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旧友との再会と日比谷公園と

ソチ五輪が終わったからではないが、前々から古い友人と昼食をする予定が入っていた。古い友人とは昭和50年代後半、電電公社(今のNTT)が民営化され通信事業に民間企業が参入することができるようになった時代、新規事業化のFSが各所で立ち上がったときに知り合った先輩である。
彼は商社に所属しており、たしか都市型CATVの会社についてのFSをした経験がある。その結果として現在の東京MXテレビが設立されたのである(都市型CATVのFSは複数の企業グループが検討しており、そのグループが一致団結して1社を立ち上げたと記憶している)。彼もMXテレビに移って活躍していることは毎年の年賀状交換で知っていた。
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今年の年賀状で私が退職したことを知ったのか、彼から連絡があり昨日彼と20数年ぶりに会うことになったわけである。日比谷のプレスセンター1階ホールで待ち合わせ、お互いに歳をとってしまったが、すぐに彼(ある癖があるのでわかりやすい!)とわかった。記者クラブに行き、彼曰く名物のビーフカレーを食する。その後ラウンジに移ってコーヒーを飲みながら2時間程度歓談してしまった。
20数年間のお互いの歩みや近況について語ったのだが、私より3歳年上であるがそろそろ退職しようと考えているそうだ(現在もMXテレビの顧問でいる)。やはり、単身赴任(茨城出身だということは初めて知った)をしているそうで、リタイアして実家に帰る話もでた。そして散会となったが、暖かくなったらFSメンバーに声をかけて再会しましょうと何となく次会うことを約束して別れた。
3時前後であったので、ちょっと散歩をして帰宅することにし、日比谷公園を歩くと、日比谷公会堂脇にある石が目にはいった。説明パネルも用意されているのでそばに行きパネルを読むと、この石は烏帽子石というそうだ。
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「江戸時代、江戸城外郭市ヶ谷御門の石垣の中にあったもので、形が烏帽子(昔、元服した男子のかぶりものの一種)に似ていたため、人々から烏帽子岩と呼ばれて珍重されていたものです。明治時代、道路拡張に伴い石塁がとりこわされた際、永く保存するためこの公園に移されました。」と説明パネルに書かれていた。
日比谷公園はこのブログで何回も紹介しており、明治時代に道路拡幅などであった石や塔などが移築されてきていることは知っており多々紹介したがまだ未紹介のものがあったとは驚きであったし、探せばまだまだでてくるのかもしれないと感じた。
参考URL → 日本プレスセンタービル
by motokunnk | 2014-02-25 08:36 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

「オアゾ」に「オズワルド」出現

昨日、ちょっとした買い物があり丸の内「オアゾ」に出かけた。連絡通路を利用して京橋から行ったのであるが、八重洲地下街ではクリスマスツリーが飾られて、年末の雰囲気を醸し出していた。これで福引会場がオープンすれば昨年と一緒だ。
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八重洲から地下連絡通路を利用して丸の内へと進む。珍しく動輪の広場でイベントが開催されておらず、動輪の前には何もないので動輪がフルに見ることができる、週末にイベントがあるようだ。
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オアゾの入り口にはクリスマスツリーが飾られ、クリスマスシーズンの到来を感じさせてくれる。
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さて1階にあがると、奥の広場には懐かしいキャラクタをデザインしたツリーが飾られていた。ミッキーマウスより前にみた「オズワルド」である。展示説明では都計廻りにツリーの周りを歩くとよいと書いてあったが、実際に歩いている人はいなかった。
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ただ、昼時だったので、写真を撮っている人は多数見受けられた。ツリーの脇にはTVモニターが設置されて、当時のアニメーションを流していた。たぶん、私はTVのディズニー番組で見た記憶はあるが、その後の世代は初めて見るキャラクタなのではないだろうか。
帰宅してホームページを確認すると、ディズニーイベントはオアゾだけでなく、ランドマークタワーなどでも開催されているようだ。ガイドマップを見ると、オアゾだけでなく丸ビルや新丸ビルなどのランドマークにもオリジナルのクリスマスツリーが飾られているようだ。
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東京駅丸の内のイルミネーションも今年も開催されているらしい。帰宅時にちょっと寄り道してみようかなあと感じてしまった。
参考URL → オアゾ
参考URL → ディズニークリスマス
by motokunnk | 2013-11-21 19:25 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

