記憶に残るレーシングカー・その4

第1期ホンダF1チームの代表的なマシンといえばRA272が有名であるが、今回は1968年、長くホンダがF1を休止してしまう最後の年に活躍したRA301についての思い出を語りたい。
前年の1967年、ホンダチームはJ.サーティースと契約し、チャンピオン獲得を目指していた。この年のイタリアGPでRA300が劇的な優勝をとげるわけであるが、このマシンはホンドーラとも呼ばれ、サーティースがローラと関係が深かったので、ローラのフォーミュラマシンを流用してホンダのエンジンを載せたとも言われ、このような呼び名がついている。
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その汚名返上のため、そしてワールドチャンピオン獲得のためにこのRA301は開発されたといえる。確かに、ホンダはエンジンは優秀だが、シャーシーは?といわれないために、シャーシーにも工夫をもらし、車重も軽量化されている。このマシンを駆ってホンダは快進撃をするはずであったが、シーズンが中盤を迎えてもマイナートラブルで完走すらままならない状態であった。そこに追い討ちをかけるようにオール空冷のRA302を発表し、サーティースの熟成もしていないマシンをデビューさせるのは時期尚早だとの忠告を無視して、何とフランスGPでシュレッサーの手によりデビューさせてしまった。当時ホンダはオール空冷の乗用車を発表しており、セールスプロモーションの一環でデビューをあせったのかもしれない。
その結果は最悪! 雨も災いしたのかもしれないが、なんと3周目にクラッシュしてドライバーのシュレッサーは死んでしまった。このこともあり、ホンダはこの年でF1から撤退し、20年近くを経てエンジンサプライヤーとしてカムバックするわけである。ある意味、RA301は悲劇のマシンであったかもしれない。ベルギーGPなどではトップを快走していたわけであり、熟成が進めばGPの勝利も確実だったのかもしれない。
写真は、お台場で撮ったもので、先に紹介した「ニッサンR382」と同じ年にこれもひっそりと展示されていたことを記憶している。
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# by motokunnk | 2010-12-03 20:06 | Racing Car | Trackback | Comments(0)

記憶に残るレーシングカー・その3

今回は、私とモータースポーツとの出会いについて語ることにする。今から40数年前の1966年5月2日、たまたまTVを見ているとなにやら車が走っているシーンが映し出されていた。それも豪雨の中を走っているではないか、また見たことのない車が爆音を立てて走っている姿に美しさを感じてしまった。それがこの「ポルシェ906(カレラ6)」であった。見ていたのは日本GPの予選であった。
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当然、翌日の日本GP決勝もTV観戦したのを覚えている。これが私のモータースポーツ好きとなった原点のレースである。
このレースは「ニッサンR380」が優勝するのであるが、ポルシェ906をブロックして先頭のR380を逃がした生沢徹の活躍が後々の伝説となっていることでも有名である。このポルシェを駆っていたのは滝進太郎で翌年の暮れに「タキレーシングチーム」を発足させて、レース黎明期にビジネスとしてプライベートチームを成立させることに挑戦した先駆者と評価されている。
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さて、このポルシェ906であるが、1966年からスポーツカーレースの規則が変更となり、50台以上生産された車にチャンピオンの資格が与えられる(グループ4)ことになり、ポルシェが1966年に発表し、見事に2000cc以下のチャンピオンとなったマシンである。1967年の日本GPには3台のポルシェ906が参戦し、生沢徹の8号車が見事に優勝しているので、日本のレースファンにはおなじみのマシンともいえる。またその後もレースに参戦して数々の優勝を飾っており、レース黎明期からのファンにとっては懐かしいマシンでもある。
写真のポルシェ906は、数年前のノスタルジックカーショーで撮影したものである。この年は同じポルシェの962も出品されていた。このマシンは後日紹介しようと思う。
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# by motokunnk | 2010-12-02 19:24 | Racing Car | Trackback | Comments(2)

