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自然教育園散策その1

昨日ブログを書き終えてから、久しぶりに目黒まで足をのばし、自然教育園を散策してきた。山手線に乗り、目黒駅を下車して今まで気づかなかったことを発見してしまった。それは目黒駅が目黒区にないということである。今まで品川駅は品川区にはなく港区にあることは知っていたが目黒駅まで目黒区にないとは思ってもいなかった。品川区上大崎2丁目に目黒駅はあるようだ。山手線の駅名が23区と同じ名称のうちこれで品川駅(地番は港区)と目黒駅が実際の区と異なった区にある。他の駅はそんなことはないと思うが、一度調べてみる価値はあるのかもしれない。
駅から5分ほど都心へ向うと目指す、自然教育園へと歩を進める。入園料を支払い、リボンをつけて園内に入ることにする。
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附属自然教育園とあるように、この施設は国立科学博物館に附属いた施設として位置づけられている。教育園は広い敷地で見所がたくさんあるので数回に分けてブログで紹介していきたい。
まず、沿革について書くことにする。
「自然教育園を含む白金台地は、洪積世(20~50万年前)海食によって作られました。(中略)白金の地名は永禄2年(1559)の記録に初めてあらわれ、太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています。江戸時代になると、増上寺の管理下に入りましたが、寛文4年(1664)には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となり、園内にある物語の松やおろちの松などの老木は、当時の庭園の名残であろうと思われます。明治時代には火薬庫となり、海軍省・陸軍省の管理となり、大正6年(1917)宮内省帝室林野局の所管となり、白金御料地と呼ばれました。その後、昭和24年文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、国立自然教育園として広く一般に公開され、昭和37年国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っています。」
江戸時代から徳川ゆかりの松平藩の下屋敷として利用され、明治以降は政府の管理、そして戦後は文部省と管理主体がはっきりしているのでこのような自然が都心に残されている。やはり民間企業でこれだけの土地をこのような形で後世に残すことは不可能であろうと思えた。
教育管理棟を通り、路傍植物園を散策することになる。路傍植物園と名づけられているように、散策路の両側には名札がつけられた路地栽培ぼ草花が植えられており、見事な花を咲かせているものもある。
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写真はやまぶきそうであるが、このほかにもいろいろな花を見ることができる。
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さて道を進んでいくと、「土塁」や「林の移り変わり」を説明しているプレートがある。社会科の体験見学にはもってこいの公園だということが理解できるし、指導者向け自然解説研修も用意されているそうである。
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「しろかねの森」を読み、「天然記念物及び史跡」を見ながら奥へ進んでいくと道が左右に分かれている分岐路にさしかかる。
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このような分岐路には園内マップが必ずあり、今どこにいるかが表示されているので初めての人にもわかりやすい。「水鳥の沼」と書かれている散策路を進むことにする。途中に「コナラ林」という説明プレートがある。
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読むと雑木林の説明が書かれており、人間が生活するうえで植林したものが雑木林の起源であることとがよくわかる。
そうこうするうちに目的の「水鳥の沼」にやってきた。
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残念ながら水鳥の姿は見つけることはできなかったが、いかにも沼というだけあり、水鳥が生活していそうな生活臭を感じさせる沼であった。カルガモやサギなどがきるそうである。
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教育園にはビューポイントなるものがあり、それぞれ「コナラ林」「水生植物園」などと命名され、ビューポイントから見ると確かに雑木林や水生植物園を見ることができる(続く)。

参考にした自然教育園のホームページは下記のとおり
自然教育園 → http://www.ins.kahaku.go.jp/index.php
by motokunnk | 2011-04-25 19:48 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)
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