常盤松地区にも白松があった!

神宮外苑の史跡紹介で絵画館前には白松があると紹介した。そのとき、日本では珍しいと書いた記憶もあるし、実際に絵画館前の白松の説明パネルにもそのような記述があった。実際にもこのように記述されている(小さくて読めないかもしれないが)。
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さて、週末には散策を日課に決めているので家のまわりを何となく歩いていると、背の高い松のような樹木を目にした。近くに行くとなにやら説明板があるではないか。その説明板には白松(はくしょう)と書かれているではないか。白松と書いて「はくしょう」と読むことを初めて知った。黒松や赤松が葉が2枚なのに対して3枚の葉があるなどの違いはあるが、松の仲間のようである。ネットの辞典を調べると
「中国の北西部が原産です。高さは25メートルほどになり、中国では神聖な木とされ、王宮や墳墓、寺院などに植栽されています。樹皮は光沢のある淡灰色です。葉は3個ずつつきます。4月から5月ごろ、淡黄緑色の花を咲かせます。球果は翌年の10月ごろに熟します。」
とある。説明板にも中国から持ち帰り、その後渋谷区に寄贈され、ごらんのように白根記念渋谷郷土博物館前にそのりっぱな姿を見せている。
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# by motokunnk | 2011-01-18 19:54 | 美術館・博物館・美術 | Trackback | Comments(0)

NFLのカンファレンス決勝進出の4チーム決定

昨日のAFCスティーラーズ、NFCパッカーズに続き今日の2試合でAFC、NFCともに対戦相手が決定した。
TV観戦していないので、スコア表及び関連記事から読み取ってみることにする。
まずは早朝に行われたNFCシカゴ・ベアーズとシアトル・シーホークスの1戦から。先週番狂わせを演じたシーホークスであったが、2匹目のドジョウはさすがにいなかったようである。
シカゴのホーム(シアトルも雪は降るが)ということもあり、雪が降っていた第1Qに連続してTDを奪われてしまったようである。オフェンス陣も落球をするなど、攻撃がかみ合わなかったようで前半終了段階で21-0と大きくリードを許してしまった。地元シカゴ、大量リードということで後半ベアーズは無理せずに攻撃をしたと思われる。第3Q終了段階で28-3、これで勝負あり、第4Qにシーホークスが3TDを返したがとき既に遅しの感、セインツに続く番狂わせは起きなかった。
さて続いて行われたAFCニューイングランド・ペイトリオッツとニューヨーク・ジェッツの同地区対決は波乱満載であった。多分ジェッツファン以外の誰もがペイトリオッツの勝利を疑わなかったのではないか。現に今シーズンの試合は第2戦では負けてしまったが、第13戦では45-3と圧勝しており、それから1ヶ月後の対戦、今回も大丈夫という心の中でゆとりというか、安心感がペイトリオッツにはあったのではないかと思われる。
そのプレィが前半終了間際の第4ダウンショート(新聞によると)でのギャンブルではなかったかと思う3ヤードと自陣でギャンブルをするには危険な距離、これが後半残り時間間際であれば当然の選択であろうが、このときのスコアは3-7で4点負けているとはいえ常識ではパント選択であったと思う。その結果としてギャンブルは失敗し、残り時間でジェッツにTDをきめられ前半を3-14で折り返すことになってしまった。
第3QにTDを奪い2ポイントコンバージョンも成功し3点差に詰め寄ったところがペイトリオッツの見せ場であったと思う。直後のオンサイドキック(これも時間を考えれば?)をジェッツに奪われて、いいフィールドポジションからの攻撃を許してしまう。結果として致命的なTDを奪われこちらも勝負あり。ジェッツはAFCに優勝候補といわれたコルツ、ペイトリオッツを連続で打ち破りスティーラーズとスーパーボール進出をかけて戦うこととなった。
蛇足ではあるが、個人的にはトムリンソンを応援している。昨年までは名門と言われたチャージャーズで数々の記録を達成し今期からジェッツでのプレィとなった。1時期のランのすごさは落ちたようだが、RBは走れるだけではなく、今シーズンはショートパスのレシーブも多いようで自身初となるスーパーボール進出へ誰よりも張り切っているのではないか。来週は果たしてどのような結果となるのか楽しみである。
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# by motokunnk | 2011-01-17 18:59 | スポーツ全般 | Trackback | Comments(0)