記憶に残るレーシングカー・その2

昨日に続いて1960年代後半のレーシングカーについてである。「トヨタ7」のライバルであった車について紹介する。その車はニッサンのR380シリーズの最強マシンと私は考えている「ニッサンR382」である。
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1969年10月に開催された日本GPで優勝したマシンが21のナンバーをつけた黄色の車体があざやかなこの「R382」である。黒澤元治が駆り、北野元を引き連れてニッサンに1,2フィニッシュをもたらしている。直前の前哨戦では「R381」の改良版で「トヨタ7」に苦杯をなめていたが、この「R382」は当初は5リッターV12エンジンであったものを日本GP直前に6リッターにパワーアップされている。この1リッターの差が「トヨタ7」に勝利した要因であると当時のマスコミは書きたてた記憶がある。
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ただ、今冷静に考えると、ニッサンワークスのドライバー(高橋国光、北野元、黒澤元治)がトヨタワークスのドライバー(川合稔、細谷四方洋、高橋晴邦他)よりも経験も豊富で、レース駆け引きにひいでいたのではないかと思う。残念なことにこの「R382」はその後翌年に1レースのみを走っただけでニッサンは公害対策に専念するとの理由でレース活動を休止してしまう。今となっては中学生だったレース好きの私のいい思い出の1台のマシンである。
この写真もお台場のイベント時に撮ったものである。他のレーシングマシンと一緒に絨毯が敷かれたひな壇ではなく、ひっそりと飾られていたことを昨日のように思い出す。
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# by motokunnk | 2010-12-01 19:19 | Racing Car | Trackback | Comments(0)

記憶に残るレーシングカー

土曜日に「クラシックカーフェスタ」に行ってしまったのが発端なのかもしれないが、車好きだった過去(自動車レース好きと訂正しなければいけないかもしれない)を思い出してしまった。
というわけではないが、過去に撮った写真をベースに思い出などをつづってみたい。まず1回目は「トヨタ7」についてである。この車は1969年に活躍した車であり、ちょうどそのころ人気のあったグループ7のレースで優勝した車のレプリカであろうと思われる。
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1966年から北米大陸ではCan-AMシリーズというグループ7(オープン2シーターのレーシングカー)のレースがはじまり、人気を集めていた。そして1968年にシリーズ終了後に日本にシリーズを戦ったチームを呼んで日本Can-Amなるレースが開催された。第1回は、P.レブソンのマクラーレンが優勝し、日本から参戦した「トヨタ7」が福沢幸雄のドライブで4位に入っている。福沢はあの福沢諭吉の曾孫で、翌年の1969年に今回説明する「トヨタ7」試作車のテストドライブ中に不慮の事故で一命を亡くしてしまった。当時は週刊誌を賑わしたものである。
そして1969年の第2回日本Can-Amでこの「トヨタ7」が優勝するわけである。前年は3リッターV8エンジン搭載であったが、この年は5リッターV8エンジンを搭載し、海外のグループ7勢に負けない馬力を有していた。ただ、海外の一流チームが来日しなかったこともあるが、ぶっちぎりの優勝であったと記憶している。優勝したドライバーは川合稔であり、当時タレントの小川ローザと付き合い、結婚したように記憶している。ただ、この川合稔も1970年にトヨタが本場のCan-Amに挑戦するために作成した「トヨタ7」のテスト中に事故死してしまう。ちょうどオイルショックの時期でもあり、トヨタのレーシング活動が休止された。このこともあり日本のレースシーンはプライベート中心のレースが主流となっていく。
さて写真のトヨタ7であるが、前年のトヨタ7をモディファイした製作されている。10月に開催された日本GPではウィングが禁止されており、リアスタイルは平凡であったのが、日本Can-Amの際には、ご覧のようにウィングが装着され、操縦性がかなり改善されていたようである。この写真は数年前のお台場で撮ったものであり、レストアされて本邦初公開であったように記憶している。
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# by motokunnk | 2010-11-30 19:43 | Racing Car | Trackback | Comments(0)

「なんじゃもんじゃ」の名木・外苑史跡紹介(1)

神宮外苑、絵画館に向かって右手にこの木は植わっている。そして説明板が横にあり、記念碑まで建てられている。よほど有名な名木であるに違いないと調査してみると意外なことがわかった。
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神宮外苑に関することは明治神宮のホームページに掲載されていることを発見した。そして明治神宮のホームページの中にはQ&Aコーナーがあり、なんとこの「なんじゃもんじゃ」について質問されているではないか。そして丁寧な回答まで用意されているではないか。そしてそこには次のように書かれている。
「『なんじゃもんじゃ』とは木の種類にかかわらず、その地方に珍しい、正体不明の立派な木を指していいます。昔、江戸青山六道の辻(現在は明治神宮外苑内)の人家にあった木は名前がわからないので「なんじゃもんじゃ」(または青山六道の辻にあったことから別名「六道木」)と呼ばれていました。ちなみに「なんじゃもんじゃ」とは「何じょう物じゃ(なんというものか)」の意味です。そしてこの名前の由来について面白いエピソードがあります。ごぞんじ水戸黄門こと徳川光圀(みつくに)が時の将軍に「あの木は何という木か」とたずねられ、その返事に窮してとっさに「なんじゃもんじゃ!」であると答えたと言われています。将軍に対しての名即答ぶり、さすが名君のほまれ高い黄門さまならではの逸話ですね。
 外苑の『なんじゃもんじゃ』の木は和名『ヒトツバタゴ』といいモクセイカ科の落葉高木で、岐阜県東南部と隣接する愛知県の一部、対馬の北端鰐浦(国の天然記念物に指定)、朝鮮、台湾及び中国の暖帯に分布し、五月に雪のような白い清楚な花を咲かせます。ヒトツバタゴは「一つ葉のタゴ」(タゴはトネリコ※のこと)の意味で、江戸時代尾州(尾張の別称)の藩士でまた植物学者としても有名であった水谷豊文(みずたに・とよぶみ)という人が尾州でトネリコによく似た木を発見しました。トネリコ(タゴ)は複葉ですが、この木は単葉(一葉)だったので「ヒトツバ(一つ葉)タゴ」と命名したそうです。(以下略)」
なるほど、木の種類は「ヒトツバタゴ」というモクセイ科の落葉樹で5月には綺麗な花を咲かせるそうである。また5月になったら色づいたこの木を訪ねてみることにしよう。いろいろな場所を散策していると時期をかえてまた来てみたくなる場所が見つかるものである。
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# by motokunnk | 2010-11-29 20:20 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)

