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衝動買いしてしまった1冊の雑誌

昨年末の話であるが、代官山に蔦屋書店がオープンしたとの新聞折込広告が目についた。朝7時から開店しているとのこと、早速出かけてみると、ある一角に書店がジャンル分けされてジャンルごとに店が構えてあった。
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そのうち真ん中の店に入ると、そこはモータースポーツ系雑誌やDVDなどが販売されており、1970年代のF1写真を撮ったJ.ホンダの写真集が目に入った。ロータス78が特集されており、私がファンであったぺテルソンの写真が多数納められていた。
ちょっと値段がはったので購入は避け、またの機会に立ち寄った際、売れ残っていたら購入しようかと思っていた。
そして今日、昼時に時間調整のために立ち寄った書店(書店に立ち寄ると売れ筋の本が何かがわかるので、時間調整でよく書店に立ち寄ることがある。)で目についた雑誌が写真の雑誌である。d0183174_19175864.jpg
Racing Onという雑誌は前から知っていたが、その中から記事をあるテーマでまとめて「Racing on Archives」として発行していることは知らなかったそしてその第5号が私が青春時代、F1を追いかけていた時代の憧れであったロータスとティレルの特集である。値段も1800円であったので、ちょっと立ち読みして衝動的に購入してしまった(後で後悔してしまうかもしれないことなど考えずに)。
中にはぺテルソンの記事やリントの記事など、読み応えのあるものが満載されており、このブログを書き終えてからじっくり読もうと思っている。思えば1970年代はDFV全盛でどのマシンが勝ってもおかしくない、ちょっと資産があれば誰でもF1に参戦できる古きよき時代であったのかもしれない。その中で革新的なマシンを製作したロータスに私は魅かれていた。チャップマンという稀代の天才が興したロータスというメーカーに魅かれたというのが本音かもしれない。
またJ.クラークというレーシングドライバーを初めて知ったこと(小学校時代にたまたま買った車の雑誌がカーグラフィックでそのF1記事が1965年ドイツGP、J.クラークが優勝して1965年のチャンピオンを決めたレースということでクラークのことを知った)も何かの縁でこれから私のF1ファン人生が半世紀にわたって続いているのである。
それからロータスとそのチームに属したレーシングドライバーのファンとなっていった。唯一の例外はC.エイモンである。彼は1966年のフジで開催されたインディカーレースに参戦しており、ちょうど顔がD.マッカラムに似ているのでそう紹介されていたことからそして翌年のデイトナ24時間レースで優勝してからファンとなってしまった。残念ながらF1では優勝経験がないが、1960年後半から1970年前半にかけてトップドライバーの一人であったことには間違いないと信じている。
話が昔話になってしまった。ブログはこのぐらいにし、これから雑誌を最初から読むことにしよう!

蔦屋書店 → 蔦屋書店のサイトマップ
「Racing on Archives」 → 第5号の立ち読みサイト
by motokunnk | 2012-01-11 19:18 | スポーツ全般 | Trackback | Comments(0)

これはすごいこと、FIFAの3賞を独占!

今朝未明に開催された国際サッカー連盟(FIFA)の2011年年間表彰式で、日本に3つの栄誉ある賞が与えられた。d0183174_19253019.jpg澤の最優秀選手賞は確実との予想が日本では流れていたのでまず受賞するであろうと思っていた。
また監督賞に選ばれた佐々木則夫もなでしこジャパンを率いて女子W杯で優勝したのでそれほどの驚きはなかった。一番ビックリしたのは日本サッカー協会がフェアプレィ賞を受賞したことである。確かに男子代表がアジアカップで優勝したこと、そして女子代表がW杯で優勝したことは勿論であるが、受賞理由に「3月11日の東日本大震災からの復興の焦点として特に若者の間でサッカーを後押しした功績」があげられていた。
東日本大震災は全世界に地震・津波の恐怖を教えたことは間違いない。それを支援する動きもサッカー界を問わず、世界中で、また色々な業界で取り組んできている。女子W杯で試合が終わると、選手・スタッフが東日本大震災支援のお礼が書かれた横断幕をかかげてお礼の意味もあり、グランドを一周まわっていた姿を思い出す。
それらの活動が評価されてのフェアプレィ賞受賞であったのかと思う。新聞では号外が出されるほどのビッグニュースとなった。
澤の座右の銘が「夢は見るものでなく叶えるもの」という。この夏のロンドン五輪でも一番輝く色のメダルが期待できそうである。女子の世界で連続してW杯と五輪のチャンピオンとなった国はないという。是非なでしこジャパンが初のダブル世界一を達成して欲しいものである。