NFLのディビジョナルプレィオフ、今日の2試合は

今朝、NFLのディビジョナルプレィオフの2試合が行われた。まずはAFCのピッツバーグ・スティーラーズとボルティモア・レイブンズの1戦から始まった。
この試合、前半の早い段階でレイブンズのTDが決まり、ハーフタイムでは14点、2TD差をつけてしまった。これは番狂わせもあるかなと思いきや、後半にはいるとスティーラーズが徐々に本領を発揮し14点差を第3Qで追いついてしまう。そして第4Qにお互いFGで3点ずつをあげた残り2分にQBロスリズバーガーがロングパスを決めその後にTDを奪い、接戦にピリオドを打った。
これでチャンピオンファイナルへ進むことが決まった。相手はペイトリオッツかジェッツかそれは明日決まる。
一方のNFCではグリーンベイ・パッカーズが第1シードのアトランタ・ファルコンズを圧倒しこちらもチャンピオンファイナルへと進出した。この試合はパッカーズQBのロジャーズのパス成功率が素晴らしく、投げれば成功という感じであり、パッカーズファンは見ていて爽快! 一方のファルコンズファンには不愉快に見えたと思う。ロジャーズは足も速く、第3Qでは自らのランでTDを決めてしまい、ファルコンズにしてみればロジャーズ一人に翻弄されてしまったようである。ファルコンズにしてみれば前半終了間際のインターセプトリターンTDを決められ、点差を14点差に拡げられてしまったことが大きな敗因の一つかもしれない。
これでNFCは明日のシーホークスとベアーズの勝者と雌雄を決することとなる。果たして明日はどんな結果が待っているのか楽しみである。
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# by motokunnk | 2011-01-16 18:54 | スポーツ全般 | Trackback | Comments(0)

神社と狛犬その7・目黒川沿いの北野神社

目黒川には散策路が両岸に用意されており、休日はジョギングをする人、ノンビリ散歩をする人、犬の散歩をする人などで賑やかというほどではないが、ある程度の人通りはある界隈である。
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そのなかで、西郷山公園に向かう分岐路から近くの路地裏にこの北野神社はある。すぐ隣には東京コカコーラのセンターがあるので道に迷うことはないようだ。境内と呼ぶには恥ずかしいというようなスペースしかない小さな神社であるが、目黒川沿いに設置された掲示板には「初午祭」のご案内が貼られているなど、この界隈では有名な神社のようである。境内には賽銭どろぼう防止策(実際にあったのであろう、貼紙により、注意喚起がなされている)かどうあkは不明であるが、石造りの社殿がポツンと置かれている。賽銭箱も石造りであった。そこには梅鉢の紋が彫られていた。我家の家紋と同じなので何か親しみを感じてしまった。
さて由緒であるが
「上目黒村の農民秋元市郎兵衛が土中から菅公像を発掘し、これを崇祀したことに始まるといわれ、元中川修理太夫の抱屋敷内(西郷山公園)に祀られてきた。その後、明治13年に現在地に遷座し、現在に至る。」
そうである。もともとは西郷山公園にあったようである。
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狛犬も1対奉献されている。見ると、昭和4年に奉献されたようであるが、当時としてはその顔立ちがユニークである。丸い目もそうであるが、髪の渦巻きなど、パッと見ただけではどこがどこだかわからないような造形である。石工の仕事にも多数の流儀があるようである。狛犬はこうでなければいけないというきまりがないところに面白さがあり、見比べる楽しみがそこにある。
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# by motokunnk | 2011-01-16 13:25 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