まさかの降着で、ローズキングダムがJC制覇

最後の直線で事件はおきた。いつものようにブエナビスタが追い込みをかけ、鮮やかに差し切り勝ちをおさめたと誰もが思っていたが、長い審議はブエナビスタについてであった。
直線でローズキングダムの進路を妨害したとのことで降着扱いとなってしまった。確かにVTRを見ると、スミヨンのムチに対して若干よれてローズキングダムの進路を妨害しているようにも見えるが、ちょっと厳しい判定のようにも思える。
一方優勝したローズキングダム、バラ一族悲願のG1制覇(2歳戦を除く)であり、武豊にとってもJRA中央の連続23年G1制覇を達成した(交流G1で既に達成したはいるが)。ファンにしてみれば、後味に悪い決着となった。真の決着は有馬記念でつけて欲しいものである。
30回の記念すべきJCはある意味、ブエナビスタの降着という忘れられない結末とともに記憶に残るレースとなった。
ジャパンカップの結果
1 6 ローズキングダム  牡3 55.0 武豊      2:25.2
2◎16 ブエナビスタ     牝4 55.0 C.スミヨン  2:24.9 (1位降着)
3 2 ヴィクトワールピサ 牡3 55.0 M.ギュイヨン 2:25.2 ハナ
4 8 ジャガーメイル   牡6 57.0 R.ムーア   2:25.3 3/4
5○ 7 ペルーサ        牡3 55.0 安藤勝己    2:25.3 クビ

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# by motokunnk | 2010-11-28 16:29 | スポーツ全般 | Trackback(1) | Comments(0)

千駄ヶ谷八幡神社ってどこのこと?

昨日、神宮外苑を散策しているとバス停に「千駄ヶ谷神社前」と書かれている場所があった。「鳩森神社」なら知っているが千駄ヶ谷八幡とは一体どこにあるのだろうと思っていたら、「鳩森八幡神社(正式にはこのようにいうそうである)」の通称であることがわかった。
さて、いつものようにその由緒を調べてみる。公式ホームページによれば
「『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み鳩森『はとのもり』と名付けた。貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇の御尊像を作り添えて、正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。」
とある。平安時代末期にできたことがわかる。
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また、将棋会館がそばにあることで有名であり、境内には「将棋堂」なるものが建てられている。そういえば現在将棋の世界では竜王戦の真っ最中である。先週も第4局が行われ、羽生名人が2勝2敗のタイに持ち込んだそうだ。羽生名人と言えば、今回竜王に返り咲くとなんと将棋の7代タイトル全てで永世称号を獲得するという。最近は若手の台頭もあり、タイトル戦での登板が昔ほどではなくなった感があるが、大記録達成をぜひ成し遂げてもらいたいものである(7代タイトルとは、名人、竜王、棋聖、棋王、王座、王位、王将の7つ)。
さて、境内には将棋堂だけでなく、歴史的に重要なものもある。そのひとつが富士塚である。東京都指定の有形民族文化財となっている。教育委員会の説明板によれば
「1789年の築造といわれ、円境形に土を盛り上げ黒ボクは頂上近くのみに配置」
とある。山麓には里宮、浅間神社が奉祀されている。昭和60年6月、浅間神社の社殿が御影石にて建て替えられたそうである。道理で新しい石造りのように見えたのはそのためであった。
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境内には他にも、甲賀稲荷社、神明社などが建てられている。一度参拝して歴史を感じてみるのもいいかもしれない。

