道玄坂を登ること1分程度、マークシティ入り口への曲がり角を左に曲がるとこの木柱が歩道の片隅に立てられている。
木柱は、平日はサラリーマン、休日ともなると若者たちで賑わうマークシティ界隈に数十年前に与謝野鉄幹、晶子夫婦が設立した東京新詩社があったことを知らせている。
では東京新詩社とはどのようなものなのか、調べてみた。
ネットによれば(相変わらず、この一言からはじまってしまうが)、
与謝野鉄幹主宰の詩歌結社。早くから和歌革新運動に従った鉄幹は,1899年新詩社を結成し,翌年機関誌「明星」を創刊した。短歌を中心としてはなやかな浪漫主義文学運動を展開し,与謝野晶子、高村光太郎、石川啄木、北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、佐藤春夫らを世に送った。
とある。いずれも1900年代初頭に活躍した文豪たちである。この場所で住いを変えながら「明星」を発行していたのである。その後千駄ヶ谷に移り住んでいる。
木柱には渋谷区教育委員会の言葉が書かれている。
「与謝野鉄幹は明治34年(1901年)麹町から渋谷に移り住み、晶子と結婚しました。東京新詩社の機関誌『明星』を12号から発行し、晶子も歌集『みだれ髪』を刊行しました。詩歌革新を目指して盛んに文学活動を行いましたが、明治37年に千駄ヶ谷に移るまでに、この近くに2度住まいを変えています。千駄ヶ谷に移り住んでから、東京新詩社は最盛期を迎え、晶子も歌集『恋衣』や『夢の華』などを刊行しましたが、新詩社の機関誌『明星』が100号で廃刊される事態となり、明治42年に神田駿河台に移りました。」