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秋のお祭りシーズンスタート

MLBマリナーズの岩隈久志がロッキーズ戦に先発した。インターリーグということもあり、ロッキーズ戦は初先発だそうだ。相性のよいスクレにかわって捕手にはヒックスがはいったが、いつもの岩隈らしく制球は抜群であった。
相手ロッキーズの先発ベティスも調子はいいようで、投手戦が展開され両チームとも無得点のまま試合は後半へすすんでいったが、どちらかといえばマリナーズが押し気味のようであった。
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マリナーズにとって惜しかったのは6回の攻撃、無死1、2塁とチャンスをつくり、3番、4番の中軸をむかえる場面であった。ここで併殺をくらい、一気にチャンスがつぶれてしまった。チャンスの後にはピンチという格言があるが、この日はまさにこの格言とおり、7回に一死1、3塁から岩隈が投げた球は失投ともいえる棒球であった。これをレフトスタンドに運ばれて0-3とリードされてしまった。
試合は8回にマリナーズが反撃するも結局2-4で敗れ岩隈は通算で7勝4敗となり、今季2桁勝利の夢は絶望的となってしまった。
さて秋祭りのシーズンが本格化してきた。昨日、今日と渋谷氷川神社では秋の例大祭が行われている。朝から祭囃子の音色が聞こえて、午後のは神輿の掛け声も聞こえてきた。
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お詣りにいったのは午前中であったが、すでに子ども神輿も参道にくりだされており、祭りは今日の夜までにぎやかに続いていく。

by motokunnk | 2015-09-13 08:35 | 日記 | Trackback | Comments(0)

秋祭りも一段落、ロッシが今季初優勝!

一昨日、昨日と渋谷周辺の神社はどこも秋の例大祭が行われたようである。金王八幡宮、渋谷氷川神社もいつの頃からか例大祭は9月第2週となり、子どもたちにとっては9月は毎週どかこの神社がお祭りということは無くなってしまったようである。
そして広尾神社も一昨日、昨日が秋の例大祭であった。広尾神社と渋谷氷川神社は氏子さんがダブっているようで、氏子さんにしてみればお祭りは1回で済むからそれはそれでいいのかもしれない。
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また商店の軒には昔ながらの提灯が飾られているなど渋谷氷川神社のお祭りはそこそこの境内もあり屋台も私の子どもの頃からそれほど変わっていないので、親しみやすさがあるお祭りではある。
さて夜に行われたMotoGPサンマリノGP、ホンダのマルケスが予選で4位と今シーズン初めてフロントローを逃したこともあって、シーズン12勝というタイ記録の達成はどうかと思ってレースを見ることにした。
ウォームアップランで地元のロッシが絶好調ということで3番手からスタートするロッシにも注目、スタートはポールのロレンソが飛び出し、ロッシ、そしてマルケスの3台が後続を離していく。そしてマルケスがロッシに仕掛けるが今までのレースとは違ってロッシが余裕でマルケスの仕掛けを交わして逆にロレンゾをパスしてトップにたつ。
マルケスもロレンソをパスしてロッシに追いすがるが、10周目に転倒してしまい最後尾となってしまった。これでロッシは楽になり、残りの周回をロレンソとの差を一定に保って今季初優勝(ヤマハにとっても!)を飾った。
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ロッシにとっては地元ミサノでうれしい今季初優勝、地元ファンにとっても英雄の復活劇にやんやの喝采をあげている姿がTVに映し出されていた。これでロッシは最高峰クラス通算81勝目、キャリア通算107勝目を記録した。
参考URL → V.ロッシが地元で2009年以来5年ぶりに優勝
参考URL → 写真転載サイト
by motokunnk | 2014-09-15 08:27 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

