵愛を受け『お腹さま』となることを願い、三体の観音像を納め奉り、その素願かない慶長16年(1611)に男子『幸松麿』が授かります。その後、秀忠公正室、浅井崇源院の威勢をを畏れながらもその恙ないご成育を祈り3体の地蔵を刻み納められます。そして再び願いが叶い、また家康公の側室見性院殿(武田信玄公の娘)の庇護もあり、保科正光公の養子となり、元服後、保科正之公となります。元和年間、三代将軍家光公は、目黒で鷹狩のみちすがら、当山に参拝され、瞬興和尚(中興第15世)とのご法談の折、正之公との浅からぬ縁を知り、それにより寛永8年、正之公は信州高遠城主となります。お静は、大願成就の御礼として、阿弥陀如来像を納め奉りました。正之公は後に山形城主、さらに正保元年会津藩二十三万石の城主となり、会津松平家の祖なります。また家光公の命により四代将軍家綱公の後見人として、幕政に力を注ぎ、善政を施されました。お静地蔵はその由来により、古くから縁結び・子宝・子育て・出世・福徳・開運を願う人々の信仰を集めてこられました。」
二代将軍の正室といえば江姫ということはよく知られている。なにしろ今年のNHK大河ドラマの主人公であり、浅井長政と市の間に生まれた3姉妹の末っ子である。そしてこの時代には春日の局も存在する。お静とはどのような人物であったのか、このホームページによれば非常に人徳が感じられる人物のようであるが、果たしてNHK大河ドラマではどのように描かれるのか興味がわいてきてしまった。
また、見方をかえると、お静というのは、好んで側室になったのではなく、秀忠のお手つきの結果、側室になってしまったという見方もあると考える。そうするとこの石仏像も単に安産祈願という名目だけでなく、なにやら因縁のようなものを感じてしまう。歴史と言うものに真実はないのかもしれない。

公式ホームページ → たこ薬師成就院
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# by motokunnk | 2011-01-05 19:15 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

瀧泉寺には文化財がたくさんある!

瀧泉寺(りゅうせんじ)といってピンとくる人はそうはいないと思う。「目黒不動」といえば大概の人は知っているはずである。不動明王を本尊とし、江戸五色不動の一つである。江戸三十三箇所第33番札所。関東三十六不動第18番。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来する、とする説もあるそうだ。国の史跡指定を受けている青木昆陽の墓がある(私は知らなかったが)。
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さて、新年の挨拶に目黒まで出かけたついでに目黒不動にお参りしてきた。神社・仏閣に興味を持つようになってから、時間に余裕があるときは訪問先の近所にある神社・仏閣などをお参りすることにしている。そんなわけで20数年ぶりに目黒不動をお参りした。当時は当然なかったことであるが、境内のいたるところに安置されている仏像のそばに教育委員会の説明板があり、この明王は○○でなどど説明がなされているので、この説明を読むだけで博学になったような気分となる。また各所に指定文化財の標記があり、何がしかの文化財指定を受けているものが多数あるように思えた。
短時間のお参りであったので詳しくは調べなかったがかなりの数の仏像(建造物も対象)が指定文化財となっていたようである。銅造大日如来坐像(写真左)、銅造役の行者倚像(写真右)などが目黒区指定の文化財となっているので、今度時間を見つけて再度チェックしてみようかとも考えている。
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公式ホームページ → 瀧泉寺
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# by motokunnk | 2011-01-04 18:31 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

しめ飾り(正月飾り)と初詣その3

今日はいただいた年賀状の返信を出しに近所の郵便局まで出かけた。散歩の意味もあり宮益坂にある郵便局まで出かけたが、その途中には正月のしめ飾りをしている家やオフィスがあり目を楽しませてくれた。
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そもそもしめ飾りとは何のためにするのかについて調べてみると
「玄関に飾る。神様の居場所をしめす、とあり構成は
1)しめ縄  稲のワラで編んだ縄で、豊作祈願を意味する。
2)裏白(うらじろ) ウラジロ科のシダは裏が白く、「後ろ暗いところがない」清浄な心をあらわす。
3)御幣(ごへい) 神の力が宿る紙。
4)ゆずり葉 家系が続くことを願う。
5)だいだい 「代々栄える」ようにという意味がある。
6)昆布 「喜ぶ」にかけている。
とある。めでたいものを寄せ集めて飾りにしているようであり、おせち料理にも似ているような気がした。
正月飾りひとつとってもいろいろなことを勉強させられる。
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宮益坂まででかけたので、宮益御嶽神社にお参りしてきた。参拝客は2人ほど、急な階段もあり、老人にはつらいのかもしれない。どこの神社でも見受けられるが、鳥居などにはお飾りが飾られ正月気分をだす演出がしてあった。
帰宅してからTVで箱根駅伝を観戦した。早稲田大学が18年ぶりの優勝であったが、私の興味は地元にある大学がシード権をとることができるかどうかである。
地元からは青山学院大学と国学院大学の2校がでている。そろってでるのは何年ぶりなのかは不明であるが、そろってシード権を獲得してしまうとはビックリした。最後に4校の競り合いとなり、国学院大学のアンカーがゴール直前でコースを間違えたときはビックリした。そこから追い上げて10位でゴールとはリッパの一言、まだ1年生のようであるし今後が期待できそうである。今年の国学院大学は往路も史上初の一桁順位だし、総合でも10位と大活躍であった。来年も期待できそうである。
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# by motokunnk | 2011-01-03 17:00 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

初詣その2・金王八幡宮の算額

今日は、金王八幡宮へ初詣してきた。箱根駅伝を見ながら、2区から3区へのバトンタッチ前後だったので10時過ぎに出かけたことになる。
歩いて数分なのですぐに行けることがかえって足を遠くしているのかもしれない。金王八幡宮は今年が鎮座920年、金王丸生誕870年、社殿造営400年ということもあり、盛大に寄付の貼紙が目立つかと思いきやほとんどそれらしきものはなく例年通りの境内であった。唯一の違いはブログでも書いたが、新作カブキで渋谷金王丸が演じられたことを紹介した新聞記事が目につくところに貼られていたことである。
さてどこの神社もそうであるが、宝物殿(といっても倉庫をちょっと小奇麗にした建物)が公開され、以前紹介した大江山鬼退治之図(その1・その2)や金王丸の錦絵を見ることができた。また前回は見落としてしまったが、算額(嘉永3年・安政6年・元治元年)をじっくり見ることができた。
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いずれも渋谷区の区指定有形民俗文化財(金王丸の錦絵は除く)となっている算額である。算額とは、古代中国から日本に伝えられて、江戸時代に独自の発展を遂げた和算の記録で、数学の研究発表や学問成就の祈願のために、神社に奉納されたとのこと、ご覧のように着色されており、見ていて美しいと感じる代物である。特に扇形の元治元年のものは大変珍しいとのこと、ほかにはどこに保管されているのか、ご存知の方がいれば教えてほしい。
箱根駅伝であるが、結果は柏原の力走で東洋大学が往路3連覇を達成した。明日の復路如何であるが、東洋大学の3連覇なるか興味がある。一方で2位につける早稲田大学の大学駅伝3冠のチャンスもあり、明日はTVに釘付けとなりそうである。
なお写真のものは、安政6年と元治元年のものである。
渋谷区の文化財 → 算額の紹介 
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# by motokunnk | 2011-01-02 18:09 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)