東京駅のちょっと変わった楽しみ方(番外編)

今朝は、昨日とはうってかわってひんやりとする天気である。日中も最高気温は12~13度と予想されているので、散歩にはコートが必要である。暖かくして出かけることにしよう。
さて先日、ブログでヤン・ヨーステンのことについて書いたがそのときに、レリーフの他にも胸像やオランダから乗ってきた船「リーフデ号」が東京駅周辺に設置されているということを書いた。それらを探して実際に見てきた。また探す際に、寄道をしたのでそのときに発見した史跡も併せて紹介することにする。
まず、ヨーステンの胸像の設置位置であるが、八重洲地下街にあるという情報が中央区のホームページに記載されていた。地下街といっても広いので場所を特定しようとネットで探しているとどうもノーススポットにあるというページが多くあったのでノーススポットに行ってみたが目指す胸像は見当たらない。どこにあるのか、探していると、中央通りにヨーステンと八重洲のつながりの説明パネルがあり、そこにはセントラルスポットに胸像があるとのこと、セントラルスポットを目指すことにした。
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その道すがらなんとなく目指すヨーステンの胸像を発見することができた。セントラルスポットからちょっと外れた場所に胸像とその説明パネルが設置されていた。胸像探しでセントラススポットに行くと、ずっと昔(以前京橋に本社があったころからなので20年以上)から設置されている幸運の子豚像が設置されていた。このイノシシと間違えそうな子豚像は説明板によれば、実物はフィレンツエのウフィーツイ美術館にあるそうで、鼻先を撫でると幸運が訪れると言われている。鼻面はみんなに撫でられてピカピカに光っていた。私も撫でで幸運を呼び込むことにしたが果たして幸運はやってくるのかは?である。
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ここまで歩いてきたので、「リーフデ号」の設置してある丸ビルまでは東京駅地下通路を経由して行くことにし、地下を歩いていくと、巨大な複数からなるレリーフの一団が目にはいってくる。
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このレリーフは、戦後GHQの特別待合室(東京駅にもGHQの部屋があったようだ!)の壁三面に渡って設置されていた石膏の巨大レリーフだそうだ。戦後の日本人の心意気を示そうと、当時気鋭の彫刻家たちが取り組んだものだそうである。1970年代には駅事務室となり、レリーフは覆われて見ることができなくなってしまっていたものだそうだ。東京駅復原計画でこちらの場所で公開することになったそうである。見ていて迫力がある。人通りも少なく、あまり知られてはいないようだが、宣伝すれば人気がでるはずである。JR東日本さん、ちょっと宣伝してみてはいかがでしょうか。
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そしてそのまま改札に入ると、こちらも復原工事で総武線から移された巨大なステンドグラスを目にすることができる。福沢一郎作の「天地創造」である。総武線へむかう通路にあったことは知らなかった(覚えがないといったほうが正しい)が、こちらもりっぱなステンドグラスである。以前ブログで書いたが日本交通文化協会が関与した作品だそうだ。
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この他にも円鍔勝三作の銅像「仲間」が八重洲中央口から続くコンコースに設置されている。東京駅はパブリックアートが随所に散りばめられているスペースといえる。探せば隠れたパブリックアートが多数存在しているようである。
さて、目当ての「リーフデ号」は丸ビルの南側に設置してあった。こちらは、すぐに見つかる場所にあり、1980年にオランダ首相が来日した際に、同王国から寄贈されたものであると説明パネルに記載されていた。さすがに30年以上も設置されているわけで時代を感じさせるが、老朽化しているとはいえない。
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ハウステンボスにも同名の船が設置(今はワンピースの海賊船となっているようだ)されておりこちらは乗船することができるそうだ。
さて今日は、昨日ブログで書いた、東横店屋上のプレイランドを見にいってこようかと思っている。
参考URL → 中央区観光協会オフィシャルブログNo.17
参考URL → 八重洲地下街の「幸運の子豚」
参考URL → 東京駅・40年ぶり復活の巨大レリーフ
参考URL → 天地創造
参考URL → 東京駅に圓鍔勝三作品「仲間」が
by motokunnk | 2013-03-30 08:30 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)

