何回目になるであろう、今朝の天声人語を読んでの感想などである。
今朝の天声人語は小泉元首相の「原発ゼロ」発言である。確かに東日本大震災が発生して、東京電力福島原発が被災し、甚大な原発事故が発生して原発の恐ろしさを実感したが、あの事故以前は原発については安全だという認識が何となく植え付けられていた。 政府が発表するコメントや原発推進科学者の発するレポートからこんな考えになってきたのであろう。ただそんなに安全な施設ならなぜ都心に立地しないのかという疑問はあったが、それが福島原発およびその後の処理の不手際などで未曽有の災害となってしまい、脱原発の考えが私の中では大きくなっていたことも事実である。 そして小泉発言である。今朝の天声人語ではフィンランドの施設のことがふれられている。「オンカロ」という施設で放射性廃棄物を処理する施設だそうだ。地下数百メートルに放射性廃棄物を捨てるトンネルをほり、そこに投棄するそうだ。廃棄物を処理するのではなく、投棄するだけのものだそうだ。後は放射性廃棄物の半減期などで放射能が消えるのには10万年かかってしまうそうだ。 ![]() そもそも「オンカロ」という意味はフィンランド語で「隠す」という意味だそうだ。原発推進者からすれば、原発は安全な施設だそうだが、放射性廃棄物は安全な施設からもでてくるわけでその処理場の手配をしないで推進するのはおかしいといってもいい。天声人語では「トイレなきマンション」と言っているが、「トイレのないマンション」は誰も購入しない。 今の原発推進はまさしく「トイレのないマンション」を販売する悪徳不動産会社にあたる。安倍首相、石破幹事長も再考してほしいのだが。 参考URL → 最も危険な廃棄物の最終処分場「オンカロ」を知っているか? 参考URL → 最近の出来事・お知らせ, 2011/10/18 ▲
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| 2013-10-03 19:15
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別に今日のブログのネタがなかったからではないが、今朝の天声人語は読み手をそそる書き出しであった。
![]() その考えは次のフレーズで間違いだとわかり、「私は家庭内野党」につながるある人物の著書が今日の本論であった。ある人物とは漫画家の赤塚不二夫でその母も「家庭内野党」だったそうだ。 さてその天声人語であるが、赤塚と憲法学者の永井氏の共著である『「日本国憲法」なのだ!』について書かれている。「日本はもう戦争はいたさないのだ!」「国の政治は国民が信用してまかせた議員がするニャロメ!」「いつも努力しないとなくなってしまうかも」と赤塚漫画の主人公の語りで本は構成されているそうだ。私も日本国憲法は小学校のときに学んでいらい本分を目にしたことはない。 ネットでみると、取り扱いできないようだが、どこかで探して一度、日本国憲法を再度理解してみようかと思う。 参考URL → 改訂新版「日本国憲法」なのだ! ▲
by motokunnk
| 2013-06-12 19:34
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1週間ほど前に今朝の天声人語からというタイトルでブログを書いたが、今日はその続編である。というのは今朝の天声人語もその続編が掲載されたいたからである。それによると、読者からの反応も大きく、記事では74歳の女性からの意見が紹介されていた。
記事には、その女性の生い立ちがかかれ、最後に妊娠や出産などは義務教育の中で慎重に教えるべきことで女性手帳を配る話ではないこと、もっと若い人たちに見識を広めてもらうことが重要なことと書かれていた。言う通りである。今日のニュースでは女性手帳の配布は中止となったらしいが、根本的なことから考えてほしいと思う。 話がまたまた横道にそれてしまうが、橋下市長の言い訳会見や訪米中止にしても、米国人のものの考え方を理解していないと思う。欧米人は姓に対しては厳格であり、商談の席などではタブーである。ただ、いくら儲けたなど金儲けについての話はOKである。日本人の文化とはかなり違いようだ。これを理解しないで風俗の話をする感性が?である。 家族のあり方についても多様な考え方がうまれてきていると思う。画一的に考えるのではなく、もっと柔軟に物事を考える土壌がいるのかもしれない。 参考URL → 「女性の手帳」見送り ▲
