ガーデンプレイスにある神社

恵比寿ガーデンプレイスといえば、10年近く前にできた街である。旧サッポロビール跡地を商業開発したものでオフィスビルやホテル、住居などが林立している。その一角にはサッポロビールの本社やビール博物館など、ビールの歴史がわかる文化施設も建てられている。
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さてその一角に「恵比寿神社」が祭られている。上場企業の多くは商売繁盛を祈願して稲荷神社を建てるものである。この恵比寿神社ももともとは商売繁盛のためにサッポロビールが建てたものである。それがガーデンプレイスができるにあたり、神殿を新調して一般に公開するようになった。説明板にはそのように書かれている。一度、ガーデンプレイスに行かれた際は立ち寄ってみてはいかがであろう。きっとご利益があると思うが。
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# by motokunnk | 2010-10-05 20:21 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

小沢一郎、強制起訴へ

今日の夕方の話題は小沢一郎強制起訴のニュースでもちきりである。最新の記事では小沢一郎本人の談話がでている。
「この度の私の政治資金団体に関る問題で、お騒がせしておりますことに心からお詫び申し上げます。
私は、これまで検察庁に対して、私が知る限りのことは全てお話をし、二度にわたり不起訴処分となっており本日の検察審査会の議決は、誠に残念であります。
今後は、裁判の場で私が無実であることが必ず明らかになるものと確信しております。」

と今までどおりの釈明を繰り返している。ただ、当時の事務所の秘書たちが起訴され、公判中であることを考えると、小沢一郎本人のみが知らなかったでは済まされない問題であると思う。民主党の元代表も実母からの献金を知らなかったで通してしまったが、どうも政治家の皆さんには一般常識とはかけ離れたところに常識、非常識の線引きがあると思う。
多分、起訴され捜査が進むと思うが、小沢一郎の考えているとおりに、裁判まで持ち込むだけの証拠は集まらずに公判を維持することはできないと思う。それだから小沢一郎は代表選にでたのであろう。ただ強制起訴されたことにより、今後の政治活動は極端に制限されるであろう。よくも悪くもこれで古い体質の政治から脱却できるのではないか。

新聞記事はこちら → 読売新聞の記事
用語解説(時事通信社のページから)
起訴相当について
検察官が起訴しなかった処分について、検察審査会が被害者らからの申し立てを受けて審査し、出す議決の一つで、さらに詳しい捜査を求める「不起訴不当」よりも踏み込んだ判断。現状では検察官の判断を拘束しないが、2009年までには、起訴相当を2回議決した場合などに起訴を義務付ける改正検察審査会法が施行される。最高裁によると、03年までの約5年間に全国の検察審査会が審査した8700件余りのうち、不起訴不当は約7・3%あったが、起訴相当は16件で約0・2%にとどまっている。
検察審査会について
各地裁や主な地裁支部に置かれる。選挙人名簿から選ばれた審査員11人が、申し立てを受けて不起訴処分の是非を審査し、「起訴相当」「不起訴不当」「不起訴相当」いずれかの議決をする。任期は半年。3カ月ごとに半数が交代するが、任期中は非常勤の国家公務員となる。従来、議決に法的拘束力はなかったが、一定の拘束力を持たせる改正検察審査会法が昨年5月に裁判員法とともに施行された。新制度は、起訴相当を議決した事件が再び不起訴になっても自動的に再審査し、起訴すべきだとの議決が出ると、裁判所指定の弁護士が起訴する。
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# by motokunnk | 2010-10-04 19:07 | 日記 | Trackback | Comments(2)