TOKYO HIKARI VISIONは中止となったが

クリスマスが終わり、今日からは新年ムード一杯である。昼間用事で出かけたが、東京駅地下のGRANSTAでは昨日クリスマスツリーが飾られていた場所に今日からは門松が飾られ、販売している品揃えも正月のおせち料理がメインとなっていた。
さて、東京駅といえば、先週後半から3D映像を駅舎に投影する「東京ミチテラス2012」が開催されているが、何とその目玉である「TOKYO HIKARI VISION」が23日の上映で予想を上回る観客が殺到してしまい駅前が大混乱となったそうだ。そのため24日から上映を中止し、25日に会期中の上映を全て中止する決定がなされたそうである。
同時開催の「STARLIGHT WALK」は開催されるとのことでそちらを見て帰宅することにした。こちらは「丸の内イルミネーション」の真ん中をつききる形で会場が設営されているので、同時に「丸の内イルミネーション」も見物することができた。
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どちらも「TOKYO HIKARI VISION」ほどの迫力(実際に生で見たことはないが)はないかもしれないが、光の演出としては1級品であり、これも足を運んでみる価値はあると思う。「TOKYO HIKARI VISION」目当てで来た人たちなおかもしれないが、「STARLIGHT WALK」「丸の内イルミネーション」もけっこうな見物客を集めていた。また「TOKYO HIKARI VISION」ぬきでも夜の東京駅丸の内駅舎は美しいと思った。
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東京ミチテラスのホームページには関連イベントのページも用意されており、その中には「丸の内イルミネーション」のほかに開催中のものとして「SPACE BALL」があげられていた。東京フォーラムで開催中なのでおりとみて見に行くことにしよう!
参考URL → 東京ミチテラス2012
参考URL → JR東京駅:光の映像ショー中止 年末の混乱予想で
by motokunnk | 2012-12-26 19:21 | 最新技術 | Trackback | Comments(0)

日本と西洋―イメージの交差・国会図書館の企画展示

先日外出ついでに時間をとって国立国会図書館で開催されている「日本と西洋―イメージの交差」の企画展示を見てきた。国会図書館の新館で開催されているというので、新館のどこで開催されているのかと思い足を運ぶと、何と新館地下1階で開催されていた。普段は本館入口から入ってしまうので新館は館内からは行くことがあっても新館入口から入ることはほとんどなかった。
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新館地下1階はけっこうな広さがあり、見学者は少なく(といっても20人程度はいたが)、ゆっくりとみることができる混み具合であった。入口で小冊子をわたされ、大きく展示は開国前と開国後にわけられて展示されていた。実際の冊子が展示されているだけでなく、当時の時代背景をパネルで簡単に説明されていることも好感をもてた。展示パネルの色も第1部と第2部で変えられていることもよかったと思う。
開国前の展示にはキリスト教を介した交流と称してザビエルの著書などが展示されて興味を持った。鎖国時代の展示には風俗紀行などがあり、なかなかなものだと感心した。さかさまな国日本という説明パネルもあり、ヨーロッパからみると不思議な風習をもった国という印象を受けたのだと思う。パリ万博には日本政府のほかにも薩摩が単独で出品するなどが展示されており、異国からみたら日本はどんな統治国家なのか疑問に思ったかもしれない。
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最後のコーナーには国会図書館で進めている電子化の紹介もあり、展示されている冊子のいくつかはPCを利用したも見ることができることを宣伝していた。帰宅して国会図書館のホームページを見ると電子展示会のページが用意されており、各種のデータベース紹介と実際の検索がそのページからできるようになっている。今度はそのページでどんなことがわかるのかを調べてみようかと考えている。
参考URL → 企画展示 日本と西洋―イメージの交差
参考URL → 電子展示会
参考URL → 展示一覧資料
参考URL → 日本と西洋―イメージの交差(PDFで数十頁ある!)
by motokunnk | 2012-12-05 19:56 | 美術館・博物館・美術 | Trackback | Comments(0)