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| 2013-05-29 20:34
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今朝の天声人語にはなるほどなあという事柄が書かれていた。閣議決定という文章からはじまる言葉は、戦前の富国強兵によるもので現在では個々の家庭についての強制としてとても許されないものであった。戦中時代にはこのようなことがまさに行われていたと思うと恐怖にすら感じてしまう。
そして現代となり、数年前の安倍政権のときの閣僚が女性を「産む機械」に例えたた発言をして大騒ぎになったことを伝えている。そして今、安倍内閣では「生命と女性の手帳」の配布を検討しているそうだ。 そんな話が今日の天声人語であり、〆の言葉は「結婚や出産は一人一人の選択であり、多様な人生が等しく尊重されなければならない。特定の生き方や家族のあり方を国が促したり、押しつけたりする。それを余計なお世話という。」である。 私は「生命(いのち)と女性の手帳」なるものを知らなかったのでネットで調べてみると、今月上旬に発表されるとネットでは非難轟々だそうである。「」で取り上げられて、 「手帳つくるカネがあったら育児支援にまわせや」や「これ、女性にだけ考えてもらって何か意味があるのかしら。男性は、何歳までに子どもをやしなって、かつ休職する配偶者をささえる覚悟を決めるべきか考えなくてもいいのか?」などである。 政府もこの手帳を何のために作成したかを理由をつけて説明しないと例えは悪いかもしれないが橋下市長の暴言とレベルは一緒だと思うのは私だけであろうか。 参考URL → 30代までに出産望ましい」、内閣府「女性手帳」にネットで非難轟々 ▲
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| 2013-05-21 19:29
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安倍首相の靖国神社参拝が韓国や中国から非難されている。今朝の読売新聞「社説」、朝日新聞「天声人語」ではそのことが取り上げられているし、昨日の毎日新聞「社説」でも靖国神社参拝が取り上げられている。終戦記念日ではないこの時期になんで参拝なのかと考えると、靖国神社では春の例大祭が21日から23日まで開催されているので問題となっているそうだ。
そして今回の例大祭で参拝した国会議員の総数は戦後最大だったとも伝えられている。確かに、第二次世界大戦で戦死した英霊たちの冥福を祈り、二度と戦争を起こさないことを祈念することは重要ではあるが、靖国神社にはA級戦犯も同時に斫られており、そのことが中国、韓国政府の懸念につながっているのだと思うし、毎年終戦記念日が近づくとこの話題がマスコミで取り上げられる。 毎日新聞の社説によれば、安倍首相は前回のときに靖国神社には公式参拝を控えていたそうだ。そのことが「痛恨の極み」と語っているようで、ひじょうに後悔しているようだ。それが今回、首相に返り咲いたことで公式参拝をした原因のひとつであるといわれている。高市政調会長がテレビに向かって「何ら問題ありません!」と語気を荒げて話していたが、民族の文化が異なるわけで、日本民族の文化の尺度からすれば「問題なし」でも韓国や中国の心情を考えると?である。 毎日の社説からの転載となるが「首相や閣僚の靖国参拝の是非について国論が割れてきたのは、(1)憲法20条の政教分離原則に抵触する疑いがある(2)極東国際軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯が合祀(ごうし)された靖国への参拝は中国などから侵略戦争の肯定と受け止められる という主に二つの観点からだ。」といわれている。今日の国会答弁でも新しい解釈は説明されてなく従来の主張を繰り返すだけであった。 A級戦犯の分祀論や無宗教の国立追悼施設の建設案にも、安倍首相は慎重と聞いている。では安倍首相としてはどうしたいのか、どうすればいいと考えているのかをしっかりと自らの言葉で話してほしい。