神仏習合思想について

我家には仏壇もあれば、神棚もある。
d0183174_11571285.jpg
小さい頃は何か変だと思っていたが、両親からはちゃんとした説明はなかった。その後、神仏習合思想があり、昔から神と仏を信じるように政府が指導していたことを知った。
d0183174_11573050.jpg

ちょっとネットでそのあたりを調べて、その結果をまとめてみることにする。
日本に仏教が伝来したのは飛鳥時代、その当時は、神道と仏教はまだ統合される事はなかったそうである。時代が平安時代になり、仏教が一般にも浸透し始めると、日本古来の宗教である神道との軋轢が生じてきた。
そこから日本の神々は護法善神であるとする神仏習合思想が生まれ、寺院の中で仏の仮の姿である神(権現)を祀る神社が営まれるようになった。
鎌倉時代、室町時代、江戸時代では、武家の守護神である八幡神自体が「八幡大菩薩」と称されるように神仏習合によるものであったため、幕府や地方領主によって保護され、祈祷寺として栄えた。
そのために檀家を持たなかったため、明治時代の廃仏毀釈によって、その殆どの寺院が神社に転向したか消滅したりして、急速に数を減らし今日に至っている。
まあ、今残っている(名もなき)神社や寺はその氏素性がはっきりしていないのかもしれない。一方で、歴史があっても何もご利益のない神社も数多くありそうだが。
[PR]
# by motokunnk | 2010-07-28 19:57 | 日記 | Trackback | Comments(0)

地蔵と関東の富士見百景

代官山交差点近辺は、渋谷区と目黒区の境でもある。また、健康づくり(まち歩きマップ)で紹介されている場所やその付近に目黒区版で紹介されている場所もある、今回はそんな地点をご紹介。
d0183174_19252159.jpg

まずはこの写真、代官山散策の中で紹介されている。大山街道と祐天寺道の分岐点にあった子供供養と道しるべと紹介されている。そばの教育委員会説明によれば、1818年作と書かれている。そして、その地蔵の前の坂道を下っていくと、関東の富士見100景のプレートが目に入ってくる。
d0183174_19255036.jpg

この場所は何でも国土交通省が平成16年から17年にかけて地域づくり支援の一環で「関東富士見100景」を選定したそうである。この中の1地点に晴れて選定され、このプレートが貼られたようである。
この場所からは、天気のよい日は富士山が見えるようであるが、絶景ポイントではないようで、今までこの場所が富士見のポイントであることは知らなかった。ただ、近くには「富士信仰と元富士」という看板と説明があり、この場所が江戸時代から富士信仰のポイントであったことが想像できる。
d0183174_19261889.jpg

目黒区のホームページには「富士講」のページがあり、詳しく記載されているので、そちらをご覧いただければと思う。

関東の富士見100景のページ → 関東の富士見百景
[PR]
# by motokunnk | 2010-07-27 20:00 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)

佐藤琢磨がインディカー初のシングルフィニッシュ

佐藤琢磨がインディカー第11戦エドモントンの決勝レースを9位で完走した。予選13番手から95周のレースをアグレッシブに駆け抜け、自己ベストとなるシングルフィニッシュ!  再スタート後に追突される不運がなければ7位でゴールできていたと思われるレースであった。
佐藤琢磨が輝きを失って数年、F1から離れて2年、1年間の浪人生活を経て、今年はインディカーレースに転身したが、結果を残せずに苦労していたようである。古いF1ファンには懐かしく感じるロータスカラー(濃緑)のマシンに乗り、結果がでなくても腐らずに走り続けた結果の9位であった。
BAR・HONDAで2004年にブレーク、日本人最高の予選順位(2位)、日本人タイの決勝結果(3位)とこの頃が一番輝いていたように感じるのは私だけではないと思う。
そして目標はF1復帰と公言し、そのために遠回りを覚悟でインディカーレース挑戦を決めた今年、まずは今回のシングルフィニッシュを弾みに表彰台をゲットすることをまずは目標に残りのシーズンを駆け抜けてほしい。

今回のレースシーン写真は → インディカー第11戦エドモントン
[PR]
# by motokunnk | 2010-07-26 18:27 | スポーツ全般 | Trackback | Comments(0)