散歩を楽しく/憲政記念館の特別展示

25日の日曜日、朝から晴れていたので憲政記念館で特別展示が開催されていることをどこかで見かけたのでちょうどいい機会なので見に行くことにした。憲政記念館まで行くので国会図書館でも「日本と西洋―イメージの交差」という企画丹治が開催されているのでちょうどいいのでそちらも見ることにし、東京メトロに乗ってで出かけることにした。
東京メトロに乗るので、メトロで販売しているメトロオリジナルスイーツはどんなものかと購入してみようとも思っていた。しかしこのスイーツは売り切れで購入待ちということで残念ながら味見はまた次の機会となってしまった。
さて、永田町駅について気づいたことがあった。今日は日曜日、国会図書館が休館日ということである。駅の掲示板にも本日休館日との貼紙がしてあり、ちまたの公立図書館と違って、国会図書館は日曜休館ということをすっかり忘れてしまっていた。
せっかく永田町まで来たのだから、憲政記念館の特別展示だけでも見ることにし、憲政記念館まで歩くことにした。日曜日の国会周辺は人通りも少なく、閑散としている。国会開催中であれば、警備の車などがいると思うが、国会は解散し、総選挙モードに突入しているので閑散というか、さびしい印象がある。
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憲政記念館にはいり、入場の際に簡単な記帳をする(無料なので、どこからきたのか、何歳代なのか、性別などを記入するもの)。受付をすませると、今回の展示しているものの概略が記載されている小冊子をわたされた。なかなか手の込んだものであるが、老眼鏡を忘れてきたので、内容を読むにはちょっと字が小さかった。記念館に入場したのは午前10時前後だったので、来館者はほとんどいないのではと想像したのが間違いで、前回来たときより(前回はふらっと来て一般展示を見た)も来館者は多く、十名以上の来館者が詰めかけていた。
2階が特別展示コーナーとなっており、2階の一般展示コーナーをつぶしてすべて特別展示とされていた。映像室もあるのだが、こちらもふだんは憲政の歴史というナレーション付きの映像(20分もの)が今回の特別展示に合わせた新しい映像(20分)となっているのには驚いたというよりは感心した。映像フィルム自体は保管されているものを編集したのだろうが、ナレーションや編集作業にかけた時間はけっこうなものだと思うし、展示自体も時間をかけて調査したのであろう、見どころ満載の展示であった。
展示内容はホームページにもあるように
1. 普選の実施から政党内閣の崩壊まで
2. 軍部の台頭から開戦まで・点景 議事堂の誕生
3. 戦時議会から戦後政党の復活まで
4. 激動の時代
5. 斎藤隆夫
の5つの主題をわかりやすくいろいろな資料をもとに説明されていた。
この時代の政治家についてもパネルと説明が用意されており、先日もブログで紹介した「浜口雄幸」や「高橋是清」などが紹介されていた。なんだかんだで1時間以上かけて見る価値はある特別展示であった。
国会図書館が休館日である意味よかったのかもしれないと思えた日曜日の午前中の散歩であった。
参考URL → 昭和、その動乱の時代―議会政治の危機から再生へ―
参考URL → 企画展示 日本と西洋―イメージの交差
参考URL → メトロオリジナルスイーツに秋の味覚が期間限定販売!
by motokunnk | 2012-11-27 19:45 | 美術館・博物館・美術 | Trackback | Comments(0)