りっぱに成長した樹木園・代々木公園散策その8

原宿から代々木公園に入ってすぐ右手の場所に東京オリンピック選手村の宿舎が展示されていることは以前、このブログで紹介した。今回紹介するのはその続きである。
宿舎を横目に見て左へ進むと見事な樹木園が一杯に広がった光景を見つけることができる。この樹木園が「東京オリンピック記念樹木園」である。
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実際に樹木園にある説明板によると
「1964年、世界各国の若人たちが東京オリンピックに参加し、代々木の選手村で青春の日々を過ごしました。彼らはオリンピックを記念し、心の交流と世界平和を願って、自国の代表的な樹木の種子を持ち寄りました。ここにはそれらの種子を育成した樹木が植えられています。
当初、東京に持ち寄られた22カ国24種類の種子は育成のため各地林業試験場に送られました。昭和42年(1967年)には苗木になって代々木公園に戻り、現在の場所に植えられました。」
とある。横に樹木園の地図があり、そこには樹木名(国名)が書かれてある。残念ながら「マルバトネリコ」(イラク)には枯渇と記されており、実際には存在していない。
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他の樹木には、その樹木が何であるか、どこの国からのものかがわかる世界地図が表示されたプレートが添えられて、散策をする人に解りやすい説明をしてくれている。東京オリンピックから40年以上が過ぎ、当時は苗木だったがご覧のように今は一人前のりっぱな樹木となって見る者に緑を満喫させている。
代々木公園にはまだ知られていない場所が多々あるようである。
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# by motokunnk | 2011-01-15 15:58 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)

1月15日の朝食は小豆粥

物心ついたときから、我家の1月15日の朝食は小豆粥であった。そして今日も小豆粥を食べた。今年のこと、何故15日に小豆粥を食べるのかと疑問に思った。
カミさんから、鏡開きの日に食べるのではないかと聞かれ、小豆粥を食べる風習について知らなかったのが原因であった。そこで調べてみると1月15日は小正月で、その日に1年の健康を祈って小豆粥を食するのだということがわかった。
もともとは七草粥と同様、中国の風習であったようであるが、それが日本に伝わり、小正月には小豆粥となったようである。毎日の風習のなかで何気なくしている行為自体もいわれを調べると勉強になるものがたくさんある。またひとつ勉強してしまった今朝の朝食であった。
たなみに以前、成人の日は1月15日であったが、これも昔は小正月の日に元服するという慣わしがあったことによるものからきめられたようである。ウィキペディアは雑学を得るツールとしてはかけがえのないものとなってきているようである。
ウィキペディアでは
小豆粥 → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%B1%86%E7%B2%A5
小正月 → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%AD%A3%E6%9C%88
と説明されている。
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# by motokunnk | 2011-01-15 07:51 | 日記 | Trackback | Comments(0)

寺院と狛犬その6・都内最古の狛犬/目黒不動

狛犬がいるといえば、神社が多数であるが、寺院を守っている狛犬も数多くいる、もともと狛犬の歴史をたどってみると、ウィキペディアには次のようにある
「獅子や犬に似た想像上の獣の像である。一般的に神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる。
飛鳥時代に日本に伝わった当初は左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、やがて二頭の外見上の違いが少なくなって、現在では左右いずれの像も狛犬と呼ぶのが一般化している。」
現在は2頭とも狛犬と呼んでいるが、過去にはそれぞれ獅子と狛犬と呼び名が異なっていたということがわかる。
さて今回の狛犬は神社ではなく、寺院にある狛犬である。瀧泉寺(目黒不動)の狛犬は都内最古の狛犬であるそうである。
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といって、境内を入りすぐ目につくところにある狛犬ではないようだ(写真の狛犬)。境内を進み本殿を目指して階段を上りきったところに風変わりな狛犬が奉献されている(下の写真の狛犬)。見てわかるように髪の毛(狛犬の場合は何と言うのであろうか)が長くカールしているではないか。
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写真では顔はわからないが、この顔もけっこう一度見たら忘れられない迫力のある顔をしている。
承応3年(1654年)建立とのことであるから、400年近くもこの目黒不動を守っていることになる。狛犬といえど、同じ場所から不動明王を守っていることに対して、頭が下がる思いである。
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# by motokunnk | 2011-01-14 19:37 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