THE WALL STREET JOURNAL → 澤選手にFIFA最優秀賞、日本に栄誉ある3賞
by motokunnk | 2012-01-10 19:27 | スポーツ全般 | Trackback | Comments(0)

初詣の期間はいつまで?/東郷神社参拝記

喪中の年は初詣は控えることと一般に言われているが、初詣の期間はいつまでかと言うことは言われていない。そこでネットで調べてみると、明確には定義されていないようだ。
「一般的には、正月三が日に参拝するのを初詣といっているが、1月中に参拝も初詣とする考え方もある。」(ウィキペディアより)
三が日を過ぎれば初詣とは言わないということでよいようである。また、喪中の年の初詣は控えるという説も間違っているようで神社は×だが、寺院は○だそうだ。また神社についても「神社は絶対に初詣がダメかというと、実はそうでないケースもあります。神道では一般的に五十日祭を終えて忌明けになれば鳥居をくぐっていいと言われています。つまり没後五十日を過ぎれば神社へお参りしてもOKというわけです。」ということで没後50日を境に神社へのお参りは○とのことである。
私の場合は三が日でも1日のみは神社へのお参りは控えて、2日以降は50日以上となるので神社への初詣はOKということらしい。
お正月休みが終わったと思うまもなくの3連休も今日が最終日、明日からは仕事モードの1年がスタートする。ということではないが、昨日は今まで前は通るが一度もお参りしたことがなかった東郷神社へお参りにでかけた。
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読んで字のごとく、明治時代の海軍総指揮官であった「東郷平八郎」を祀っている神社である。詳しくは神社の由緒に書かれているのでそちらを見るとよりよくわかる。
我家の周辺には「乃木神社」もあれば「東郷神社」もあり年末にNHKで放送された「坂の上の雲」ででてきた陸軍大将と海軍大将それぞれを祀った神社があることになる。明治神宮も明治天皇を祀っているわけであるから、このエリアが明治時代を神格化しているシンボルとして捉えられていたのかもしれない。
それはさておき、東郷神社である。明治通りを歩いて竹下口を過ぎると道の左側にりっぱな鳥居と東郷神社の門柱が目に入る。
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境内に入ると、灯篭が目に入るがこれは日露戦争時代の駆逐艦部隊が献納したもののようで、灯篭わきに石碑が建てられていた。
中へ進んでいくと池があり、池から東郷記念館を望むことができる。
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東郷神社で神前結婚式をあげ、東郷記念館で披露宴というカップルにはもってこいのロケーションのようだ。披露宴でなくても何かの宴席で記念館を利用する際にはその前庭としての景色は美しいものがある。
池を過ぎると鳥居が目に入る。
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この鳥居はいわれがかかれており、元は築地にあった水交神社の鳥居を移設したものだそうだ。日露戦争での戦没者慰霊のために水交神社は建立されたそうで、ここにも日露戦争のかげが見てとれる。それほど日露戦争は明治・大正時代にあって、列強の仲間入りをした戦争として評価されていたのかもしれない。
鳥居をぬけると階段がありそれを登ると何と公道にでてしまった。境内の真ん中に公道があるのもユニークである。公道といっても多分、神社への取り付け道のようで、ほとんど車が通らないようである。道路をわたり、本殿がある敷地へ歩を進める。
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本殿を囲む回廊には絵がかけられている。社務所の方から順に番号がふられており、全部で13枚、東郷が薩摩時代からの半生が絵と文章で説明されている。当然日露戦争の日本海大戦の説明もあり、年末の「坂の上の雲」を思い出してしまった。
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他にも海軍総司令官を祀っている神社ということもあり、海軍関連の碑が多数あった。2、3紹介したい。
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まず、海軍経理学校敷石が本殿をでた階段下におかれている。そして海軍将年兵の碑がすぐそばに設置され、その碑の裏には昭和の白虎隊との説明板に書かれているように海軍将年兵についてのいわれが書かれていた。
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そして旧海軍館に設置されていた魚雷の模型も展示され、日本国海軍の記念品青空展示場のようであった。神社というより、海軍記念館といったような雰囲気となってしまった東郷神社参拝であった。

東郷神社 → 公式ホームページ
東郷平八郎 → いつものウィキペディアから
by motokunnk | 2012-01-09 09:21 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

散歩を楽しく/商店会の名称となった公園!