菅刈公園の紹介

私の住んでいるところは渋谷区の並木橋付近である。従ってちょっと歩くと目黒区、港区にはいる地域である。
今日は、そんな目黒区の公園についての紹介。
目黒区のホームページにも渋谷区同様にみどりの散歩道というページが用意されている。このページはPDFではなく、HTML文で書かれているので、印刷して散歩のときの案内図としての利用は困難だが、住んでいる人にとってみれば、地番などは覚えているわけで、何気なく歩いていたところにこんな場所があったのかという発見につながる意味ではこの作り方でよいのかもしれない。
そして、みどりの散歩道コースガイドの販売というページも用意され、区役所等で販売されているようだ。結構商魂たくましい!
さて今回はその中から「西郷山・目黒川コース」にある「菅刈公園(すげかりこうえん)」について紹介する。
d0183174_840474.jpg

公園の所在する目黒区青葉台は豊後の岡藩の屋敷があり、滝や池のある回遊式の大名庭園として、江戸時代の地誌に江戸の名所として紹介されていたそうである。
その後、明治7年に西郷従道(西郷山公園【2010.7.23】の項参照)がこの土地を購入し、洋館や和館を建造した。
d0183174_8415820.jpg
庭園についても、池・滝・大芝生地など大改修が行われ、「東都一の名園」と言われた。その後、旧国鉄の職員宿舎などとなっていたが、平成9年の調査で、庭園調査を行い、在りし日の名園の姿を一部復原した公園として整備し、現在にいたっている。明治天皇も着たことがある。
d0183174_8421432.jpg

公園内の和館は西郷従道が建造したものを復元したもので、内部には展示室、庭園を一望することができる庭園展望室、お茶会・華道・句会などの利用に有料で貸し出している和室などがある。一般開放されているが、和室に予約が入っている場合は立ち入り禁止となるので注意が必要。
一方の洋館は、明治村に移築されている。和洋館の説明は下記を参照されたい。
和館 → http://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/sports_koen_yoka/koen/omoshiro/sugekari/index.html
和館 → http://www.meijimura.com/visit/s08.asp#a01

公園内は、和館前に本庭園を再現した広場がある。また、芝生を敷き詰めた大きな広場もあり、設置されたブランコやすべり台では子どもが遊んでいる光景を見る。
傾斜地に公園があるので、坂の途中にはご覧のような近隣の小学校の家庭科研修のものと思われる農場もある。地域に根付いた公園のようである。
[PR]
# by motokunnk | 2010-07-25 08:49 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)

猛暑対策の一環としてのミスト散布

昨日は二十四節気の1つである大暑、というわけではないが、東京の最高気温は35度を超える猛暑日、これで3日連続である。今日も猛暑日だと10数年振りの暑さだと今朝のTVニュースで報道されていた。
猛暑対策として「ミスト散布」が各所で行われている。新聞でも取り上げられているのでご存知ではないか。これは、水を人工的に霧(ミスト)として散布し、その気化熱の吸収を利用した冷却を目的とするためのものであり、日本古来の「打ち水」とよく似ている。
d0183174_742394.jpg

東京でも繁華街を中心にビルの公開空地などでその設備が設置され、行きかう人に涼を与えている光景を目にする。これが田町駅近くのビルエントランス付近に設置されていた。
昨年はなかったもので、多分今年から設置されたものではないか。このビル会社では「ミスト散布」がそれほど一般的ではないと判断したのか、あるいは会社の広報活動の一環(多分、こちらが正解であろう)か、このような説明板が置かれている。
d0183174_7421714.jpg

道行くサラリーマンも一時の「涼」を求めて立ち止まっているようである。果たして、これで地球温暖化対策をいえるのかどうかは?ではあるが。
[PR]
# by motokunnk | 2010-07-24 07:43 | 最新技術 | Trackback | Comments(0)

西郷山公園の紹介

代官山から旧山手通りを歩いていくと、猿楽塚(2010.07.15ブログ参照)が左手に見える。さらに歩いていくと西郷山公園が見えてくる。今回のテーマはその西郷山公園とする。
目黒区もホームページが充実しており、施設案内→施設で探す→公園 を選択すると区内にある公園一覧が表示され、そのなかに西郷山公園がある。その説明から引用すると以下のようになる。
d0183174_13235584.jpg

公園名の由来はこの土地が旧西郷邸(西郷隆盛の弟で明治期の政治家・軍人であった西郷従道(じゅうどう)の敷地)の北東部分にあたり、付近の人々が「西郷山」という通称で親しまれていたところから決まった。
d0183174_13242323.jpg

