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表参道にある大山史前学研究所跡

表参道の通りを青山通り方面に歩いて東京ユニオンチャーチ脇の小路を歩いていくと、渋谷区教育委員会のプレートが目にはいる。「大山史前学研究所と大山柏邸跡」と記載されているプレートは今はマンションとなっているが、この地には「史前学研究所」が建てられていたと書かれている。
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大山柏という人物も史前学もよく知らなかったので調べてみることとした。調べてみてわかったのは大山柏という人物はあの大山巌、捨松夫婦の御曹司だった!
大山という姓は珍しい姓ではなかったので、まさか大山捨松の息子であるとは思ってもみなかった。なんでも柏は次男として大山家に生まれ、長男が戦死したことにより家督をついだ。しかし留学経験もあったりして日本軍人としてなじめなかったので、かねてから興味があり独学していた考古学の世界に没頭するようになったとウィキペディアには書かれていた。
そして自費で「大山史前学研究所」を自宅敷地内に建設して各種の資料収集編纂に力を注いだそうである。語学に長けていたので、ドイツ語で論文は書かれていたという。
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「大山史前学研究所は学術雑誌『史前学雑誌』を刊行するとともに、100箇所以上の縄文遺跡を発掘して、その成果を次々に学会に発表した。研究所には甲野勇、宮坂光次、池上啓介、竹下次作、大給尹らの所員がおり、研究所の活動を支えていた。これら多くの業績を残した大山史前学研究所は、山階鳥類研究所、徳川生物学研究所(後の徳川林政史研究所)と並んで「華族3大研究所」とも称される。」
とウィキペディアには書かれており、太平洋戦争末期の東京大空襲で研究所が焼失していなかったら歴史的な価値は相当であったと思う。惜しい資料を焼失したものである。戦後は華族制度廃止に伴い、渋谷区の土地は没収されたそうで、栃木県で余生を暮したそうである。
栃木県立図書館の特別コレクションに「大山柏文庫」がある。昭和45年に寄贈され、各国の戦史や明治維新関係の資料1000点以上が登録されているそうだ。もし機会があり、栃木県立図書館に行ったならば忘れずに特別コレクションを見てみようと思う。
大山捨松といえば、新島八重と並ぶ会津藩士の娘で明治維新後に大山巌と結婚して女性教育に力を注いだことで有名であるが、息子も歴史に名を残す功績をあげている。歴史秘話で取り上げたときに子孫の話もあればそのときに気がついていたと思うが、このように大山柏のことを知り、また大山巌・捨松夫婦の偉大さを再認識してしまった。
参考URL → 大山柏/ウィキペディア
参考URL → 失われた史前学―公爵大山柏と日本考古学 [単行本]
参考URL → 栃木県立図書館・特別コレクション
by motokunnk | 2013-05-23 20:17 | 記念碑
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