渋谷区には区立公園が多数存在する。渋谷区のホームページでも区立公園のページが用意されており、公園によってはその概要紹介のサブページまで用意されているところもある。
我家のすぐそばにも常磐松公園や氷川みかん公園があるがその紹介ページは用意されていない。写真を見てもおわかりのようにどこの自治体にもあるような小さな公園である。
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多分、バブル期(もう20年以上前になってしまった!)に相続税を支払うことができなかったと思われる人が土地を物納したのではと思う。それが区に払い下げられて公園整備が行われたのではと思うが真実のところは闇の中である。
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常磐松公園は町会の餅つき大会や祭りの山車の引き手の集合場所として活用されているようで、それは氷川みかん公園も同じかもしれない。
それとは異なり、区立公園が商店会の名称となっている公園が存在することに気がついた。正確には公園の通称名である。公園の名前は恵比寿東公園である。
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写真を見てわかるようにたこのすべり台が目立つ、通称「たこ公園」と地元では呼ばれているようである。そしておかげさまで60周年「たこ公園商店街」と書かれた横断幕を目にすることができる。
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かなり恵比寿駅周辺の広範囲に吊られているので恵比寿へ行った際に目にした人も多いのではないか。たこ公園であるが、最近まで改修工事が行われていたようである。ブログ(一般の人が書いてものであるが)によれば、数年前から改修工事が行われているとか、現在も公園自体、約半分は仮囲いで囲まれて工事中の表示がなされていた。今年3月末にオープンする予定のようである。
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公園は渋谷川に面しているとあって、貯水槽を設置してあったり、「コウホネ」が植えられた鉢も用意さえていた。6月頃には綺麗な花を咲かせるようで、自然教育の一環としても利用してもらう配慮がなされているのには感心した。
恵比寿たこ公園商店街.netというホームページが開設されているのにもビックリした。地元に根付いた区立公園というのもいいものである。

渋谷区の公園 → 区立公園一覧
たこ公園商店街 → 正式名:東恵比寿商栄会
by motokunnk | 2012-01-08 08:55 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)