台地の端の斜面を利用してつくられた公園で、斜面には20メートルの落差をもつ人工の滝が作られているほか、ゆるやかな坂道の園路や展望台が設けられ、冬のよく晴れた日には遠くの富士山も望めむことができる。確かに真冬には富士山が見えたが、残念ながらそのときはデジカメを所持していなかったので写真はない。
台地の上には、明るい芝生広場とこれを一周する園路・人工の流れを配し、子どもたちがのびのび遊べるスペースになっている。滝や展望台からの眺めを楽しめる。
公園内には桜島から運んできた溶岩なども置かれている。また、猫ものんびりと昼寝をしている。
近所には西郷従道(じゅうどう)が土地を購入し、洋館や和館を建造した菅刈公園がある。これはまたの機会に紹介することとする。
[PR]
# by motokunnk | 2010-07-23 19:25 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)

金王八幡宮・社殿造営400年についての考察

d0183174_1031564.jpg
さて金王八幡宮の社殿であるが、このようなものがある。また渋谷区のホームページには、八幡宮の社殿および門が区指定の有形文化財となっている。
では、いつ建立されたのか調べてみる。時は江戸時代、二代将軍秀忠の時代である。お世継ぎ問題が勃発し、兄の家光ではなく、弟の忠長が嗣ぐあろうとの風説が流れていた。
家光の乳母春日局と教育役であった青山伯耆守忠俊は大変心配して、金王八幡宮に祈願を重ねていた。家光の具始の儀が行われるに及び、神明の加護なりと深く喜び、金百両、材木多数を奉納して、御社殿を造営した。1612年のことだそうである。
d0183174_2004728.jpg

江戸時代初期の建築様式を現在にとどめる、都内でも代表的な建物の一つである。
とホームページで説明されている。確かに立派な建築様式であり、見ていて飽きがこないと思う。
これで、最近立てられたペイントについての謎は解明したので金王八幡宮についての紹介は終了し、次回はまた別の史跡を案内することとしたい。
d0183174_1035839.jpg

[PR]
# by motokunnk | 2010-07-22 20:01 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(2)

渋谷金王丸について

d0183174_19174163.jpg
今回は渋谷金王丸について調べてみる。前回紹介した金王八幡宮のホームページによると、
渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)は、渋谷平三家重の子で、永治元年(1141)8月15日に生まれた。重家には子がなく夫婦で当八幡宮に祈願を続けていると、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢をみて立派な男子を授かった。その子に明王の上下二文字を戴き「金王丸」と名付けたといわれる。
d0183174_19175851.jpg
金王丸17歳の時、源義朝に従って保元の乱(1156)で大功を立て、その名を轟かせた。続く平治の乱(1159)では義朝は敗れ、東国に下る途中立ち寄った尾張国野間で長田忠宗の謀反により敢えない最期を遂げた。金王丸は、京に上り常磐御前にこのことを報じたのち渋谷で剃髪し、土佐坊昌俊と称して義朝の御霊を弔った。
金王丸は、義朝の子である頼朝との交わりも深く、頼朝が挙兵の折は、密かに当八幡宮に参籠して平家追討の祈願をしたといわれる。
壇ノ浦の戦いののち頼朝は義経に謀反の疑いをかけ、これを討つよう昌俊(金王丸)に命じた。昌俊は断ることもできず、文治元年(1185)10月、百騎ばかりを率いて京都に上り、同月23日夜義経の館に討ち入り、はじめから義経を討つ考えはなかった昌俊は、捕らえられて勇将らしい立派な最期を遂げた。
とホームページでは説明されている。各地に残されている金王丸伝記によれば、ここまでは大体が似たような記述となっているようである。また金王八幡宮には写真のような祠が建立されており、中には金王丸の木像が祭られ、毎年3月には木像が公開されているようである。では実在したとして(架空の人物であるという説もある)、金王丸の墓はどこにあるかとなればこれが何と琵琶湖のほとり、和邇の集落の中にあるというのである。京都で死罪となったわけだから、その墓が近江の国にあっても不思議はないといえる。
この項は「週末の散歩道」というブログからの引用→http://lycaste621.shiga-saku.net/e96394.html

また全国各地に金王丸伝説が存在する。
この項は、「渋谷金王丸とは?」というページに詳しく書かれているのでそちらを参照して欲しい。2006年12月に調べているようです、本業が忙しくなったとあるが、何をしている人なのか、想像しずらいなあ。
ホームページ → http://www.tabizaiya.jp/konnoumaru_shiryou.htm