都会風のモダンな神社

公園通りのはずれにこのモダンな神社がある。名前を北谷稲荷神社という。ビルと融合した形で建立(設計は菊竹清訓のようである)されている。
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由緒を調べると「創立は詳ではないが、「新編式蔵国風土記稿」に「田中賛岐守直高文明年間(1469~87)駿河より移りし時其の邸内の艮の方に勧請せり」とある。万治年三年(1660)大破のさい再建した棟札によると、文明以前の鎮守ではないかと考えられる。」
とネットのページにでており、かなり歴史ある由緒ある稲荷神社であることがわかる。見てのように本殿(といえるかどうか)は洒落ているが、手水盤や、境内社とその狛犬などが昔のまま残っておりそのアンバランスさが都会の神社らしくてよい。
さて秋のスポーツシーズン本番である。中山競馬場では秋初戦となるスプリントG1「スプリンターステークス」が開かれる。グリーンバーディーという香港馬が1番人気となっているが、人気通りの決着となるかは?、確かに前哨戦はわずかの差で2着であったが強かった印象がある。
そしてモテギではMotoGPの日本GPが開催される。富沢祥也追悼の意味もあり、日本人ライダーは各クラスで頑張って予選を走ったようである。今日の決勝、Moto2クラスの高橋を筆頭にぜひ表彰台目指して頑張って欲しい。さて私はTV観戦であるが、どちらを見ようか悩んでいる。
さて、これからどこぞの神社に祈願にでかけようか。
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# by motokunnk | 2010-10-03 08:47 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

祥雲寺の鼠塚

昨日から愛煙家にとっては厳しいタバコの大幅値上げが実施された。愛煙家であった私ではあったが、病気発症後からは禁煙生活を送っており、タバコをすいたいと思ったことは一度もない。いいときに病気になり禁煙できたとポジティブに考えることにしている。さて喫煙するのは、ニコチン依存症といわれるが、愛煙家には2種類あるそうである。ストレス解消から喫煙するタイプとニコチン依存症といわれる。私は前者のようであったからスパッと禁煙ができたのであろう。ちなみに健康保険で禁煙ができる(医者にかかって禁煙をするのはニコチン依存症を治すためであり、私のようなストレス解消からの喫煙は対象外だそうである)
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さて話はかわり、黒田長政の墓のある祥雲寺墓地には入ってすぐのところにこのような鼠塚が建てられている。これも説明が書かれており、明治30年代前半に東京ではペストが大流行したそうである。そのため、伝染予防のため大量の鼠が捕獲され殺処分された。
その霊を供養するために、全国でも珍しい動物供養の慰霊碑が明治35年に建てられたそうである。全国津々浦々を調べたわけではないが鼠を供養した記念碑はここだけのようである。たいへん貴重な慰霊碑であるようだ。
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# by motokunnk | 2010-10-02 07:58 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)

宮川実を知っていますか

私も今日までこの名前を知らなかった。たまたま購入した「ナンバー」にこの騎手が特集されていた。騎手といってもJRA所属ではなく、高知競馬所属の騎手である。
なぜ「ナンバー」で特集されているかというと、彼は隻眼騎手だからだ。昨年の5月に高知競馬場で落馬してしまい、左目を失明してしまった。JRAでは今年トップジョッキーの落馬負傷(つい最近も横山典弘騎手が落馬して秋のG1シリーズ欠場が決定的であるし、岩田康誠騎手も落馬負傷で休養中である)が多いが、幸いなことに騎手生命が絶たれるような事故にはなっていない。
ただ宮川騎手の場合は騎手生命が絶たれてしまっても不思議ではない、失明である。「ナンバー」によれば、彼は騎手をやめるのであれば、調教師など競馬関係に残ることはせずに、きっぱりと競馬社会から引退と考えていたそうである。調教師の先生が過去に隻眼騎手として活躍した騎手がいるということを話したことがきっかけで1年かけて復帰をしたそうである。
復帰後は、強引なレースが多かったといわれる事故前に比較して馬の気を大切にするレースを心がけているそうであり、復帰後も勝ち鞍をあげている。ハルウララで一躍有名になった高知競馬であるが、宮川騎手を知ったことで高知競馬に親近感を覚えてしまった。そういえば、JRAの名騎手であった福永洋一氏も高知出身で高知競馬には福永洋一記念というレースが今年から開催されるようになったそうである。JRAもいいけれど地方競馬に注目してみるのもいいかもしれない。