東京駅のちょっと変わった楽しみ方(後編)

夜来の雨もあがり、今日は首都圏は晴天のようである。絶好の散歩日和かもしれない。昨日は午前中から雨だったので散歩は控えたが、今日はいちょう祭りを見に行こうかと思っている。
その前に先日紹介した東京駅の観光スポット後編を紹介したい。先回は元首相の狙撃事件跡の2ヶ所の紹介であった。今回はその他をまとめて紹介することにする。まず丸の内口各所に貼られているこんなプレートがある。知っている人も多いと思うが、復原工事をした際、昔の地中梁を抜いて全て施設で免震構造構造を採用している。
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免震ゴムを採用した免震の仕組みとなっており、10月のブリヂストンのCMで放送していたのでご覧になった人もあるかと思う。免震構造の簡単な説明が各所に貼られている。
その次は、観光スポットで紹介している「東京駅の石碑」、「駅長室」である。
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どちらも「御車(みくるま)寄せ」の左右に設置されている。「御車(みくるま)寄せ」は現在は利用されていないようだが、天皇、皇后両陛下や国賓、公賓、皇族などが東京駅をご利用になる際に乗用車をつけるところだそうである。駅長室であるが、当初の場所から駅中央に移されているそうである。また風除けも随分当初のデザインから現代風のデザインに変更されているようで、よく見ないとこれが駅長室かと判断できないようである。
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現在は内部が公開されていないが、内部には横山大観画伯の絵画「富士に雲」などの美術品のほか、東京駅の基礎を作る時に使われた松杭等が置かれているそうである。
さて、これらの施設(石碑、プレート)は皆駅構内に入らなくても見ることができるが、これから紹介するものについては、入場券を購入する必要がある。
昔、「日本一高い駅は東京駅」というなぞなそがあったと思う。これは各鉄道の始点が全て東京駅となっていることに起因している。別の言い方をすると全ての上り列車は東京駅へ向うということになる。その結果として、各路線の出発地点を示す「標識」が複数見ることができる。正式名称は「ゼロキロポスト」というそうである。ネットで「ゼロキロポスト」といれ検索すると、多数のブログがあり、全国各地店の「ゼロキロポスト」写真を見ることができる。
東京駅にも中央線や山手線ホームから「ゼロキロポスト」を見ることができる。ちょっとかわった「ゼロキロポスト」の写真である。
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右の写真が4、5番線の間に設置されたポストである。東京駅の中で一番有名なポストではないかと思う。蛇足ながらいつも見ているポストでもある。そのちょうど反対側にあるのが左の写真のポストである。21世紀になってから最上階に移設された中央線のホームにも真新しい「ゼロキロポスト」が設置されている。ただこちらは1番線側であり、2番線の同位置には、何の変哲もないポストが設置されている。
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東京駅といえば新幹線の発着地として有名であるが、新幹線のホームには別の記念碑も建てられている。それは18、19番線の品川寄りにひっそりと建てられている「十河信二」の記念碑である。
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十河信二と書いて、そごう しんじと読むそうである。第4代日本国有鉄道(現在のJR)総裁(在任1955年 ー 1963年)。「新幹線の父」と呼ばれる人の記念碑である。ウィキペディアによれば