昨日の社説から:日本の将来について

昨日の毎日新聞社説では非常に意味のある事柄について論説していたので紹介したいと思う。1ヶ月しかネット上では見ることができないようなので一部は転載させていただくこととしたい。
さてタイトルは「2012・激動の年 明治と戦後に学ぶこと」と題して、年末にNHKで放送された「坂の上の雲」のことから論説はスタートしている。乃木希典大将が、妻静子とともに明治天皇に殉死したのは1912年の9月のことである。殉死の理由は定かではないが、坂の上の雲を見た感じでは、多くの日本兵やロシア兵を日露戦争のために死なせたしまったこと、そして余命いくばくもない乃木が生き残ってしまい、自らの死に場所を求めていたからではないかと感じる。
その明治が終わり今年はちょうど100年となる。「明治は遠くなりにけり」という古来からの言い伝えがそのままあてはまる時代となってしまった。
そして論説は第二次世界大戦、サンフランシスコ講和条約の発効(こちらは1952年4月28日)からちょうど60年の節目の年にあたるといっている。『明治から大正にかけて一気に主要国へと駆け上がったあと敗戦でドン底にたたき落とされ、民主主義国として再生した戦後日本が「還暦」を迎えるのである。今は長い停滞期にあり変化の乏しい退屈な国と見られがちな日本だが、過去を振り返るならこの国ほど浮沈の大きな近現代史を経てきた国家もない。明治の終焉(しゅうえん)から100年、講和・独立回復から60年。二つの歴史の節目が示唆するものは多い。』
そして段落をかえて「夜郎自大ではだめだ」という論説に移っていく。夜郎自大という四文字熟語について、はなはだ不勉強の私はその意味を知らなかったので、調べてみると世間知らずのことを言うそうである。日本は日露戦争のときもそうであったが、ロシアという列強に対して無謀な戦争をしかけたわけであり、論説でも語られているように戦後処理、また開戦にあたっての外交が特に重要な事柄であったことを強調している。
そういえば、NHKドラマ内でも高橋是清が英国に渡り、資金融資の折衝をしている姿が描き出されていたし、戦後の処理でも賠償金をとれなかったこともサラリと語られていた。どちらも外交的に何をすればよいかをよく政府が考えて決断した結果だと思う。
『ポーツマス講和条約交渉の日本側全権代表として、日露の軍事力・経済力の圧倒的な差を考え賠償金なしの講和をまとめた小村寿太郎。日清戦争のあとの三国干渉で「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」と苦渋の決断を下した外相・陸奥宗光。いずれも政治が判断を誤れば国が滅びたかもしれない局面で発揮されたリーダーシップである。明治の政治とは「内政イコール外交」だった。』
と論説はまとめている。
そして第二次世界大戦であるが、坂の上の雲でもナレーションで流れていたので気づいた人も多いかもしれないが、なぜ日本人は同じ過ちを繰り返してしまったのかということである。時代が進み、30年しか経過していない段階で、何故また戦争をしてしまったのかということになる。
『日露戦争以後、一等国だと勘違いした日本は夜郎自大になり破滅の戦争へと向かった。内閣のリーダーシップの欠如と政党間の足の引っ張り合いが軍部の台頭を許し、国家の羅針盤を狂わせたのである。』
順番は逆になるが論説ではこのようにまとめている『吉田茂首相は冷戦体制に入った米国の再軍備要求に対して当時の日本の国力では耐えられないと考え、軽武装・経済成長路線を歩む決断を変えなかった。戦後の日本の繁栄と安定はこの吉田路線のたまものだと言っていい。』
そして現在の話である。菅前総理は就任時に「第3の開国」という言葉を利用した。第1の開国が明治維新、第2の開国が第二次世界大戦後であるので今は第3の開国とした発言であった。しかし現実を見ると、どうも第2次世界大戦前夜の日本のような気がする。消費税論議にしても政党間の思惑が国民生活向上の前に来ているような気がしてならない。自民党も先に発表したマニフェストで消費税10%を掲げているのに何故民主党からの提案に拒否をするのかよくわからない。
多分この夏に解散・総選挙があると予想しての戦略であろうが、このこと自体が内閣のリーダーシップの欠如と政党間の足の引っ張り合いという第二次世界大戦前夜の状況によく似ているような気がする。
『世界の中にわが身を置いて客観視することができず、どんどん内向きになっていった時代の閉塞(へいそく)感に近いものが、日本の政治にはびこっているように思える。』と論説は続き、最後のまとめ「政局より国の生存を」に続いている。
『東日本大震災で世界から寄せられた支援を知り、首都圏のある中学生がこんな質問を口にした。「あと10年たってまた日本がこんな震災にあっても、世界は日本を支援してくれるでしょうか」世界が示した復興への期待にもかかわらず、日本の政治は首相降ろしの権力抗争に終始した。この中学生でなくても、国のサバイバルより政局が優先する政治でこれから先は大丈夫なのかと心配になる。』
中学生の質問ごもっともである。こんな永田町界隈での権力闘争を繰り返していると国民不在の政治、外交後回しの政治となってしまうと国際社会から孤立してしまうことは当然のことといえる。そして論説は次のフレーズでまとめている『議論すべきこと、すぐにも始めたいことはたくさんある。たとえば、国家予算の1%を政府開発援助(ODA)に回す発想はないだろうか。1%なら9000億円余。日本が世界一の援助大国だった90年代には及ばないが、来年度予算(5612億円)よりはかなり多い。世界に重きをなすため何ができるか、そんな発想で政治が動いてほしい。内にこもらないで、目を外へと向けたい。世界とつながる中にしか日本の明日はないのだから。』
毎日新聞の社説を読んで、日本の将来に危機感を覚えたのは私だけではないかもしれない。なお『』内は社説の転載である。

毎日新聞社説 → 2012・激動の年 明治と戦後に学ぶこと
夜郎自大 → わたしが調べた四字熟語
by motokunnk | 2012-01-07 08:25 | 日記 | Trackback | Comments(0)

今日は小寒、寒さも本番!

今日は二十四節気のうちの小寒である。冬至 から数えて15日目頃、冬至 と大寒の中間。寒さが加わる頃という意味で、いわゆる「寒の入り」とも言うそうである。そして今日小寒から節分までの30日間を「寒の内」といい、寒風と降雪の時節で、寒さが厳しくなる頃。これからが冬本番である。そして節分の翌日は立春となり、暦のうえでは春となり「寒の明け」になる。
そして「寒の内」にだすのが「寒中見舞い」ということのようだ。今年は喪中であったのでいただいた年賀状(大半は喪中の葉書をだしたので枚数は数枚である)の返事を寒中見舞いでだすことにしよう。さいわい、ネットには無料のテンプレートが各種用意されているのでこれから品定めして例文を参考に作成することにする。
冬本番、風邪に注意して生活することにしよう!