参議院選挙が近づいてはいるが、この発言はけっこう重要だと思う。 同じ韓国であるが、KPOPの日本公演真っ盛りである。一度、彼らに「竹島問題」をどう考えているか、「竹島は韓国の領土か、日本の領土か」を聞いてみてほしい。すべて「韓国の領土」と答えがかえってくるであろう。これでも日本人はKPOPに熱狂するのであろうか。韓国では日本製品の不買運動がおきている。経済と政治は別物であるというが、韓国で混同しているのだから、エンタメの世界でも「竹島問題」でフィルタをかけてみてはいかがであろうか。韓国の主要外貨をかせぐ手段が減ってしまって打撃にはなると思うが。 参考URL → 閣僚の靖国参拝 外交問題化は避けるべきだ 参考URL → 社説:靖国の例大祭 閣僚参拝は無神経だ 参考URL → 春季例大祭 ▲
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| 2013-04-24 19:00
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今日のGoogleのロゴマークはコペルニクス生誕540周年ということもあり、宇宙をイメージしたものとなっている。
![]() まず、天声人語についてから、概略を書くとする。「鳥か! 飛行機か! いや、隕石だ」と懐かしい人にとってはあのフレーズが記憶から呼び出される。TV放送で話題となった「スーパーマン」のキャッチである。これを英字新聞で見出しをつけたものがあったそうだ。 「好きなもの いちご 珈琲(コーヒー) 花 美人 懐手(ふところで)して宇宙見物」は物理学者寺田寅彦のざれ歌だが、と続き、かの物理学者も「懐手で見物」の余裕はなかったはずとまとめている。時に宇宙はとんでもない贈り物を地球上に落としてくれる。 流れ星ももともとは隕石が地球に落下してくるものを称しているので、たまたま巨大隕石が地球表面まで到達してしまったのが、今回のロシアの事件である。米航空宇宙局の推算によれば、長崎型原爆25個分のエネルギーで大気圏に突入したという。「もう一つの太陽のようだった」という目撃談は誇張ではあるまい。 と言っているのも間違いなさそうだ。そして結論は「天に星、地に花、人に愛という。されど天・地・人のうち、ひとり「人」だけが利害や欲で互いを痛め合っている。落ちてきた訪問者、人界を何と見ることだろうか。」とまとめている。ちまちました地球上での問題に目くじらをたてて争うより、もっと宇宙からの脅威に対抗すできとの考えもあるのかもしれない。 そして余禄については、「「天狗」といえば長い鼻の赤い面を思い浮かべる…」というタイトルで天狗のルーツを解き明かしている。「日本書紀」に日本最古の天狗の記事があるのは、舒明(じょめい)天皇の9年春「大きな星が東から西に流れ、雷に似た大きな音がした」とのくだりだ。 中国でも火球や隕石を天狗と称していたようである。天狗伝説のある鞍馬(くらま)山などには威力ある神霊が金星から飛来したという伝承がある。人里離れた山奥での隕石による怪光や怪音の見聞が天狗伝説を生んだというのなら分かりやすい。とまとめている。 ここからロシアの隕石落下の話題となっていく。米NASAの推定では隕石は直径17メートル、重さ1万トンに及び、落下中は太陽より明るく輝いていたとみられている。やって来たのは金星ならぬ火星と木星の間にある小惑星帯からで、NASAのいう「100年に1度」という現象が人間の居住地域を襲ったわけである。 とこちらも米航空宇宙局の報道を孫引きしている。ただし今回の隕石落下は多数の人がその目撃し、動画サイトにアップしているので、研究者にとっては今までと違い、有意義な研究材料となりそうである。「コペルニクス的転回」という言葉にふさわしい出来事なり、発見が出てきてほしいものである。 コペルニクス生誕から540年、地動説を提唱した天文学者の生誕に併せて宇宙からの贈り物がきてしまったことを幸運に感じて研究に没頭してほしいと思う。 参考URL → 隕石落下映像 参考URL → 余禄アーカイブ 参考URL → 天声人語アーカイブは3か月分 参考URL → ロシアの隕石落下、負傷者は1000人に ▲
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| 2013-02-19 19:34