錦織は準優勝、週末は渋谷が祭一色

残念ながら錦織圭の全米オープン制覇は夢に終わってしまった。チリッチのサービスゲームをブレイクしたのがわずか1ゲームだけに終わったことはチリッチのサーブの出来がよかったと言わざるを得ないし、超高速サーブに屈してしまった感がある。よくここまで頑張ったともいえる。この経験は必ず活きるはずで世界ランクも8位となるそうだ。とりあえず、お疲れさまでした。
さて週末は渋谷駅周辺では秋の例大祭が行われる。私の周りでも先週は隠田神社で例大祭が行われたのを皮切りに今週末は金王八幡宮、氷川神社で行われる。そのための準備も行われており、明治通り周辺には各町内会の提灯が飾られている。
提灯といえば、各町会毎にデザインが違っているようで、我家の属している町会は赤白の提灯だが、代官山あたりの町会では白の提灯のようだ。そして金王八幡宮の境内を飾っている提灯もちょっとデザインが違っている。提灯ひとつをとっても違ったデザインがあり、祭の楽しみがここにもある。
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そして神輿や山車の担ぎ手募集のパンフレットにもそれぞれの町会で工夫をこらしているものが多数ある。
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週末の天気予報は晴れ時々曇りのようだ。お祭りの梯子見物を堪能できそうである。
参考URL → 全米決勝詳細
参考URL → 金王八幡宮
参考URL → 金王八幡宮Facebook
参考URL → 氷川神社例大祭2014
by motokunnk | 2014-09-09 08:34 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ご近所にも震災の爪痕が

東北太平洋大震災(いろいろな呼び名があるようだが、このブログではこの名称とする)が発生した1週間、復興に向けた動きは遅々としているようである。行方不明の方の捜索、原子力発電所の対策と当面復興に向けた対策を打つまでには被災地は至っていないようである。
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さて、我家の周りにも今回の大震災で被害を受けた場所がある。それはこのブログでも神社紹介や狛犬紹介で登場した氷川神社である。なんとその鳥居が支柱部分を残して倒壊してしまったのである。昨日カミさんに言われて見に行ってきたが、見るも無残な状態となっていた。
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もう一方の金王八幡宮であるが、こちらの鳥居は崩壊はまぐがれたようであるが、ご覧のように支柱部分をサポートする器具がセットされている。その上を見るとヒビが入っており、器具なしだと崩れ落ちてしまう危険があるための措置と思われる。またポスターでは金王桜イベントの変更通知が貼られていた。大震災被災者に考慮した変更だと思うが、余震がイベント最中に起こったときの予防策とも考えられる。
もう神社は震災時の広域避難場所としては不適切なのかもしれない。
by motokunnk | 2011-03-19 20:20 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

昔から交通の要所にある神社・上目黒氷川神社

国道246号線と山手通りの交差する地点、首都高速でいえば大橋ジャンクションの真上にこの上目黒氷川神社は建っている。昔もこのエリアは交通の要所であったようで246号線に面した鳥居の下には「大山道」を現す石碑が置かれている。
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実は昨日、参拝したのであるがちょうど近所の少年野球チームであろう団体が新年の初詣にきていた。コーチ陣も同伴していたので、ユニフォームを着ていなければ商店街の初詣と間違えそうであった。
さてこの氷川神社(このブログで紹介する5つ目の氷川神社となる)の由緒を調べると
「旧上目黒村の鎮守。天正年間(1573年から1592年)に旧家加藤氏が甲州上野原の産土神をこの地に迎えたといわれる。当社では、昔よりこの氏子は疫病を知らずと云い伝えられている。明治45年には北野神社を合祀し現在に至る。」
とある。歴史ある神社である。狛犬も複数奉献されていたが、あいにく逆光であったためうまく撮ることができなかったのので今回紹介は見送ることにする。再度参拝した際に紹介できればと思う。
さて246号線から階段を上って境内にたどり着くのだが、階段は急でお年寄りにはつらいかもしれない。かく言う私も転ばぬように手すりをつたわりながら注意して登った。また帰りは裏に階段があり、そちらのほうがいくぶんかゆるやかな階段のように思えた。次回の訪問はこちらを利用しようと思う。渋谷方面から246号を歩き、右手のほうに見える鳥居が目印である。
by motokunnk | 2011-01-11 19:38 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