■小寒と大寒 → くらしのミニ知識より
by motokunnk | 2012-01-06 18:48 | 日記 | Trackback | Comments(0)

山手線に30番目の駅ができる?

本日から会社がはじまり、昨日より若干早起きしてニュースを見ていると、山手線に新駅建設を検討しているというニュースが流れていた。
d0183174_1924232.jpg場所は品川駅と田町駅の間の現在品川車両基地がある場所だそうだ。ちょうど左の地図の真ん中あたりに新駅ができるようである。何でも品川~田町間は2.2kmと山手線の中でも駅間の距離が最大だそうで、中間に駅を設ける構想は以前からあったようである。並行して走っている京急も泉岳寺という駅があるし、JR線に駅があってもおかしくはない気もする。
また、2013年度末には宇都宮、高崎、常磐の3路線と東海道線を直通でつなぐ「東北縦貫線」の開通に伴い、車両基地の10~15ヘクタールが不要になるというお家の事情もある。そしてこのエリアを国際都市東京の目玉とする特区制度もさきごろ認可されたそうで新駅検討となったという。早速駅名は何かなどを特集するワイドショーもあるようである。
新駅建設が決まったら新駅名は一般公募すればいいのではないかとも思っているが、JR東日本さん検討してみてくれますか?
西日暮里駅ができたのは1971年であるから、それから40年が経っているわけだ。時の経つのはやいものである。なお地図は、Google Mapからの転載である。

ニュースソース → Google News
by motokunnk | 2012-01-05 19:25 | 日記 | Trackback | Comments(0)

散歩を楽しく/服部南郭別邸跡と箱根駅伝

箱根駅伝の復路もドラマが数々あったと思う。TV観戦(それも部分的)なので、復路後半しか見ていないが後半だけでも大袈裟に言えば感動ものの場面を映像がとらえてくれた。
戸塚中継所のシーン、繰上げスタートまで30秒をきって神奈川大学の選手がフラフラとなってタスキわたしのゾーンに現れた。そのまま手渡すかと思ったとき、あろうことか選手が転んでしまった。手助けすると失格となるので、これは繰り上げスタート必至かと思った瞬間、その選手が立ち上がり、刷り上げスタートと同時にタスキわたしが行われ、無事神奈川大学のタスキは大手町のゴールへとつながることができた。昨日の箱根の山登りシーンでも農大の選手はジョギングレベルのスピードしかでなかったがゴールまで完走したことで母校のタスキを届けることができた。
駅伝にでることも名誉なことであるが、タスキをつなげることもたいへんなことだと感じてしまった。もうひとつの感動シーンは最終10区での中央大学選手の走りであった。中央大学といえば、30年近くシードを守っている大学である。今年もシード圏内で力走しており、アンカーは順天堂大学、青山学院大学と見た目で争っていた。しかしどう見ても中央大学の選手は足元がおぼつかず、いつ転んでもおかしくないと傍目でみてもそう感じた。その選手が日本橋を過ぎてスパートして3人の前を走ったこと、そしてすぐに抜かれてしまったが、再度3人のトップに躍り出たことは素晴らしいと感じた。ゴールでは3人の最後となってしまったが、ひとりでも追い抜いて順位をあげることを目指す姿にある種の感銘を受けた。
東洋大学が復路でも圧倒的な速さを見せて、終わってみれば大会新記録で完全優勝を果たして今年の箱根駅伝は終わった。地元の2大学も青山学院が5位(史上最高位だそうだ)、国学院が10位と両大学ともシード権を獲得したことはうれしいかぎりである。来年ももっと上位を目指して頑張って欲しい。
d0183174_8491170.jpgさてタイトルにある「服部南郭別邸跡」であるが、我家の(というかわたしの散歩コース)そばに渋谷区教育委員会が設置した標識が建てられている。服部南郭という人を知らない身として早速調べてみると、江戸時代中期の日本の儒者、漢詩人、画家であり、荻生徂徠の高弟だそうである。またこの標識の前は坂おなっており、この坂のことを南郭坂ということも標識に書かれており勉強となった。
閑静な住宅街(すぐ目の前には都立広尾高校がある)の傍らにこのような江戸時代中期の儒学者の別邸があったとは、同じ江戸時代も後期ではあるが松崎慊堂の住居跡が今の白根記念渋谷区郷土博物館・文学館であることを思うと江戸時代からこのあたりには文化の香りがする人物が住んでいたことがうかがい知れる。今日まででわたしの正月休みは終了、明日からはまた仕事復帰である。後1日となってしまった休暇を有意義にすごすことにしよう!