復帰を伝える新聞記事 → 日刊スポーツ
高知競馬 →  ネット投票の申し込みページもある競馬場トップページ
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# by motokunnk | 2010-09-30 19:19 | スポーツ全般 | Trackback | Comments(0)

文豪の旧居

我家の近所に昭和の文豪の住まいがある。実際、私が小学生の頃に白髪の老人をよく見かけたものである。品のよさそうな老人だなあとは思っていたが、まさかその老人が志賀直哉だとは思いもよらなかった。
ということで、志賀直哉が晩年を過ごした住居が我家のすぐそばにある。志賀直哉といえば、白樺派を代表する小説家のひとりで、代表作は『暗夜行路』、『和解』、『小僧の神様』、『城の崎にて』などがある。どれも秀作であり一度は読んでみたい本である(残念ながらまだ読んだことはない)。これを気に読んでみようかと思っている。
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現在も志賀家の方が自宅として住まわれている。ただ、この入口は閉められており、通常は別の通りに面した表玄関から出入りされている。
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# by motokunnk | 2010-09-29 19:14 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

E259系の新技術

E259系といって、私は鉄道オタクではない。先日あるIT系の技術者と会ったときのことである。彼は猫と犬がでてくるCMで犬は固定、猫は移動というキャッチが受けているUQ-WiMAXの会社人間である。
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彼曰く、成田エクスプレスの液晶TVにデータ送信する仕組みとしてWiMAXが利用されているとのことである。早速調べてみると確かにプレスリリースがでていた。
「WiMAXにより高速走行する車両と地上間で高速な情報伝送が可能になり、動画コンテンツ等の大容量データの伝送がタイムリーかつ低コストにできるようになりました。」(プレスリリースより)
確かに、大容量のデータ転送にはWiMAXが優れていることは自明であるから、電車の液晶に天気予報やフライト情報などを表示するのには適していると思う。
とここまで書いていたら、何と車内でもWiMAXが利用可能になっているそうだ。今年の7月下旬からサービスを開始したという記事を発見した。世の中の進歩を実感している毎日である。一度成田エクスプレスに乗車してみようかな。

新聞記事はこちら → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100723-00000052-zdn_m-mobi
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# by motokunnk | 2010-09-28 19:16 | 最新技術 | Trackback | Comments(0)

黒田長政の墓

戦国武将として有名な黒田長政の墓が広尾にある。この写真がその墓である。
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では、歴史を紐解いて黒田長政について調べてみる。今回は私の記憶によるものであり、間違いがある場合はご容赦願いたい。長政はご存知、黒田官兵衛の長男である。荒木村重が謀反を起こしたとき、官兵衛はその説得係りとして村重の居城に出向くが、逆に幽閉されてしまう。織田信長は長政を殺すように秀吉に指示する(官兵衛は織田信長の家臣であり、長政は人質として信長家臣の秀吉に預けられていた)。ところが、秀吉の家臣・竹中半兵衛が指示を無視してかくまっていたそうである。そのおかげで晴れて黒田官兵衛が助けられたときに息子との対面ができたといわれる。長政自体もある意味では、数奇な運命をたどった戦国武将であったのかもしれない。信長暗殺後、秀吉の世界になると黒田官兵衛は家督を長政に譲り、黒田家は長政の代となる。一説には黒田官兵衛の力量をよく知っている秀吉の黒田家つぶしを未然に察知した黒田官兵衛の機転という説もある。
そして関が原では、徳川家康につき、武功をあげて大名となった。その墓が広尾の祥雲寺にある。そして渋谷区の区指定史跡となっている。
なぜ渋谷区にあるかは、区のホームページに簡単な説明があるのでそちらを参照してほしい。祥雲寺には他にも有名人の墓がある。それらをおいおい紹介していくことにする。

区指定史跡黒田長政の墓
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# by motokunnk | 2010-09-27 19:47 | 記念碑 | Trackback(2) | Comments(2)

