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広島の土砂災害の原因と東京巨大地下の話題

広島の土砂災害で多数の犠牲者がでてしまったが、この事故は「まさ土」によるものとの指摘が各所でされている。今日の朝日新聞にはその「まさ土」についての解説が掲載されている。
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「まさ土」とは漢字では「真砂土」と書くそうで花崗岩が風化してできた砂や土が混ざったものだという。砂場の砂と同じで湿らせると固くなるが水をかけると崩れてしまう、そんな性質のある土だそうでこのエリアでは過去にも同種の土石流災害が発生している。
1999年6月29日の豪雨災害では31人の命を奪う土砂災害が発生したそうだ。そのときと同じエリアでの災害発生、対策は考えられていたのであろうか。
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話題をかえて、昨晩BS日テレで「誰も知らない巨大地下・東京」という番組が放映されていた。私の住んでいる渋谷エリアも番組に登場するということなので見ることにした。
番組ではまず地下鉄大江戸線について特集していた。知らなかったことであるが大江戸線の車両には鉄綸式リニアが採用されている。最近の地下鉄で採用されているこの技術のメリットは2つあるそうで、車体をコンパクトにすることが可能なので、トンネルの断面積を小さくできることだそうだ。
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そして次のメリットは急勾配と急カーブの連続する路線を速く走ることができる性能を簡単に生み出すことができるそうだ。この2つのメリットがあり、大江戸線かリニアを採用したそうだ。今度大江戸線を利用するときは線路の間にあるリアクションプレートを注意してみることにしよう。
その後、番組では渋谷川についての話となったが、ほとんどは私が知っていることであった。暗渠となって今の東急東横店の下を流れているとか、普段はほとんど水が流れていないが、大雨となった際の排水用として活用されているとかの話であった。
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また現在進められている渋谷駅再開発の現場内部の光景が若干放送されていた。普段は見ることができないが、いつも通っている地下通路の先はこのように地下空間がつくられているのだと実感し、2017年完成予定の渋谷駅南サイドの水辺空間のイラストが表示された。
いろいろな場面でこのイラストを見ることができ、2017年が楽しみになってきてしまった。
参考URL → 広島特有もろい地盤「まさ土」に大量の雨
参考URL → 1999年(平成11年)6月29日 6.29災害(豪雨災害)
参考URL → BS日テレ - 「木曜スペシャル」番組サイト
参考URL → 鉄輪式リニア・イラスト転載サイト
参考URL → 渋谷駅南側、憩いの場に・イラスト転載サイト
by motokunnk | 2014-08-22 09:05 | 最新技術 | Trackback | Comments(0)

散歩を楽しく/鎌倉道は八幡通りではなかった!

並木橋の交差点のところに「鎌倉道」という説明板があり、横の小路を称して「鎌倉道」というと説明されていることは知っていた。最近ふとしたことから、同じ説明板が渋谷のJRA馬券場のすぐそばにあることに気がついた。
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その説明板にも同じ内容が書かれており、明治通りに続く細い路地が「鎌倉道」であると説明されている。今から数百年前のことであるから路の広さは関係ないとは思うが、今の感覚でいうとこんなに狭い路をよく攻めあがったのかと感心してしまう。
というのはその説明板に「1524年に、相模の北条軍がこの鎌倉街道を通って江戸に攻めのぼり、その時の戦火が渋谷地域にも及び、渋谷館(金王八幡宮・東福寺周辺)が焼失したそうです。」と書かれているからである。
いずれにせよ、「鎌倉道」は鎌倉に行くための道であり、このおかげで関東エリアは開発されたのであるから、貴重な路であったと思う。今の旧八幡通りは当時はどんな場所であったのか、古地図を探してみようかと思っている。
by motokunnk | 2012-04-17 19:12 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

庚申塔あれこれ

明治通りを渋谷から恵比寿方面に歩いていくと、渋谷川に架かる数々の橋を見ることができる。以前このブログで紹介したことがある。その橋の中に「庚申橋」という名前の橋がある。その橋の袂にはご覧の庚申塔が祠にはいって祀られている。
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横には渋谷区教育委員会の説明板が掲示されており、それによるとこの庚申塔に記載されている個人名は多数の地域からなっており(名前が記載されているものもあるがこのように多数あるのは珍しいらしい)その地名も赤坂、芝、池袋、目黒、世田谷、荻窪と多岐にわたっておりこの地が重要な交通路であったことが伺える。
代官山交差点付近にもこちらは地蔵ではあるが同種のものが建てられており、江戸時代からこのエリアが交通の要所であったことが伺える。
話が毎度のことであるが横道にそれてしまった。今回調べたかったことについて書いていくことにする。それはタイトルにもある「庚申塔」についてである。
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庚申塔については、広尾にある「広尾の庚申塔」脇の港区教育委員会説明板が詳しいのでそちらから引用すると
「庚申信仰は、庚申の夜に人の体内に住む三尸虫が、眠っている間に体内を抜け出して、天帝にその人の罪科を報告して生命を縮めるといわれているため、眠らずに一夜を明かすもので、講の形をとって地域住民の交際の場となっていました。庚申塔は庚申信仰を具象的に表現する塔で、室町時代後期以降盛んに各地に建てられました。」
とある。これによると中世の地域住民の井戸端会議の場所であったことがうかがえる。それで各地に庚申塔が残されているようだ。また別のサイトの説明によると
「明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めた。さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。」
とある。それでこのような供養塔が神社にまとめて祀られている光景を見かけることも納得である。豊栄稲荷神社の庚申塔もこのような理由によりまとめられたようである。