「島秀雄を技師長として国鉄に復帰させ、自らは政治的手腕をふるい、東海道新幹線の建設を国会で承認させ、島とともに新幹線建設計画を主導・推進した。」とあり、また「オンライン乗車券発売システム「マルス」を導入して座席券販売の効率化を図るなど、当時高度経済成長で大きく伸びていた輸送需要への対応に努めた。」とある。かなり先見性のある人物であったようだ。しかし、在任期間をみればわかるが東海道新幹線が開通したのは1964年、その1年前に退任している。これは東海道新幹線の建設予算超過の責任を背負う形で再任されなかったとのことである。かなり当初予算より膨らんでしまったようだ。
その結果、1964年の開通式には来賓として招待されなかったようである。その後、1973年に東海道新幹線の東京駅18・19番ホーム先端に東京駅新幹線建設記念碑が建立されたが、その碑には功績を讃えて、十河のレリーフと座右の銘である「一花開天下春」の文字が刻まれている。ちなみに、そのレリーフの自分の肖像を見た十河は一言、「似とらん」と言ったそうである。
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現在の場所はそのときの場所からちょっと移設されているようである。その他にこのホームには、「新幹線起点」がホーム中央に埋め込まれている。同様のプレートは東北・上越新幹線のホームにも埋められているが、こちらはデザインが異なっている。このそばの線路をみると枕木には0km000と印字されており、これも形をかえた「ゼロキロポスト」なのかもしれない。
この他にも「ゼロキロポスト」はあるようだ、暇を見つけて東京駅を散策するのもいいかもしれない。
「開業時のホームの支柱」も紹介されている。こちらも通勤時に利用するホームに設置されているのでほぼ毎日お目にかかっているしろものである。
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最後に待ち合わせスポットとして2ヶ所紹介されている。待ち合わせ場所として紹介されている場所は2ヶ所あり、1ヶ所目が「動輪の広場」である。
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これは丸の内地下北口をでたすぐの場所にC62の動輪が展示されていることから命名されたようで、現在は動輪の前に東京駅のミニチュアが展示されている。
もう1ヶ所は「銀の鈴」でこちらは現在の鈴が4代目ということだそうだ。八重洲地下中央口のすぐそばに設置されているのでわかりやすいし、そばには銀の鈴の歴史が書かれている説明板が貼られている。
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このように、東京駅には歴史的な記念碑が多数設置されている。何気なく通勤や旅行で通過するだけでなく、東京駅構内見学を称してツアーを企画してもいいほどの内容ではないかと思う。
参考URL → 東京インフォ・観光スポット
観光スポットが紹介されている。地図も用意されているのでわかりやすい。
参考URL → ブリヂストンの免震ゴムについて
東京駅は実績にはまだ掲載されていないが、免震ゴムのイロハがわかる
参考URL → 十河信二
ウィキペディアの十河信二紹介ページ
参考URL → 東京駅「新幹線起点」
個人の人のブログ、東京駅のゼロキロポストだけでなく、全国の鉄道についての紹介がある
by motokunnk | 2012-11-18 09:37 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