北条氏の居城であった小田原城

小田原まで来たのであるから、やはり小田原城に行かなくてはいけないと思い、帰りに小田原城に寄ってきた。居神神社方面から小田原城へは北入口が便利なようで、正門からではなくの入場であった。
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さて歩いていくとすぐに天守閣を望む場所にたどりつくことができた。昔、訪れたときは何故か天守閣までが遠かったような気がしたが、それは気のせいだったのかもしれない。歴女という言葉があるように、今は歴史ブームのようで、戦国時代の衣装を貸すお店も出ていたし、いかにも歴女という女性が戦国武将のイデタチで散策している姿を見かけた。家族ずれまでが戦国衣装に身をつつんで散策している姿を見ると何となく心がなごんでしまったのも歳をとったせいかもしれない。
さて天守閣は建設当時のものがそのまま残っているのかと思ったがどうもそうではないようだ。歴史を見ていくと
「室町時代駿河国の大森氏が、今の小田原高校が建っている東側の八幡 山故郭と呼ばれる丘陵上に城を築いたのが始まりといわれている。 明応4年(1495年)に 北条早雲が攻略し当時の城主、大森藤頼を追放したが、その頃の小田原城は小規模であっ た。 その後 故郭を中心に同心円状に広がり、北条市の勢力拡大とともに、今の本丸や 二の丸にまで広がったという。」
また、その後も大火や天災などがあり、天守は被災して今の天守閣は再建されたものだそうである。
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天守閣から二の丸に下っていくと、常盤木門が目に入る。この門は小田原城の中で最も大きく堅牢であったという。惜しくも門自体は元禄年間の大地震で崩壊してしまったが当時の記録を元に昭和に入りご覧のように見事に再建されている。
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階段を下りていくと、小田原市指定の天然記念物となっている「小田原城跡のイヌマキ」(左の写真)の木や「小田原城跡のビャクシン」(右の写真)の木を見ることができる。いずれも高さが十数メートルにもなる大木である。大木を背景に記念写真をとる家族連れの姿もあり、小田原城に来て1日を過ごすのもよいかもしれないと思ってしまった。老後はノンビリと小田原あたりに居をかまえるのもいいかもしれないと考えてしまう小田原行脚であった。
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# by motokunnk | 2011-01-13 20:19 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