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昨日の毎日新聞社説では非常に意味のある事柄について論説していたので紹介したいと思う。1ヶ月しかネット上では見ることができないようなので一部は転載させていただくこととしたい。
さてタイトルは「2012・激動の年 明治と戦後に学ぶこと」と題して、年末にNHKで放送された「坂の上の雲」のことから論説はスタートしている。乃木希典大将が、妻静子とともに明治天皇に殉死したのは1912年の9月のことである。殉死の理由は定かではないが、坂の上の雲を見た感じでは、多くの日本兵やロシア兵を日露戦争のために死なせたしまったこと、そして余命いくばくもない乃木が生き残ってしまい、自らの死に場所を求めていたからではないかと感じる。 その明治が終わり今年はちょうど100年となる。「明治は遠くなりにけり」という古来からの言い伝えがそのままあてはまる時代となってしまった。 そして論説は第二次世界大戦、サンフランシスコ講和条約の発効(こちらは1952年4月28日)からちょうど60年の節目の年にあたるといっている。『明治から大正にかけて一気に主要国へと駆け上がったあと敗戦でドン底にたたき落とされ、民主主義国として再生した戦後日本が「還暦」を迎えるのである。今は長い停滞期にあり変化の乏しい退屈な国と見られがちな日本だが、過去を振り返るならこの国ほど浮沈の大きな近現代史を経てきた国家もない。明治の終焉(しゅうえん)から100年、講和・独立回復から60年。二つの歴史の節目が示唆するものは多い。』 そして段落をかえて「夜郎自大ではだめだ」という論説に移っていく。夜郎自大という四文字熟語について、はなはだ不勉強の私はその意味を知らなかったので、調べてみると世間知らずのことを言うそうである。日本は日露戦争のときもそうであったが、ロシアという列強に対して無謀な戦争をしかけたわけであり、論説でも語られているように戦後処理、また開戦にあたっての外交が特に重要な事柄であったことを強調している。 そういえば、NHKドラマ内でも高橋是清が英国に渡り、資金融資の折衝をしている姿が描き出されていたし、戦後の処理でも賠償金をとれなかったこともサラリと語られていた。どちらも外交的に何をすればよいかをよく政府が考えて決断した結果だと思う。 『ポーツマス講和条約交渉の日本側全権代表として、日露の軍事力・経済力の圧倒的な差を考え賠償金なしの講和をまとめた小村寿太郎。日清戦争のあとの三国干渉で「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」と苦渋の決断を下した外相・陸奥宗光。いずれも政治が判断を誤れば国が滅びたかもしれない局面で発揮されたリーダーシップである。明治の政治とは「内政イコール外交」だった。』 と論説はまとめている。 そして第二次世界大戦であるが、坂の上の雲でもナレーションで流れていたので気づいた人も多いかもしれないが、なぜ日本人は同じ過ちを繰り返してしまったのかということである。時代が進み、30年しか経過していない段階で、何故また戦争をしてしまったのかということになる。 『日露戦争以後、一等国だと勘違いした日本は夜郎自大になり破滅の戦争へと向かった。内閣のリーダーシップの欠如と政党間の足の引っ張り合いが軍部の台頭を許し、国家の羅針盤を狂わせたのである。』 順番は逆になるが論説ではこのようにまとめている『吉田茂首相は冷戦体制に入った米国の再軍備要求に対して当時の日本の国力では耐えられないと考え、軽武装・経済成長路線を歩む決断を変えなかった。戦後の日本の繁栄と安定はこの吉田路線のたまものだと言っていい。』 そして現在の話である。菅前総理は就任時に「第3の開国」という言葉を利用した。第1の開国が明治維新、第2の開国が第二次世界大戦後であるので今は第3の開国とした発言であった。しかし現実を見ると、どうも第2次世界大戦前夜の日本のような気がする。消費税論議にしても政党間の思惑が国民生活向上の前に来ているような気がしてならない。自民党も先に発表したマニフェストで消費税10%を掲げているのに何故民主党からの提案に拒否をするのかよくわからない。 多分この夏に解散・総選挙があると予想しての戦略であろうが、このこと自体が内閣のリーダーシップの欠如と政党間の足の引っ張り合いという第二次世界大戦前夜の状況によく似ているような気がする。 