麻布の神社めぐり・十番稲荷と氷川神社

昨日は、天気もよく散策びよりということもあり(休日の日課としている)いつもの散歩は麻布十番まで足を運ぶことにした。目当てはNHKの「ブラタモリ」で紹介された十番稲荷神社参拝である。
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地下鉄の麻布十番駅の真上にある神社、たまたま参拝しようとしたときにはとバスツアーの御一行様とかち合ってしまった(写真左にはとバスが写っていると思う)。この神社も港七福神の宝船のお社として七福神めぐりの1社となっているようで、七福神めぐりののぼりが立てられていた。
またご朱印をおしてもらう色紙も売っており、多分はとバスのツアー御一行様は七福神めぐりのツアー客ではなかったのかと勘ぐってしまった。確かにツアー客の中には色紙を持っている人が多数いた。
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さて、ガマの置物もご覧のようにお正月ということもあり飾りがつけられ、階段下にある宝船も正月飾りでお化粧されていた。
公式のホームページも公開されており、そちらに境内の案内や説明が細かく説明されているので今回は割愛する。
私もご朱印をおしてもらうことにした。何でも15日までは七福神を祭ってある寺院ではご朱印を押してくれるそうである(その後は確認が必要とのこと)。
さて、ガマ池は現在マンションの一角となっているので、暗闇坂を上って元麻布方面へ行くこととした。
暗闇坂を上りきったところにこれまた「ブラタモリ」で紹介された一本松が目にはいった。一応、記念碑がたてられ、説明の石碑が根元に建っていた。
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石碑によると
「古樹は明治九辰年焼失」と書かれている。「江戸名所図会」にも麻布一本松として描かれているし、場所も今のところと同じであり、焼失時期は明和の大火(1772年)という説もある。いずれにしろ現在の松は一本松としては何代目かにあたるようである。麻布十番には商店街が独自にホームページを立ち上げているのでその中に一本松についての記述があるので、詳しくはそちらを見て欲しい。
さて、一本松を左手にみて歩き続けると「麻布氷川神社」にたどりつく。この神社も何と七福神の1神社である。
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こちらの神社には公式のホームページはないようでそれなりに由緒を調べると
「天慶五年(942年)、源経基朝臣が勅命を受け、天慶の乱(平将門の乱)を平定するため東征した時 、武蔵国豊島郡谷盛庄浅布(むさしのくにとしまぐんやもりのしょうあざぶ)冠の松(現麻布一本松の地)に境内二千余坪を勧請したのが始まり。その後、万治2年(1659年)、芝増上寺が敷地を隠居地としたため、今の場所に移転した。江戸氷川七社の一つ。」
とある。将門の乱平定のために東征したことが遠因となり鎮座したことがわかる、歴史は面白いものであり、全ての事象が何らかのつながりを持っているようである。さて狛犬はどこにいるかと探してみると境内のスミにこのような配置で置かれていた。2匹が寄り添いなにやら親しげに談笑しているように思え、このように置いた人はどんな思いで狛犬をおいたのか聞いてみたくなってしまった。
ところでこの神社は20年近く前にある事柄で有名になったそうである。「月に 代わって、お仕置きよ!」という名セリフで有名なセーラームーン(子供が幼少の頃、アニメをよく見たものである)の中で火野レイ(セーラーマーズに変身する!)が巫女をしていた神社「火川神社」のモデルだそうである。何でも原作者が近くに住んでいたとか、何が幸い(災いか?)して有名になるかわからないものである。
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七福神ということで私もご朱印を捺してもらった。あと6つで完成するが明日からは会社なので15日までに全てお参りするのは不可能かもしれない。赤坂氷川神社のブログで紹介したが、この麻布氷川神社も江戸七氷川のひとつ「麻布一本松」として3番目に紹介されている。
麻布氷川神社(商店街の説明)の紹介ページを参考にした。商店街のホームページとしては充実しており、お店の紹介や観光スポット紹介などためになる情報満載である。

本ブログ内で関連する記事

七福神のある神社の紹介その1 → 神社と狛犬その5・都内23区の七福神
七福神のある神社の紹介その3 → 散歩を楽しく/神社と狛犬その17・櫻田神社
by motokunnk | 2011-01-10 09:27 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

