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散歩を楽しく/街で見かける不思議な地図の案内板

散歩をしていると、地図が埋め込まれた案内板を見かけることがある。道標のような石で造られたもので、サイドには歴史と文化の散歩道と彫られている。
ネットで調べてみると、「さんぽみち総合研究所」なる団体があり、その団体が整備をしていることがわかった。東京都を中心に23の散歩コースを設定しており、先述の道標の他に案内板などを設置してある。
その中で我家の近辺にある散歩道を歩いてみることにした(とはいっても散歩道で設定してあるコースの一部分であるが)。そもそもこの散歩道に興味を持ったのが青山墓地の真ん中にある案内板の存在である。そこには全行程の地図が描かれており、特に現在位置周辺の見所がプロットされている。
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墓地に設置されているので(それも青山墓地なので)、有名人のお墓の所在がプロットされているのが中心であるが、その他にも根津美術館などがプロットされている。
その案内板から表参道方面にコース沿いに歩いていくと道標を発見することができる。
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そしてこの道標によるとちょっと外れたところに「青山の庚申塔」があるという。早速そちらを見学することにした。墓地に沿って坂(上の写真の路地)を下ると坂下付近に庚申塔は存在する。
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教育委員会の説明板も設置されており、「右 あをやま 内とうしん宿 ほりのうち 左 二十きおくみ 百人おくみ ぜんこうじ」と建立当初は道標の役割を果たしていてと書かれている。庚申塔は各所で見ることができるが、それぞれそのエリアでの道標をしていたのであったようだ。

「さんぽみち総合研究所」 → ホームページ
by motokunnk | 2012-05-27 08:47 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

こんな場所にお地蔵さんが祀られている!

先日確定申告を提出に税務署まで行った帰り道、東急ハンズをぬけて帰ることにした。元渋谷スタジオがあった通りを東急ハンズ方面に歩いていくと、道の左側にお地蔵さんが祀られていた。
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渋谷区教育委員会の説明板も設置されている。説明板には
「円い頭(比丘僧形)をして衣をまとったお地蔵様は、大衆にとって最も身近な菩薩です。地蔵菩薩は、現世と来世との間にたって、人が死んだ時には、その魂を救ってくれるものと信じられてきました。このような考え方ですから、その進行が大衆に伝えられた時代はかなり古く、また、広い階層にわたっています。正面の地蔵尊像は、最近の造立ですが、右横にある像は、もと道玄坂下にあったもので、元禄元年(1688)の造立です。
なお、堂外右手には戦災で破損しているものや台座のみのものを含めて3基の庚申塔があります。」
と書かれている。昔は別の場所に祀られていたのであろうお地蔵さんと庚申塔がなかよく一緒に祀られているのも都会ならではのことかもしれない。けっこうりっぱな祠に祀られているが、この土地は公有地なのか私有地なのか、私有地であるとすれば奇特な人が土地を提供しているのだなあと感心したしだいである。渋谷駅近くの一等地にもこのようなお地蔵さんを祀っている場所があることが驚きでもあり、やはりそうかという感じでもあった。
by motokunnk | 2012-02-15 20:09 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

庚申塔あれこれ

明治通りを渋谷から恵比寿方面に歩いていくと、渋谷川に架かる数々の橋を見ることができる。以前このブログで紹介したことがある。その橋の中に「庚申橋」という名前の橋がある。その橋の袂にはご覧の庚申塔が祠にはいって祀られている。
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横には渋谷区教育委員会の説明板が掲示されており、それによるとこの庚申塔に記載されている個人名は多数の地域からなっており(名前が記載されているものもあるがこのように多数あるのは珍しいらしい)その地名も赤坂、芝、池袋、目黒、世田谷、荻窪と多岐にわたっておりこの地が重要な交通路であったことが伺える。
代官山交差点付近にもこちらは地蔵ではあるが同種のものが建てられており、江戸時代からこのエリアが交通の要所であったことが伺える。
話が毎度のことであるが横道にそれてしまった。今回調べたかったことについて書いていくことにする。それはタイトルにもある「庚申塔」についてである。
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庚申塔については、広尾にある「広尾の庚申塔」脇の港区教育委員会説明板が詳しいのでそちらから引用すると
「庚申信仰は、庚申の夜に人の体内に住む三尸虫が、眠っている間に体内を抜け出して、天帝にその人の罪科を報告して生命を縮めるといわれているため、眠らずに一夜を明かすもので、講の形をとって地域住民の交際の場となっていました。庚申塔は庚申信仰を具象的に表現する塔で、室町時代後期以降盛んに各地に建てられました。」
とある。これによると中世の地域住民の井戸端会議の場所であったことがうかがえる。それで各地に庚申塔が残されているようだ。また別のサイトの説明によると
「明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めた。さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。」
とある。それでこのような供養塔が神社にまとめて祀られている光景を見かけることも納得である。豊栄稲荷神社の庚申塔もこのような理由によりまとめられたようである。

庚申塔その1 → いつものウィキペディア
庚申塔その2 → 庚申塔というページ
庚申塔その3 → 庚申塔物語(章になっており解りやすい)
広尾の庚申塔 → 広尾の庚申塔(港区のページから)
by motokunnk | 2012-01-15 09:11 | | Trackback | Comments(0)

豊栄稲荷神社の庚申塔(こうしんとう)

昨日、たまたま散歩の帰りに豊栄稲荷神社に立ち寄ったところ、今まで気がつかなかったのが不思議だったといわれても仕方がないが、庚申塔の存在に気がついた。何と渋谷区教育委員会の掲示板があり、それによると区指定の重要文化財となっているそうである。
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それによると「庚申信仰は江戸時代に庶民の娯楽を兼ねて流行し、それによって各地に庚申塔が建てられました。二三には十三基の庚申塔が集められていますが、像容はまちまちです。一般的に見られる六臂の青面金剛像だけのもの、その下部に天邪鬼や三猿を配したもの、三猿のみのもの、及び「為庚申供養」と文字だけを刻んだものなどがみられます。これらは町や村の辻に建てられたこともあって、右から七番目の塔には「めぐろ・こんわう遁」と刻まれていて、道しるべを兼ねていました。また、すべての塔の下部に建立者の名前が刻まれていますが、右から三番目のものには渋谷伝左衛門以下同姓の名が見え、旧領主渋谷氏との関連があるかどうか興味がもたれます。」とある。
江戸時代の庶民文化はすごいものを生み出したと思う。また庚申塔群の前には「庚申塔略記」なる記念碑も建てられている。庚申塔ひとつひとつに意味がこめられていることを再認識したしだいである。今の時代で後世に残すものは何かと言われて、ものを残すとしたら何であろうかと考えてしまうのは私だけではないと思う。
by motokunnk | 2011-02-28 20:47 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)