『世界の中にわが身を置いて客観視することができず、どんどん内向きになっていった時代の閉塞(へいそく)感に近いものが、日本の政治にはびこっているように思える。』と論説は続き、最後のまとめ「政局より国の生存を」に続いている。 『東日本大震災で世界から寄せられた支援を知り、首都圏のある中学生がこんな質問を口にした。「あと10年たってまた日本がこんな震災にあっても、世界は日本を支援してくれるでしょうか」世界が示した復興への期待にもかかわらず、日本の政治は首相降ろしの権力抗争に終始した。この中学生でなくても、国のサバイバルより政局が優先する政治でこれから先は大丈夫なのかと心配になる。』 中学生の質問ごもっともである。こんな永田町界隈での権力闘争を繰り返していると国民不在の政治、外交後回しの政治となってしまうと国際社会から孤立してしまうことは当然のことといえる。そして論説は次のフレーズでまとめている『議論すべきこと、すぐにも始めたいことはたくさんある。たとえば、国家予算の1%を政府開発援助(ODA)に回す発想はないだろうか。1%なら9000億円余。日本が世界一の援助大国だった90年代には及ばないが、来年度予算(5612億円)よりはかなり多い。世界に重きをなすため何ができるか、そんな発想で政治が動いてほしい。内にこもらないで、目を外へと向けたい。世界とつながる中にしか日本の明日はないのだから。』 毎日新聞の社説を読んで、日本の将来に危機感を覚えたのは私だけではないかもしれない。なお『』内は社説の転載である。 毎日新聞社説 → 2012・激動の年 明治と戦後に学ぶこと 夜郎自大 → わたしが調べた四字熟語 ▲
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| 2012-01-07 08:25
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今日の社説であるが、日本経済新聞を除いて民主党の代表選挙について論説されている。ただそのタイトルは微妙に異なっている。
「代表選に問う―復興増税から逃げるな」(朝日新聞)「民主党代表選 日米関係再構築の方策を語れ」(読売新聞)「民主党代表選 どうする原発 将来像を明確に語れ」(毎日新聞)となっている。 どれも来週月曜日に投票される民主党代表選挙について書かれているが、その内容は微妙に異なっている。今、日本が抱えている数多くの問題のうち、どれに重きをおいて欲しいかで社説は書かれているのかもしれないと勝手に考えてしまった。 JCASTのテレビウオッチでは「挙党一致」と「挙党態勢」、微妙に違う小沢と前原と題して論評されているが、これと同じではないが、各社で政策の重点が微妙に異なっていることが面白い。 ただ、民主党の代表選挙の説明会に9人の候補者予備軍が参加したというのが記事になるぐらい、今回の民主党代表選挙は政策論ではなく、多数の候補が立候補するというのが話題となっているのである。そして各陣営とも小沢グループから如何にして支援を引き出すかが焦点のようである。 まあ100人規模の大集団であるから敵には回せないが、またまた小沢一郎が代表選挙のキャスティングボードを握るのかと思うとやるせない気持ちとなってしまう。結局誰がなっても同じ民主党の代表選挙をなったしまいそうな予感がする。 各社の社説・朝日新聞 → 代表選に問う―復興増税から逃げるな 各社の社説・読売新聞 → 民主党代表選 日米関係再構築の方策を語れ 各社の社説・毎日新聞 → 民主党代表選 どうする原発 将来像を明確に語れ ▲
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| 2011-08-25 19:00
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東日本大震災により発生した福島原発事故依頼初となる、休止中(正確には異なるが)の原子力発電所の営業運転再開が北海道電力・泊原子力発電所3号機で実施された。