赤坂氷川神社には歴史がいっぱい

白金の氷川神社にお参りし、都内の氷川神社を巡ってみようかとの思いが芽生え、とりあえずは近場にある氷川神社をこの3連休でお参りしようと今回は赤坂にある氷川神社をお参りした。
地下鉄千代田線の赤坂駅から徒歩で5~6分ほど歩くと目指す赤坂氷川神社の参道が目に入る。参道脇には看板があり、よく見ると徳川吉宗公即位300周年記念事業のご案内とあり、新社務所建築の寄付(奉賛金というそうである)のお願い看板であった。いずこの神社も記念事業ばやりであるようだ。
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さて、赤坂氷川神社はりっぱなホームページを公開しており、由緒などを調べるのに役に立つ。
ホームページの由緒によれば、
「創立の起源は、古い書物によると、天歴5年(村上天皇 951年)武州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られました。これよりおよそ百年後の治歴2年(後冷泉天皇 1066年)、関東に大旱魃が発生、降雨を祈るとその霊験(しるし)があり、以来よく祭事が行われました。
江戸時代、幕府の尊信は篤く、八代将軍 徳川吉宗公が享保元年(1716年)将軍職を継ぐに至り、同14年(1729年)に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営、翌15年(1730年)4月26日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、28日に将軍直々の御参拝がありました。
以後十四代家茂公まで歴代の朱印状(※港区文化財)を下附され、一層の御神徳を高め、開運・厄除・良縁の鎮守神として尊崇を深められました。」
現在の位置に社殿を作り、遷宮させたのは徳川吉宗ということがわかる。それで吉宗即位300周年記念事業となることが理解できた。
現在の社殿は東京都の有形文化財指定されているとのこと、ここも文化財がたくさんあるようである。境内には銀杏の大木もあるが、これも港区の指定文化財となっていた。
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さて階段をあがり境内を見渡すと古めかしい看板がある。近づいて読んでみると、何と浅野家下屋敷跡とあるではないか、ということは瑤泉院が大石内蔵助と討ち入り前に会った場所はここなのかと感心してしまった。
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帰りには何と南部坂を下り六本木から帰宅したので大石内蔵助気分を満喫したのである。(帰宅して、ネットで調べると、史実には「南部坂雪の別れ」はなく、大石がこの下屋敷を訪ねているのは1回のみだったそうである)。
また、ネットで調べていると、江戸七氷川という記載があり、赤坂氷川神社がその筆頭と書かれている。では残りの六氷川はどこなのかを調べてみると、これがよくわからないらしい。
唯一、赤坂氷川神社のホームページによれば
「望海毎談に云、氷川明神、江戸の中に七所有、赤坂御門外の社、江戸にては年久し、元大宮の近くに小呂子と云所、氷川を祀りたりし社なり、此所より遷したる所なれば、赤坂の宮居を小呂子の宮と呼びたるを、誤て小六の宮といふ、素盞男尊根の國に追せられ、手摩乳足摩乳が家に入給ふ所を、日の川上といふ所なれば、日の川上といふ詞を以て氷川と呼で素盞男尊を祭りたる神なり、大貴己命は素盞男の御子なりと申より此神は此地神の祖なるを以て、氷川の神靈には相共に祠る、世人大貴己命計を祠り申と覚へたり、(―中略―) 此外今井の盛徳寺の内の氷川の社、麻布一本松の市中の社、羽根田村にて新堀近き所の社、下渋谷にて羽根田の屋敷の社、又北の方にては上水のはたなる萬年寺山の社、巣鴨の入口なる氷川の社頭は坂より上へ見上ぐる所にして、いとかうかうしく何も氏子多く賑ふなり」
とあり、脚注に
①赤坂御門外 : 当神社遷座前のお社のことです。
②今井の盛徳寺 : 元氷川坂(現:本氷川坂)の盛徳寺(現:神奈川県伊勢原市)の敷地内にあり、当神社に勧請されました。
③麻布一本松 : 現在の麻布氷川神社のことです。天慶五年(938)源経基東征の時、麻布一本松付近に勧請しました。文明年間太田道灌ともいわれます。万治二年(1659)、芝増上寺の隠居地になるに伴い、現在地に遷座しました。麻布の総鎮守のお社です。
④羽根田村 : (調査中)
⑤下渋谷 : 現在の渋谷氷川神社のことです。明治22年以前、渋谷村は上渋谷・中渋谷・下渋谷に分かれていました。慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとあります。
⑥萬年寺山 : (調査中)
⑦巣鴨の入口 : 文京区千石の簸川(ひかわ)神社のことです。もとは小石川植物園の地にありましたが、承応元(1652)年に、徳川綱吉の白山御殿が造営されることになり、同じ地にあった白山神社と共に移転しました。簸川神社が現在地に移ったのは元禄十二(1699)年です。
と記されている。
渋谷にある氷川神社も七氷川のひとつであることがよくわかる。
狛犬の写真を撮りに赤坂氷川神社までお参りにいったが、狛犬以外の新たな発見をした氷川神社参拝であった。この他(勝海舟が住んでいた、包丁塚など)にもいろいろな発見があったので、次回以降に書き記すこととする。

この記事を書くにあたっての参考→ 赤坂氷川神社ホームページ
by motokunnk | 2011-01-08 15:58 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

