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2013年 02月 13日 ( 1 )

京橋界隈の記念碑などなど

今朝は我家の近辺でも雪が降ったようである。出勤する路には植え込みがあり、その土の部分がうっすら雪化粧していた。ただし通勤時間帯にはすでの雨もやみ、傘をささずに出勤することができた。朝のニュースではグアムで無差別殺人事件が発生していることが報じられている。秋葉原の無差別殺人事件を思い出させるような事件であり、あってはいけないことだと思う。世界で一番治安のいい国はどこなのか真剣に考えてしまう。
さて京橋に本社が移転して半年が経過した。浜松町にいたときは昼休みなどを利用してちょくちょく近所の散策をしていたが、やはり大都会のど真ん中に移転すると、本社からちょっと散策という雰囲気にはならなくなってしまう。
これも歳なのかもしれないが、問題は意志なのかもしれないと思い、時間を見つけては散策するようにしている最近である。そんな散策途中で気付いた風景を撮った写真について紹介していくことにする。
まずは京橋の親柱についてである。以前このブログで日比谷公園にある親柱と京橋にある柱について説明したが、京橋にはこの写真で紹介する3本目の柱があることに気付いた。ネットでの説明には次のように書かれている。
京橋界隈の記念碑などなど_d0183174_19453894.jpg

「京橋は、江戸時代から日本橋とともに有名な橋でした。橋は、昭和三十四年(一九五九)、京橋川の埋め立てによって撤去され、現在では見られませんが、その名残をとどめるものとして、三本の親柱が残っています。」
時代ごとに橋が建て替えられてその都度、親柱が製作されていたことがわかるし、歴史を感じさせる。京橋の親柱から、首都高速をくぐったあたりに次に紹介する記念碑が建てられている。
江戸歌舞伎発祥の地を示す記念碑である。英文と和文で説明されている。
京橋界隈の記念碑などなど_d0183174_1946629.jpg
碑文によると
「寛永元年二月十五日 元祖猿若中村勘三郎 中橋南地と言える此地に猿若中村座の芝居櫓を上ぐ これ江戸歌舞伎の濫觴也 茲に史跡を按し斯石を鎮め 国劇歌舞伎発祥の地として永く記念す。昭和三十一年七月 江戸歌舞伎旧史保存会」
とあり、昭和31年からこの地にあるようである。今までは全然気づかなかった記念碑で、見ればかなりりっぱなものであるが、今までは気づかずにその前を通り過ぎていたわけで人間、きょろきょろしていると何かの福(これを福というのかはわからないが)があるものである。
歌舞伎界は大御所が相次いで中村勘三郎、市川団十郎と急逝してしまった。新歌舞伎座が4月に杮落となるが、演目がどうなるのか、野次馬ではあるがちょっと気にはなる。
最後に紹介するのは、第一生命相互館である。私が京橋に通勤していたときに、先輩から言われた言葉がある。「京橋交差点には3つの第一生命がオーナーのビルがある。」なんでも都内の交差点で1企業が4角すべてにビルを所有しているところはなく、3か所所有しているところも京橋交差点ただ1つということだそうだ。
その言葉を覚えていたので、京橋交差点が再開発されて昔の面影がなくなっているのには一抹のさびしさがある。ただ、第一生命相互館の後、新築された相互館110タワーには第一生命相互館の模型とパネルが展示されている。
京橋界隈の記念碑などなど_d0183174_19462816.jpg

私が見ていた相互館は2代目であるが、初代の相互館が模型ではあるが復元されている。東京駅と同じ辰野金吾の設計であることがわかり、明治時代は辰野金吾がほぼ代表的な建築物の設計に携わっていたのだなあと変なところで感心してしまった。
この他にも本社界隈には記念碑がたくさんあるようで、暇を見つけて散歩がてらに歩き回ってみようと思う。
参考URL → お江戸京橋界隈あれこれ噺
参考URL → 江戸歌舞伎発祥の地
参考URL → 第一相互館の歴史
by motokunnk | 2013-02-13 19:47 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)