久しぶりの小田原、古碑群探しの旅

先週、何十年ぶりかで小田原に行ってきた。正確には初台の病院を退院後に初台の前にリハビリでお世話になった小田急線沿線の鶴巻温泉病院を訪ねた足で、小田原まで足を伸ばして以来である。そのときは駅構内で食事をして帰宅したので、小田原市内を歩くのは大学以来ではないかと思う。何故、小田原かというと、ネットサーフィンをしていて古碑群がある神社が小田原にあることを知り、実物を見に行こうと思った単純な理由からである。
さて目指す神社は居神神社(いがみじんじゃ)である。小田原駅からお城を通り越して国道1号線を箱根方面へ歩くと国道に面して居神神社の参道(といってそれほど広くはないがわかりやすい)が出現する。
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その参道入口には、「御祭神」と「居神神社と小田原市指定重要文化財「古碑群」」を書かれて説明板が目につく。またこの説明板のしたには、歴史と文化の香るまち散策コースという看板もご丁寧に貼られている。さて鳥居をくぐりその先に続く階段を登りきると1対の狛犬に守られた拝殿が目に入る。正月ということもあり、目につく程度の参拝客もいるようである。
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さて拝殿の裏に目指す「古碑群」が置かれている。さすがに小田原市の重要文化財指定を受けているだけあり群として見る価値があるように思えた。小田原市のホームページにも古碑群の説明が掲載されている。
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<五輪塔線刻碑>
  塔の高さ51.1cm 五輪塔の高さ36.4cm
<五輪塔線刻碑>
  塔の高さ70.0cm 五輪塔の高さ44.0cm
<五輪塔陽刻碑>
  塔の高さ57.5cm 五輪塔の高さ42.5cm
<文保元年銘板碑>
  塔の高さ140.0cm 巾42.5cm
  文保元年(1317)12月24日と刻
<元亨二年銘板碑>
  塔の高さ140.0cm 巾51.5cm
  元亨二年(1322)12月14日と刻
詳しくは → 小田原市文化財のページ
次に居神神社の由緒について書くことにする。
「創立年月等旧記焼失して詳ならず。古老の口碑に永正年間(1504~1521)の勧請と伝えられる。陸奥守従四位下、三浦道寸義同公の息子荒次郎義意公(弾正少弼)は、当年21才の若武者・筋骨たくましく85人力といわれ、白樫の八角棒を打ち振り群がる北条軍五百余人を次々と薙倒し、獅子奮迅の働きもむなしく永正15年(1518)、早やこれまでと自刃したが、その首級が飛んで当山の古松の枝にかかった。そして三年の間眼を開いたまま落ちなかったと言う。路往く人々これを見て気絶をなし、死に至れる者さえも出たといわれ、この事を聞いた小田原久野総世寺の忠室和尚が、「うつつとも夢とも知らぬ一眠り、浮世の隙を曙の空」と詠んで手向けたところ、首は松の枝から落ち、その時中空に声あり「今より禍いを福に転じ、永く当所の守護神となるべし」と聞こえたという。その松の下に祠を建て荒次郎公の霊を祀ったのが当神社であると伝えられている。当町十字二丁目、三丁目、四丁目、大窪村板橋の鎮守で、明治6年旧足柄県に於て村社に定められ、明治43年、大窪村板橋浅間神社、秋葉神社を合併する」(参拝の栞から引用した)
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最後に狛犬であるが、昭和初期に奉献されたと思われるものが拝殿を守る形で配置されていた。
さて、折角小田原まで来たのだから小田原城を見て帰ろうと城への道を歩いていくとさきほど紹介した「散策コース」の道標があり、近くに北原白秋ゆかりの「伝肇寺」があることを知った。
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寄り道しようかと思い、急な坂道を転ばないように登っていくとご覧のみみづく寺の碑が山門脇に建てられていた。御用の方は幼稚園までとの貼紙があり、門は閉じられていたので引き返したが、後で調べると幼稚園内に赤い鳥の記念碑があることを知った。ここまできたのだから是非見ておけばよかったと帰宅してから後悔したのである。
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# by motokunnk | 2011-01-12 20:23 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

昔から交通の要所にある神社・上目黒氷川神社

国道246号線と山手通りの交差する地点、首都高速でいえば大橋ジャンクションの真上にこの上目黒氷川神社は建っている。昔もこのエリアは交通の要所であったようで246号線に面した鳥居の下には「大山道」を現す石碑が置かれている。
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実は昨日、参拝したのであるがちょうど近所の少年野球チームであろう団体が新年の初詣にきていた。コーチ陣も同伴していたので、ユニフォームを着ていなければ商店街の初詣と間違えそうであった。
さてこの氷川神社(このブログで紹介する5つ目の氷川神社となる)の由緒を調べると
「旧上目黒村の鎮守。天正年間(1573年から1592年)に旧家加藤氏が甲州上野原の産土神をこの地に迎えたといわれる。当社では、昔よりこの氏子は疫病を知らずと云い伝えられている。明治45年には北野神社を合祀し現在に至る。」
とある。歴史ある神社である。狛犬も複数奉献されていたが、あいにく逆光であったためうまく撮ることができなかったのので今回紹介は見送ることにする。再度参拝した際に紹介できればと思う。
さて246号線から階段を上って境内にたどり着くのだが、階段は急でお年寄りにはつらいかもしれない。かく言う私も転ばぬように手すりをつたわりながら注意して登った。また帰りは裏に階段があり、そちらのほうがいくぶんかゆるやかな階段のように思えた。次回の訪問はこちらを利用しようと思う。渋谷方面から246号を歩き、右手のほうに見える鳥居が目印である。
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# by motokunnk | 2011-01-11 19:38 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)