神社と狛犬その4・白金氷川神社

通勤経路の途中に気になる神社がある。白金商店街を抜けたところに氷川神社という、我家の氏神と同じ名前をした神社がある。氷川神社は全国に数十あるそうでそのつながりは皆無であるとものの本で読んだ記憶があるが何となく気にはなっていた。つい最近機会を見つけて参拝してきたのでブログで報告と言うわけではないが書き留めておくことにする。
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由緒を調べると、日本武尊が東征の折に大宮氷川神社を遥拝した当地に、白鳳時代に創建されたと伝えられる。江戸時代中期の明和9年(1772年)、明和の大火により焼亡し、江戸後期に社殿が再建された。しかし、太平洋戦争末期の昭和220年(1945年)空襲によって江戸後期の社殿が焼亡してしまう。現在の社殿は、昭和33年(1958年)に竣工したものとなる。
社殿自体は火事で2回焼失してしまっているが、境内社としては建武神社、稲荷神社があり、境内は都心としては広い部類と思われる。
さて、狛犬については2種類の狛犬が社殿を守っている。まずは大鳥居のところにある狛犬から。
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こちらの狛犬は台座に皇紀2600年とあるので、昭和15年に奉献されたものと思われる。見るからに凛々しい顔立ち、スタイルである。昭和15年といえば、第2次大戦前夜であり、軍が強い権力を握っていく時代でもあった。やはり狛犬にも強さが求められていたのかもしれない。
さて、石段の上にはなんとも顔つきが個性的な狛犬が並んでいる。
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大鳥居の狛犬よりかなり古い年代に奉献されてものであろうと推察できる。ホントに神社の狛犬ひとつとってみても全てが異なっており見ていて楽しくなる。これでその作成時期やその時代背景まで考察していくだけの知識があればもっと楽しくなるのであろうが、それは後数年に迫った引退後の楽しみとしておくことにする。
by motokunnk | 2011-01-07 20:11 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

神社と狛犬その2・氷川神社(渋谷区)

年末には、神社に一年無事を守ってくれたお札を返し、また新年の新しいお札をもらいにいく風習が古くから我家にはあり、子供のときから神社への使いは私の役目であった。それは今も同じであり、年末の私の仕事となっている。
我家の氏神さまは氷川神社であり、今年の氷川神社にお札をもらいに参上した。氷川神社についてはこのブログで紹介しているのでそちらを見てほしい。さて今年に関していえば、お札をもらいにいくというよりは、神社にはいたるところに狛犬が奉献されており、それを見てくるという別な目的もあった。それが以下の写真である。
狛犬については詳しく調べているホームページがあり、当然氷川神社についても書かれていた。それによると
裏参道入口(渋谷図書館前の信号機あり)を守る狛犬には
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「明治29年生まれの青山・石勝刻の江戸流れです。未だ若い時期の作だそうですが、もう名人の風格が充分感じられる彫りです。補強のためお腹の下に大きめの子狛を連れていますが、惜しいことにその手前にでている玉が二つとも壊れてしまいました。言うまでもなく完品ならば名品の部類に入る狛犬でしょう。」(石工・青山 中村勝五郎 明治29年9月建立)
とある。また境内にある稲荷神社を守る狛犬(狐?)にも
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「昭和14年・青山石勝刻のお狐様です。やはり得手不得手はあるのでしょうか?狛犬の様な腕の冴えは無いように見受けられます。石勝さんご本人の作ではないのかも…。」
とあり、よく調べられているなあと感心してしまった。
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他にも階段上にいる招魂社系狛犬や稲荷神社の横にある厳島神社を守る狛犬など多数の狛犬について詳しく説明されている。狛犬だけではなく、神社についての由来、本殿説明などがあり、勉強なるページである。
こちらがそのページとなる → 氷川神社(東)
by motokunnk | 2010-12-31 09:02 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

秋の祭礼

今年も祭礼シーズンがやってきた。このブログでも紹介した近所の2つの神社の恒例行事となっている。そのひとつ昨日から渋谷氷川神社で秋のお祭りがはじまった。
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以前といって10年ほど前まで遡るが、金王八幡宮と氷川神社は同一週にお祭りをしていた。確か、金王八幡宮が土日で氷川神社が日月であったと記憶している。いつの時代かは記憶にないが、ある年、突然二週に分かれてお祭りが開催されることになってしまった。
事の経緯はよくわからないが、祭りの主役は子供たちだと思う。子供たちにとってどちらが楽しいか、その視点で考えて欲しいと思う。
そういえば、氷川神社で普段は鍵がかかり立ち入り禁止となっている相撲場に入る扉(おおげさな表現ではあるが)の鍵が開けられ、誰でも入れるようになっていた。多分、祭りにあわせて「ちびっこ相撲大会」でも開催されるのであろう。これはこれでよいことだと思う。
by motokunnk | 2010-09-12 09:44 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)