服部南郭 → いつものウィキペディア
南郭坂  → 南郭坂の説明
by motokunnk | 2012-01-04 08:50 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

箱根駅伝とお正月

我家の近所には箱根駅伝に参加している大学が2校ある。決して強豪とはいえない大学ではあるが、昨日の往路ではそれぞれが特色を出してシード入りを目指して頑張っている姿におおげさに言えば感動した。
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まず、花の2区で区間賞の快走を魅せた青山学院が1校目である。青山通りには陸上競技部の横断幕が貼られており、箱根駅伝出場を知ることができる。知らなかったのであるが、青山学院が箱根駅伝で区間賞を取ったことはなく、今年が初めてとのこと、2区を快走した出岐雄大は暮れに行われた全日本大学駅伝でも区間賞をとっているとか、実力のある選手のようである。
その2区での快走を貯金に往路は7位とシード圏内の順位を確保している。復路でもシード権獲得目指して頑張って欲しい。
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さて2校目は国学院大学である。私事で恐縮であるが、国学院大学の学生は規律がいいようで、よく通勤途上に見かけることはあるが、昔と違って(決して昔が不真面目というわけではない)、いつもまじめに勉強しているようで夜遅くなっても国学院生と見受けられる学生の下校姿を見かけることがある。さてその国学院大学であるが、5区の山登り区間で見たことがある選手が走っていた。昨年の最終10区でゴール寸前にコースを間違えた選手という紹介があり、なるほどと思った。寺田夏生という選手、寒いのにランニング姿で快走して13位からシード圏内の9位にまで国学院大学の順位を上げる快走をしてくれた。
2校とも母校ではないが、地元の大学であり、決して優勝争いはできないかもしれないが、シードを取ることも重要なこと、復路でも今の順位を守ってぜひ昨年に引き続き2校ともシードを獲得して欲しい。
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昨日は箱根駅伝を見るのはほどほどにして、近所のお正月の風景を眺めに出かけてみた。青山通り、隠田商店街、そして表参道、繁華街のど真ん中に住んでいることを感謝しつつ、ウィンドショッピングを楽しんだ1日であった。気がつかなかったことであるが、元日でもないのに日の丸が掲げられた幟が各所にありビックリしたと同時に日の丸に対して愛着のようなものが生まれ始めているのかとの感じた。
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表参道ヒルズでは福SALEが開催されているとあって、開店まえから開店を待つ人がたむろしていた。
また日本コカコーラ本社前にはご覧のCMが貼られていた。今年はオリンピックイヤー、ロンドン五輪の年である。何個のメダルが獲得できるか、今から待ち遠しいともいえる。
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右の神社は隠田神社、昨日お参りしたが、若い女性のグループがきており、おもくじやらお正月の縁起物の見定めをしている姿を眺めて、今の若い人も神事を尊ぶ姿勢があるのかと感心してしまった。

箱根駅伝 → 日本TVのサイト
by motokunnk | 2012-01-03 09:42 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

お正月の風景

いつもと変わらないお正月の三が日、2日目である。昨日は近所の神社にお参りにでかけたが、よく行く2つの神社では参拝する人がかわっているように思えた。
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まず氷川神社であるが、東日本大震災で倒壊した鳥居も修復されていたが、本殿へ行くと、少ないながらも列ができていた昨年とは異なり、ほとんど参拝する人の姿は見えないのが寂しかった。
大晦日の日に行ったときには、元日は甘酒をふるまうという立て看板があったが、すでにふるまいは終わっていたのかもしれない。さてもうひとつの金王八幡宮であるが、こちらは例年通り、本殿参拝には若干の列ができており、例年通りの風景が見てとれた。茅野輪も用意されており、無病息災を願う参拝客がくぐっていた。
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そして今年はもう1ヶ所、足を伸ばしたところがある。神社ではなく、曹洞宗永平寺別院である。六本木通りに面しており、一度このブログでも取り上げた場所である。寺院へのお参りもお正月行事としてはよくあることのようで、参拝する人たちも見受けられた。
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さて今日は箱根駅伝である。これから花の2区のようで、TV観戦しようかと思っている。
by motokunnk | 2012-01-02 09:08 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)