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2010年 11月 06日 ( 1 )

高野長栄の隠れ家と記念碑

青山通りには高野長英(港区のホームページでは長栄)にゆかりのある場所がある。そのひとつはスパイラルビルである。その片隅に記念碑(写真左)がある。
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高野長英といえば、江戸時代後期の蘭学者で、奥州水沢市出身である。長崎でシーボルドに師事し、蘭学を学び、語学の天才であったようで、塾で翻訳の教授を務めるようになったという。その後江戸にでて塾を開くが、モリソン号事件で幕府を非難し、自ら北町奉行所へ出頭して逮捕される。その後、獄舎の失火で3日間の解き放ちを利用して逃走、この火事は放火だったようで失踪した長英が疑われている。この際、薬品で顔を焼いた事は有名な話である。執拗な探索の中、学者仲間や門人などに守られながら諸国を用心深く逃避し、江川英龍(伊豆韮山の代官)・伊達宗城・島津斉彬らの庇護(ひご)を受けた。
1850年に江戸に戻り、沢三伯と変名して青山百人町に開業。鉄砲のことなどを講じたことから幕府に探知され、幕吏の捕方に襲われ自刃した。その江戸に戻って住んでいた場所が南青山スパイラルビル付近であったという。
名誉が回復されたのは没後48年たってからのことで、正四位が授与され、北青山の善光寺には勝海舟の撰文による顕彰碑がつくられた(上の写真右)。1837年、米船モリソン号の撃退事件を受けて、開国の必要を説いた『夢物語』を著し、逃亡中もなお蘭書の翻訳に励み『医療枢要』などの訳著書を残した長英。優れた蘭学者であり先覚者でありながら、その生涯はあまりにも不遇であった。
この記念碑は被害を受け、その一部を使い1964年に再建されたものだそうである。

参考にしたサイト → 港区ゆかりの人物データベース
by motokunnk | 2010-11-06 12:06 | 記念碑 | Trackback(29) | Comments(0)