乃木という名称がつく地名

港区青山界隈には乃木という名称がつく地名、施設が多数存在する。勿論由来は明治の偉人と言っていい乃木希典にちなんだものである。今日はそんな乃木希典についてしらべてみることにした。
乃木希典について私が知っていることと言えば、明治時代の軍人で日露戦争で日本を勝利に導いた人物、また明治天皇の崩御に従って夫婦で殉死したことなどである。乃木希典については、インターネットで検索するとかなりのページがヒットするのでここで説明するよりはそちらを見てもらったほうがよいと思う。
ただウィキペディアには乃木に対して世界的評価の一文が書かれていた。
「旅順攻囲戦は日露戦争における最激戦であったから、乃木は日露戦争を代表する将軍と評価され、その武功のみならず、降伏したロシア兵に対する寛大な処置もまた賞賛の対象となり、特に、水師営の会見におけるステッセリの処遇については、世界的に評価された。
乃木に対しては世界各国から書簡が寄せられ、敵国ロシアの『ニーヴァ』誌ですら、乃木を英雄的に描いた挿絵を掲載した。また、子供の名前や発足した会の名称に乃木や乃木が占領した旅順(アルツール)の名をもらう例が世界的に頻発した。
加えて、乃木に対しては、ドイツ帝国、フランス、チリ、ルーマニア及びイギリスの各国王室または政府から各種勲章が授与された。」
坂の上の雲で、乃木の活躍が書かれているが、やはり日露戦争での活躍が乃木希典の地位を確固たるものにさせたのかもしれない。
またその後学習院院長にも就任し次の句を残している。
「いさをある人を教への親として おほし立てなむ大和なでしこ」
さて乃木希典の人となりはこの程度にして、まずは東京メトロ「乃木坂駅」を降りてみる。
d0183174_8583265.jpg
一番出口から地上にでると乃木神社が目にはいる。境内に入るまえに、このプレートがめにつく。乃木坂の由来について説明されたプレートである。もともとは幽霊坂と呼ばれていた。大正元年(1912年)9月に乃木大将の殉死を悼み、赤坂区議会が改名を議決したことに由来すると書かれていた。没後この名称になったことがわかる。さて乃木神社にお参りすることにする。この神社も大正時代に旧乃木邸敷地に建設された。
太平洋戦争時に一度焼失したが、その後に再建され現在に至っているという。
d0183174_859228.jpg
境内社は「赤坂王子稲荷神社」「正松神社」。いずれも乃木希典に関連した神社である。
d0183174_8591738.jpg
また拝殿横には、「さがれ石」という国家に一文がある石がおかれていた。宝物殿(といっても1室である)には乃木希典ゆかりのものが展示されている。
d0183174_8594375.jpg

乃木神社には旧乃木邸も見学できるようになっているが、ここでも東日本大震災の影響で保守点検作業のため、一般公開を中止していた。
さて、乃木坂トンネル(トンネルは車専用で歩行者用は横に通路が併設されている。その途中にこのようなプレートがあった。
d0183174_90236.jpg
地震の後、自然エネルギー活用が叫ばれていることを知っていたかのようなプレートである)を超えて、青山墓地方面へ歩き乃木希典の墓を見て帰宅することにする。青山墓地には乃木将軍通りなるものがあり、その墓もりっぱなようである。
d0183174_902048.jpg
これがその墓全貌である。本人が望んだのかどうかはわからないが(多分望んではいなかったと思う)、かなりりっぱな設えとなっている。1区画を独占して一族を含めた形の墓となっている。
d0183174_904050.jpg

墓地としてははずれの方にあるので、探すときは十分注意したほうが賢明であるように思えた(あまり探す人もいないかもしれないが)。
今日のブログタイトルとは書いた内容がそぐわなかったようであるがこのあたりはご容赦願いたい。最後に我家のそばの神社にも乃木希典直筆の記念碑がある。
[PR]
by motokunnk | 2011-04-17 09:01 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://kmotokun.exblog.jp/tb/13398219
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
<< 巡洋艦「畝傍」と水雷砲艦「千島」 渋谷川緑道ってどこにある? >>