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2012年 01月 15日 ( 1 )

庚申塔あれこれ

明治通りを渋谷から恵比寿方面に歩いていくと、渋谷川に架かる数々の橋を見ることができる。以前このブログで紹介したことがある。その橋の中に「庚申橋」という名前の橋がある。その橋の袂にはご覧の庚申塔が祠にはいって祀られている。
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横には渋谷区教育委員会の説明板が掲示されており、それによるとこの庚申塔に記載されている個人名は多数の地域からなっており(名前が記載されているものもあるがこのように多数あるのは珍しいらしい)その地名も赤坂、芝、池袋、目黒、世田谷、荻窪と多岐にわたっておりこの地が重要な交通路であったことが伺える。
代官山交差点付近にもこちらは地蔵ではあるが同種のものが建てられており、江戸時代からこのエリアが交通の要所であったことが伺える。
話が毎度のことであるが横道にそれてしまった。今回調べたかったことについて書いていくことにする。それはタイトルにもある「庚申塔」についてである。
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庚申塔については、広尾にある「広尾の庚申塔」脇の港区教育委員会説明板が詳しいのでそちらから引用すると
「庚申信仰は、庚申の夜に人の体内に住む三尸虫が、眠っている間に体内を抜け出して、天帝にその人の罪科を報告して生命を縮めるといわれているため、眠らずに一夜を明かすもので、講の形をとって地域住民の交際の場となっていました。庚申塔は庚申信仰を具象的に表現する塔で、室町時代後期以降盛んに各地に建てられました。」
とある。これによると中世の地域住民の井戸端会議の場所であったことがうかがえる。それで各地に庚申塔が残されているようだ。また別のサイトの説明によると
「明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めた。さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。」
とある。それでこのような供養塔が神社にまとめて祀られている光景を見かけることも納得である。豊栄稲荷神社の庚申塔もこのような理由によりまとめられたようである。

庚申塔その1 → いつものウィキペディア
庚申塔その2 → 庚申塔というページ
庚申塔その3 → 庚申塔物語(章になっており解りやすい)
広尾の庚申塔 → 広尾の庚申塔(港区のページから)
by motokunnk | 2012-01-15 09:11 | | Trackback | Comments(0)