東京駅のちょっと変わった楽しみ方(前編)

ちまたでは、今日の国会の党首討論で野田首相が「16日に解散します」と言って大騒ぎとなっている。これも大きな話だが、本当に解散するのかどうかは16日になってみないとわからない話ではある。自民党が定数削減に応じるかどうかに解散するかどうかがかかっているからである。それはさておき、東京駅丸の内口の復原工事が終了し、東京駅そのものが観光エリアとなって1カ月半が経過した。
今でも日中用事で丸の内に行くと、いかにも東京駅観光で来た人たちの集団を見ることができる。
さてそんな東京駅であるが、ちょっとかわった楽しみ方もあるので紹介したい。それは今日、11月14日に若干関係がある。東京駅で首相が襲撃された事件で思い出すのは原敬元首相の暗殺事件がある。
実はこの他にも首相襲撃事件がある。浜口雄幸元首相がその人であり、襲撃されたのが1930年11月14日! すなわち82年前の今日なのである。オフィスが京橋に移り、帰宅する際は健康のため東京駅経由で帰ることにしているのだが、八重洲口改札からつぐく通路の柱の一つにプレートが埋め込まれている。
そのプレートが浜口雄幸元首相襲撃事件のプレートである。そのプレートの周辺をみると一枚周囲とことなるタイルが貼られており、そのタイルにポイントが埋め込まれている。このポイントが実際に浜口雄幸元首相が襲撃された場所を示しているのだそうだ。
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浜口雄幸元首相という人も知らなかったので調べてみるとこれがりっぱな人物だったようである。
「高知生まれ。大蔵官僚、政党政治家。生家の父は山林官。明治28年(1895)東京帝国大学法科卒業、同年大蔵省入省。40年(1907)専売局長官となる。大正元年(1912)逓信次官、3年(1914)大蔵次官。立憲同志会に参加し、4年(1915)に衆議院議員に初当選し、以後6回当選した。憲政会総務をつとめた後、加藤(高)内閣蔵相、第1次若槻内閣内相、蔵相を歴任。昭和2年(1927)立憲民政党初代総裁。4年(1929)首相となり、金解禁を断行、ロンドン海軍軍縮条約調印を行う。5年(1930)東京駅で狙撃され重傷、翌年死去。」(出典:近代日本人の肖像から)
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ウィキペディアによれば、「その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれ、謹厳実直さも相まって強烈な存在感を示しつつも大衆に親しまれた首相」とあり、狙撃後も自身の容体悪化にもかかわらずに国会答弁を行ったこともあり、狙撃後の翌年に死亡した。「議会で約束したことは国民との約束であり、宰相たるものがそれを裏切れば、国民は誰を信頼すればよいのか。」との名言がある。「男の本懐」という言葉も浜口元首相のことをモデルにして書かれた小説である。どこぞの宰相(と出身母体の政党)に聞かせたい言葉である。
これが浜口雄幸についてである。なかなかの人物であろことがわかり、その死をいたんで国民葬が行われたともいわれている。今の政治家でここまで慕われている人は皆無かなあと思ってしまった。
さて、浜口雄幸狙撃プレートの説明はこのあたりにして、もう一人の宰相である原敬元首相の狙撃現場はどこか探してみると、これが新装なった丸の内南口にある。こちらは改札を出た(改札の外)ところにあり、しいて入場券を購入しなくても見ることができる。こちらもプレートのそばの床にポイントが埋め込まれており、そのポイントが実際に狙撃された場所だそうだ。
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浜口雄幸狙撃の約10年前に狙撃され(といって浜口の時は拳銃であったが、原敬のときは刀で刺された)、ほぼ即死に近い状況であったそうだ。原敬と言って庶民宰相というぐらいしか知識がないのでさきほどの浜口雄幸と同じサイトで調べてみると、
「岩手生まれ。ジャーナリスト、官僚、政党政治家。父は南部藩士。苦学の末、明治9年(1876)司法省法学校に入学。12年(1879)に退学後、郵便報知新聞、大東日報の記者をつとめる。外務省入省を契機に官界へ転進。外務次官などを歴任。30年(1897)9月、官界から引退するが、伊藤博文を中心に結成された立憲政友会に参加。35年(1902)衆議院議員に初当選。以後連続当選8回。政友会の実力者として西園寺公望総裁を補佐し、桂園内閣時代の立役者となる。大正3年(1914)第3代立憲政友会総裁。7年(1918)首相となり、初の本格的政党内閣を結成するが、10年(1921)東京駅で暗殺された。」
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と説明されていた。現職の首相が10年間に2人も狙撃されたという今考えると治安が非常に悪かった時代だったのかもしれない(うらをかえすと、狙撃に値しない人しか首相をしていない)。いずれにしろ、この事件から515事件~226事件へと日本が太平洋戦争へ進んでいく道を走っていってしまうのである。まあこの2人が存命であったとしても大きな流れを遮ることはできなかったかもしれない。
このように一つのプレートをみてもその背後には歴史があり、いろいろなことを考えさせられる出来事が隠されているのである。このプレート紹介を含めて東京駅の紹介サイトにはお薦め観光スポットというページが用意されている。
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それによれば東京駅の石碑、開業時のホームの支柱、ゼロキロポスト、駅長室が紹介されている。これら以外も含めて別の機会に紹介しようと考えている。
参考URL → 東京インフォ
この中に観光スポットというページがあり、そこに原元首相、浜口元首相のおおよその狙撃位置が掲載されている。
参考URL → 東京駅の歴史
10月一杯で展示は終わってしまったが、丸の内から京葉線へ向かう地下通路に展示されていた東京駅の歴史パネルを見ることができる
参考URL → 近代日本人の肖像
国会図書館のDBである。ブログ中の写真、紹介文もここから転載した。このサイトには近代日本の形成に影響のあった、政治家、官僚、軍人、実業家、学者、芸術家等約350名の肖像写真が紹介されている。歴史を紐解くうえでたいへん便利なサイトである。
参考URL → 原敬事典
原敬のすべてがわかるサイトである。個人で運営しているようであるが、いろいろな分野もありたいへんなことだと思う。
by motokunnk | 2012-11-14 18:53 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)