公式ページ → 鳩森八幡神社
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# by motokunnk | 2010-11-28 09:08 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

日本馬が上位人気を独占のJC予想

ブエナビスタを筆頭に上位8番人気までを日本馬が独占している今年のジャパンカップであるが、外国から挑戦した馬はそんなに弱いのであろうか。
凱旋門賞に出走している馬もいるようだが、ヴィクトワールピサより上位入線した馬もおり、低評価しすぎではないかとも思う。ただ、ブエナビスタの実力は天皇賞で実証済みであるから本命指名として間違いないと考える。対抗としてどちらの馬にするか、私は天皇賞2着のペルーサを指名したい。この馬、スタートが悪く出遅れ癖がある。天皇賞のときも出遅れさえなければもっと差はなかったと思う。スタートさえ決まれば、ブエナビスタを逆転する能力はあると考える。
そして、フランス帰りのナカヤマフェスタを3番手と位置づけた。この馬は宝塚記念ではブエナビスタを破っており、実力はあるが、帰国初戦の今回は割り引いて考えた。そして、馬券に絡みそうな馬として以下の馬をあげておく。

JCの予想
◎ ブエナビスタ
○ ペルーサ
▲ ナカヤマフェスタ
△ マリヌス、メイショウベルーガ、エイシンフラッシュ、ジョシュアツリー
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# by motokunnk | 2010-11-27 18:29 | スポーツ全般 | Trackback(5) | Comments(0)

今週も神宮外苑からクラシックカーフェスタ

今週も神宮外苑からである。実は先週訪れた際、27日にトヨタ博物館主催のクラシックカーフェスタが開催されることを知りフェスタをみるために絵画館を訪れた。
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トヨタ博物館といえば、トヨタ車に限らず、世界各国からの車を集めて展示していることで有名である。世代でエポック的な車中心に展示してあり、私は1回しか訪れていないが、再度行ってみたい博物館である。特にルネラリックのマスコットまで展示されていることに感嘆した記憶がある。このマスコットは戦前のクラシックカーのラジエータグリルの上を飾るために貴族が発注したものとして有名である。
話が横道にそれてしまったが、フェスタ自体は盛り上がっており、クラシックカーオーナーも多数がマイカーでパレードに参加していった。また、パレードに車の不調(多分)で参加できなかった車は絵画館前に止められており、見物に訪れた人が記念写真を撮っていた。
フェスタを見た後、明治公園をぶらついてみた。いつもであればフリーマーケットなどのイベントが開催されているが、今日はなし。のんびりと紅葉を満喫し、国立競技場脇の公園まで足を伸ばしてしまった。こちらも紅葉(黄葉ではなく)まっさかりで、銀杏もいいが木々が赤く紅葉しているのもまた目に楽しい光景である。そんな紅葉のもとでは女子大生と思わしきグループがチアリーディングの練習をしていた。何かほほえましく感じてしまった。
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若者が紅葉のしたで汗をかきながら練習している姿を見ると元気をもらえるような気がする。
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# by motokunnk | 2010-11-27 12:35 | 美術館・博物館・美術 | Trackback | Comments(0)

パシフィコ横浜で開催のフェアに行ってきた

今日は横浜のフェアに行ってきた。以前は東京フォーラムで開催されていたので、会社からは近かったが、ある時期から横浜開催となり、行くには半日かかってしまうので業務に直接つながらない今の自分にとっては、ちょっと身が引ける思いでの横浜行きであった。
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東京フォーラムで開催されていた時分は、フェアに企業として参加し、展示内容を担当していた時期もあった。そのときに、ある図書館用品メーカーの社長さんから展示内容をほめられた記憶がある。とここまで書けば、横浜で開催された図書館総合展に今日行ってきたことがばれてしまった。
ただ、マイナーな展示会ではあるが、多分日本で最大の図書館関係のフェアではないかと思っているし、東京フォーラムで開催されていたときより、充実してきているのではないかとも思う。特に最近は、フォーラムも充実してきており、このように展示ホールとは別に会議センターの会議室を貸切っての開催となっている。スタッフがプラカードを持って案内している姿も毎年恒例となっている。
開催場所はパシフィコ横浜で開催時期は毎年11月下旬、みなとみらいではクリスマスのイルミネーションが開始される時期である。今年もこのようなツリーが飾られており、来る人の目を楽しませている。きっと来年も行くことになるのであろう。

図書館総合展の公式ホームページ → 第12回図書館総合展
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# by motokunnk | 2010-11-26 21:01 | 美術館・博物館・美術 | Trackback | Comments(0)