渋谷道玄坂の東京新詩社跡

道玄坂を登ること1分程度、マークシティ入り口への曲がり角を左に曲がるとこの木柱が歩道の片隅に立てられている。
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木柱は、平日はサラリーマン、休日ともなると若者たちで賑わうマークシティ界隈に数十年前に与謝野鉄幹、晶子夫婦が設立した東京新詩社があったことを知らせている。
では東京新詩社とはどのようなものなのか、調べてみた。
ネットによれば(相変わらず、この一言からはじまってしまうが)、
与謝野鉄幹主宰の詩歌結社。早くから和歌革新運動に従った鉄幹は,1899年新詩社を結成し,翌年機関誌「明星」を創刊した。短歌を中心としてはなやかな浪漫主義文学運動を展開し,与謝野晶子、高村光太郎、石川啄木、北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、佐藤春夫らを世に送った。
とある。いずれも1900年代初頭に活躍した文豪たちである。この場所で住いを変えながら「明星」を発行していたのである。その後千駄ヶ谷に移り住んでいる。
木柱には渋谷区教育委員会の言葉が書かれている。
「与謝野鉄幹は明治34年(1901年)麹町から渋谷に移り住み、晶子と結婚しました。東京新詩社の機関誌『明星』を12号から発行し、晶子も歌集『みだれ髪』を刊行しました。詩歌革新を目指して盛んに文学活動を行いましたが、明治37年に千駄ヶ谷に移るまでに、この近くに2度住まいを変えています。千駄ヶ谷に移り住んでから、東京新詩社は最盛期を迎え、晶子も歌集『恋衣』や『夢の華』などを刊行しましたが、新詩社の機関誌『明星』が100号で廃刊される事態となり、明治42年に神田駿河台に移りました。」
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# by motokunnk | 2010-09-26 08:16 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)

大船の観音さま

JR東海道本線大船駅を通過する際、車窓からこの観音様をよく目にする。仕事柄大船に出向くことがよくあり、観音様には親しみを感じていたが、その生業については知らなかった。そこで今回調べてみることにした。
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観音様、実は大船観音寺というりっぱな寺院の観音様のようである。ホームページの沿革を読むと、観音寺は神奈川県總持寺を本山とする曹洞宗の末寺であり、聖観世音菩薩が本尊と記載されている。
ではこの観音様はどうして生まれたのかというと、昭和4年2月に金子堅太郎氏、頭山満氏、清浦圭吾氏、浜地天松氏、花田半助氏らが集い、「観音思想の普及を図り、以て世相浄化の一助となさん」という「護国大観音建立会」の趣意書を作成し、観音像建立費15万円、付属施設建設費5万円を目標金額とする寄付金の勧募が始められた。
同4月に起工式が行われ、工事が進められた。その過程で建つ場所の関係から立像ではなく、胸像に変更されたことや世界同時不況の影響で昭和9年に工事半ばで中断してしまった。その後第二次大戦などがあり、観音様建立の動きはなかったが、昭和29年になり、東急電鉄のボスでもあった五島慶太氏らが中心となり、財団法人「大船観音協会」ガ設立、観音様建立に向けての動きが再開された。
昭和32年5月18日、起工式が行われ、昭和35年4月28日に落慶式が行われている。総工事費は4千数百万円だったといわれる。東急グループが全面的にバックアップしていたそうである。その後、財団法人ではなく、曹洞宗の包括下にある「大船観音寺」としての準備と手続きを行い、昭和56年11月20日神奈川県より寺院としての認証を受け、現在に至っているとのことである。(以上、ホームページより抜粋)
観音寺には原爆慰霊碑も建立されており、9月下旬(ちょうど今頃)にこの原爆慰霊碑の前に被災者が集い慰霊祭が行われている。あいにくの雨であるが多分今年も今週末に開かれるのではないかと思う。一度、大船駅西口から出てこの寺院をお参りしようと思っている。
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# by motokunnk | 2010-09-25 09:00 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)