私の関連するブログ → もうひとつの渋谷金王丸祭事
私の関連するブログ → 再び渋谷金王丸伝説Ⅱ
私の関連するブログ → 再び、渋谷金王丸
私の関連するブログ → 金王八幡宮について/加筆しました
[PR]
# by motokunnk | 2010-07-20 20:20 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(2)

金王八幡宮について/加筆しました

d0183174_19253242.jpg
我家の周りには、神社が2つある。ひとつは氷川神社、そしてもうひとつが金王八幡宮である。今回はその金王八幡宮について。
最近、八幡宮のあるところに、写真のようなペイントが書かれている。金王丸生誕870年、金王八幡宮鎮座920年、御社殿造営400年と書かれているが、社殿造営を除けば、50ないしは100年が周年事業として普通であるが、その他の周年はちょっと妙な話である。
ただ、これを機会に神社の外周についての改修工事が開始されている。前置きはこの程度にして、神社のいわれについて調べてみた。
d0183174_1002689.jpg

金王八幡宮は、第73代堀河天皇の御代、寛治5年正月15日(1091)鎮座した。なるほど、来年は鎮座920年である。桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で秩父別当武基は源頼信による平忠常の乱平定において功を立て、軍用八旒の旗を賜り、その内の日月二旒を秩父の妙見山(武甲山では?)に納め八幡宮と崇め奉った。武基の子武綱は、嫡子重家と共に後三年の役の源義家の軍300騎余を従え1番で参戦し、仙北金沢の柵攻略した。その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を褒美としてもらったそうである。
また義家は、この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の月旗を乞い求め、この地に八幡宮を勧請したといわれている。重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城とした。渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めた。これが渋谷の発祥ともいわれ、現在も境内に渋谷城砦の石が保存されている。
渋谷氏が武蔵谷盛庄七郷(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など)を領していたので、当八幡宮は八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り 宮益坂 道玄坂(旧大山街道)を中心とする、渋谷、青山の總鎮守として崇められている。
当八幡宮は、古くは単に八幡宮又は渋谷八幡宮と称していたがが、渋谷金王丸の名声により、金王八幡宮と称されるようになった。
とここまで「金王八幡宮参拝の栞」から書き写してみたが、何と公式のホームページの存在を発見した。それの由緒のページにそっくりと同じことが書かれていた。ああ、がっかりである。
ただ、由緒のページには、その次に渋谷金王丸の記述があるが、これには諸説があり、正しいことはわかっていない(実在の人物か、渋谷の地に縁があるのかすら異論があるようである)。このことについてはページを改めて紹介することにする。
出典:「金王八幡宮参拝の栞」の抜粋
詳細は下記参照
金王八幡宮公式ページ → http://www.geocities.jp/ynycr674/index.html

私の関連するブログ → もうひとつの渋谷金王丸祭事
私の関連するブログ → 再び渋谷金王丸伝説Ⅱ
私の関連するブログ → 再び、渋谷金王丸
私の関連するブログ → 渋谷金王丸について
[PR]
# by motokunnk | 2010-07-19 19:18 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

小山知良の頑張り

皆さん小山知良を知っているだろうか、多分知らない人が大多数だと思う。小山知良はレーシングライダーで、MotoGPの125ccクラスに参戦している。
昨年、一昨年はチーム、マシンの関係で大不振、しかし今年はチーム、マシンが変更され、本人も気分一新で頑張っていた。その小山知良がチームの地元(彼はレーシングチームジャーマニーというドイツのチームに所属している)のドイツGPで見事に2位表彰台を確保した。
125ccはMotGPでは入門編ともいえるもっとも排気量の少ないクラスでライダーも年齢制限があり、小山も今年限りで来年は同クラスでは走れなくなってしまう。その中での2位表彰台確保! いろいろな幸運が重なっての表彰台ということはあるかもしれないが、これも本人があきらめずにレースをしていたからこその結果である。
人間、あきらめず、くさらず、日々の努力を惜しまず、精進すれば結果はついてくると言う証明をしてくれた小山知良に拍手しよう。
ちなみにMotoGPの最高峰のMotoGPクラスでは、これまたヴァレンティーノ・ロッシが骨折からの復帰戦(バイクにまたがるまでは杖をついていた!)で見事に4位入賞した。こちらもビックリである。
[PR]
# by motokunnk | 2010-07-19 07:47 | スポーツ全般 | Trackback | Comments(0)