ただ、この原発は定期点検中でその作業が地震発生前に終了し、3月7日から調整運転に入っていたとのこと、調整運転でも実質は100%稼動していたそうで、営業運転と何ら変わりのない発電量であったらしい。 要は、経済産業省として正式に定期点検の結果を審査してGOサインをだしたまでのことである。ただその手続き論について、地元の了解を得なかったなど問題があったからこれだけの騒ぎとなってしまったと考えるのが本質論ではないだろうか。 原子力発電について私の考えは、ゆるやかな終息を図ることがベストであると考えている。何年、何十年先になるかもしれないが、代替可能なエネルギー源を確保して移行していくことが日本のエネルギー政策を考える上で妥当な選択と思う。 今日の新聞社説でも3紙がこの問題について論じているが、やはり3紙との原発容認の追い風とはならないとしている。しかし、地元にしてみれば、原発以外にこれといった産業もなく、「原発の休止=自治体の存亡危機」となるわけで、北海道としてこのような選択をとることはやむをえない選択だったと思う。 日本海に面しているとはいえ、いつ地震発生による津波の災害に襲われるかもしれないわけで、安全対策を万全にすることが今後の原発に対して求められることではないだろうか。 原子炉建屋だけでなく、周辺施設の津波対策も十分に考慮すべきであるし、津波以外の災害(テロも可能性としては十分に考えられる)に対して対策を考える必要がある。 昨日、天竜川で痛ましい事故が発生してしまった。安全といわれていた天竜川の川下り、ライフジャケットの装着が義務化されていなかったわけだが、これも想定外の出来事と片付けられてしまうのかもしれない。マスコミも含めてだが、個々人が想定外の出来事を予想して生活することを考えるべきだと思う。 いくら他人から見て、おかしいと思えることであっても自分が想定した危険から身を守るためにしていることであれば何らおかしくないわけであるから。 今日の社説・読売新聞 → 泊原発営業運転 電力危機回避の一歩にしたい 今日の社説・朝日新聞 → 泊原発の運転―次は厳しい新基準で 今日の社説・毎日新聞 → 泊原発 リスク評価は万全か ![]() ▲
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| 2011-08-18 08:09
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今日8月8日は暦のうえでは立秋、秋である。ただ現実は先週とはうってかわって猛暑日かとおもうような暑さが復活した首都圏である。
例年今日からはがきの書き出し文章が「暑中お見舞い」から「残暑お見舞い」となるが、例年もそうであるが、どうも残暑お見舞いと書く日からのほうが夏本番という気候がここ数年続いているようである。 さて話はかわって今日の天声人語であるが、8月8日は柳田国男の命日だそうだ。天声人語では、その柳田国男から入り、今回の東日本大震災でたくさんの犠牲者がでたこと、そしてお盆について書かれている。今回の震災で犠牲になった人にとっては新盆となる。お盆には仏となった先祖が下界におりてきてその住んでいた場所に現れるという言い伝えがある。 これは父親の新盆のときに住職に聞いた話だが、「新しく仏となった人はお盆にその人が住んでいた場所を探しにくいそうである。そこで提灯を用意して火を灯し、新しい仏さんを間違いなく導いてあげる、そのために提灯は必要なのだそうだ。 なぜ、このような話をするというと、今日の天声人語には同じような意味の事柄が書かれているからである(以下、引用)。 「平成の大津波の犠牲者にはこの夏が新盆となる。救援の火ならぬ、霊を迎える火が方々で焚かれよう。門火(かどび)、精霊流し、茄子(なす)の牛。帰省しての一族再会。迎え火から送り火までの数日は、日本人の情念が最も深まるときだ。 人の生も、人の死も、自然や共同体という、人を包んでくれる世界の中でこそ完結する。しかし近年はそれを壊し、つながりを断ち切る方向にアクセルを踏んできた。 その功と罪を、震災後の夏はあらためて問いかけてくる。時代は移っても、人の心は変わらない。かなしさの中に、汲(く)むべきものが見えている。」 まさしく、人のつながりを考え直すいい機会なのかもしれない。 天声人語 → 今日の天声人語 バックナンバー → 有料サイトとなってしまった ▲
by motokunnk
| 2011-08-08 19:48
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