東京フォーラムが出来て15年、節目の年に総会が

早いもので東京フォーラムが開業してから15年が経過した。
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東京フォーラムが出来る前に何があったのかを知る人も今では少なくなってしまったのではないかと思う。
東京フォーラムが出来るまでは、この場所には東京都庁があったのである。そのことを示す碑が東京フォーラムの片隅に残されている。
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また、フォーラムに入ると、大田道灌の銅像もあるので、東京都に関係する施設であることは類推できるといえばできなくもない。そして現在は2020年東京オリンピック招致のはでなポスターが貼られているのでどちらかといえばそのポスターから想像できる。また昼休みには近くのサラリーマン、OL相手に移動販売車による昼食サービスで大賑わいである。
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さてそんな東京フォーラムで来週から国際通貨基金・世界銀行年次総会が開催される。国際通貨基金・世界銀行年次総会はワシントンで開催されているが、3年に1回は世界各国で持ち回りで開催されるようで、今年は東日本大震災復興をかねて、またエジプトが政変のために開催を辞退したので日本での開催が決まったそうである。
そのための交通規制の貼紙が東京フォーラムの至るところに貼られている。
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首都圏での警備といえば、数年前に横浜で開催されたサミットを思い出すが、規模はあれほどではないが、世界の要人が集合することでは一緒であり、一応、警視庁などはテロに対する警備とそれに伴う規制を厳重にするようである。今朝も通勤電車の放送で、来週からの国際通貨基金・世界銀行年次総会に関する規制についての放送がなされていた。
3連休が終わると、東京は国際通貨基金・世界銀行年次総会一色となる。

東京フォーラム → ホームページ
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by motokunnk | 2012-10-05 19:32 | 日記 | Trackback | Comments(0)

辰野金吾と東京駅とエトセトラ

来週の月曜日に保存復原工事の終わった東京駅がお披露目となる。そういうわけではないが、東京駅周辺にはカメラ片手のマニアたちが写真を納めに集まっているようである。
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かくいう私もその一人である。オアゾにある丸善まで用事があったので、ブログで紹介した丸の内のデジタルサイネージを見てから行くことにした。東京駅の通路サイドには赤煉瓦がむき出しとなっている箇所もあり、化粧室も設置されているようである。
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昼休みに出かけたところオアゾの前にあるベンチに見慣れぬ銅像が座っていた。銅像脇に小さなプレートがあり、それを見ると銅像の主は辰野金吾とある。辰野金吾といえば、明治から大正にかけて日本の建築界をリードした偉大な建築家である。
東京駅も彼の作品であるので、保存復原工事に併せてこの場所に製作されたのかもしれない。ちなみにこの場所から東京駅をみるとこのようになる。
さて、雨がポツポツと降ってきたので、本社への戻りは地下から行くことにした。
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地下の広場には東京駅の模型が設置されてあり、開業まで後3日という文字が描かれていた。ショップには東京駅限定グッズなるものも販売されており、絵葉書セットを購入してしまった。こちらは13日まで記念セールをしているようである。
さて、GRANSTAではチラシも用意されており、その中にはそれぞれの店舗の目玉商品の他に、東京駅の歴史や今回の保存復原工事の概要についての説明もあった。ゆっくり読んでみることにしよう。
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JR東日本 → Over The Century
by motokunnk | 2012-09-28 19:26 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)