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祭りの後、大江山の酒呑童子絵馬について

金王八幡宮の秋の祭礼も終わり、静かな朝を迎えている。ただ敬老の日であり、ここはJRAの場外馬券発売所があるので、9時を過ぎると競馬ファンでにぎやかになる土地柄でもある。
さて昨日のブログでも書いたが、大江山の酒呑童子について調べてみることにする。そもそも大江山の酒呑童子とは室町時代の物語を集めた「御伽草子」が出典のようである。「御伽草子」とは、室町時代から江戸時代にかけて作成された短編の絵入り物語、およびそれらの形式のことの総称をいう。室町時代を中心とした中世小説全般を指すこともあるとのこと、そこで大江山の酒呑童子について調べていくことにする。
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大江山とは京都府丹後半島の付け根に位置し与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山である。標高833mで別称、大枝山・与謝大山・千丈ヶ嶽とも呼ばれる。京都という土地柄か酒呑童子伝説で知られる。また雲海の名所としても知られている。
さて酒呑童子であるが、こちらは京都と丹波国の国境の大枝に住んでいたとされる鬼の頭領のことをいうそうである。各地にある酒呑童子伝説は後半の部分(すなわち鬼の頭領)のことを指している言葉(もしくは人物)であろうと思う。
酒呑童子の姿は、顔は薄赤く、髪は短くて乱れた赤毛、手足は熊の手のようで、背丈が6m以上で角が5本、目が15個もあったといわれる。民話としてのこる「やまたのおろち」以上の怪物として「御伽草子」に描かれている。また彼が本拠とした大江山では龍宮のような御殿に棲み、数多くの鬼達を部下にしていたという。ここからはウィキペディアの引用となるが、「京都に上った酒呑童子は、茨木童子をはじめとする多くの鬼を従え、大江山を拠点として、しばしば京都に出現し、若い貴族の姫君を誘拐して側に仕えさせたり、刀で切って生のまま喰ったりしたという。あまりにも悪行を働くので帝の命により摂津源氏の源頼光と嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭とする頼光四天王により討伐隊が結成され、姫君の血の酒や人肉をともに食べ安心させた上、酒盛りの最中に頼光が神より兜とともにもらった「神便鬼毒酒」という酒を酒呑童子に飲ませて体が動かなくしたうえで寝首を掻き成敗した。しかし首を切られた後でも頼光の兜に噛み付いていたといわれている。
頼光たちは討ち取った首を京へ持ち帰ったが、老ノ坂で道端の地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな」と忠告され、それきり首はその場から動かなくなってしまったため、一同はその地に首を埋葬した。また一説では童子は死に際に今までの罪を悔い、死後は首から上に病気を持つ人々を助けることを望んだため、大明神として祀られたともいう。これが現在でも老ノ坂峠にある首塚大明神で、伝承の通り首から上の病気に霊験あらたかとされている[4][5]。大江山(京都府加佐郡大江町)の山中に埋めたとも伝えられ、大江山にある鬼岳稲荷山神社の由来となっている。」
この様子を示した絵馬が金王八幡宮には2枚セットで奉納されている。きわめて貴重な資料といえるようである。

渋谷区の説明は → http://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/town/kubunka.html#onitaiji
by motokunnk | 2010-09-20 08:50 | 神社・仏閣・城郭
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