庚申塔その1 → いつものウィキペディア
庚申塔その2 → 庚申塔というページ
庚申塔その3 → 庚申塔物語(章になっており解りやすい)
広尾の庚申塔 → 広尾の庚申塔(港区のページから)
by motokunnk | 2012-01-15 09:11 | | Trackback | Comments(0)

散歩を楽しく/青山番外編

昨日に引き続き日曜日の青山散策日記を書くことにする。以前、このブログで渋谷川についてシリーズで書いていたが、その際に暗渠となった行きつく先について原宿橋跡まで書いたと思う。その先どうなっているのかというと、その先は下記サイトを案内して終えた気がする。
地図を広げて 渋谷川(穏田川)の源流をたどる → 渋谷川(穏田川)の源流をたどる
このサイトによれば、明治公園、観音橋を抜けて源流は北上していることがわかる。日曜日に歩いたコースはたまたま渋谷川源流に沿って歩いていたことになり、何か奇遇な感じがした。
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というわけで観音橋の写真であるが、実は交差点名称でしか現在観音橋という地名は残っていない。ただ地名としてあるわけであるからそう遠くない昔に橋は存在していたと思う。
話題はかわり、常々疑問に思っていたこと、それはどれが明治公園なのかということを調べたかった。結果は私がどれが明治公園なのかと思っていた場所は全て明治公園であった。
明治公園 → トップページ
上のホームページの園内マップをみればわかることだが、よくフリーマーケットをしているところも国立競技場の横にあるスペースも全て明治公園のようである。
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それは現地にある案内板でも確認することができた。フリーマーケットをする場所は霞岳広場、国立競技場脇のスペースは四季の庭、そして木洩れ日テラスの3箇所にわかれているそうである。
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日曜日ということもあり、霞岳広場ではフリーマーケットが開催されており、多数の人で混雑していた。さて日本青年館を横目で見ながら神宮球場へ向かうとまた明治公園がある(案内図左の写真がそこで撮ったもの)。この公園は霞岳広場と違い、落ちついたポケットパークという雰囲気である。
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そして片隅には近衛歩兵第4連隊と第6連隊の記念碑が置かれていた。碑の説明によればこの地で終戦を迎えたそうである。近衛歩兵といえば、天皇を守る由緒正しき連隊と聞く。皇居から遠くないこの地に連隊が配備されて天皇を守っていたのかと思うと首都決戦がなかったことがよかったのか、はたまた悪かったのか、今となってはよくわからなくなってしまった。
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ということで明治公園の謎が解明された私にとっては有意義な日曜日であったといえる。
by motokunnk | 2011-05-17 19:55 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

みやしたこうえんと渋谷はるのおがわプレーパーク

渋谷区には多数の区立公園がある。そのどれもが特徴があるとはいえない、どこにでもある公園(遊び場)が大多数である。ただし、この2つの公園は特徴があるという点で際立っている。その特徴も両極端のような気がする。
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その前に、児童会館という東京都が運営している施設があるが、大震災の影響で閉館されており、昭和の日が再オープンとアナウンスされていたが、何らかの事情でオープンが延期されていた。その理由は定かではないが、施設が老朽化してしまい、耐震補強が間に合わない(もしくは不可能)のかもしれない。
さてみやしたこうえんである。以前は宮下公園と漢字表記されていたが、前述の区の公園一覧ではひらがなとなっていた。一昨年秋頃だと思うが、区立施設の命名権譲渡でナイキ社が10年間の命名権を獲得し、「宮下NIKEパーク」の建設を計画していた公園である。一方で、路上生活者支援者らで組織する「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」が、「誰もが自由に使えるはずである公園がナイキ1社の商業スペースに変質してしまう」などの理由から同計画の中止を要求していた。
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ナイキ社は名称は従来のままの宮下公園を利用することで合意されたようであるが、先日オープンされたこうえんはちょっと計画が発表されたとおり、路上生活者は排除されたこうえんとなっていた。これが新生「みやしたこうえん」の説明パネルである。
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従来からある「フットサル場」の他に、「スケートボードエリア」、「クライミングウオール」などが新設され、新しいタイプの区立公園というイメージがある。実際、スケートボードエリアでは多数の若者、家族連れが楽しんでいる姿を目にすることができた。
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公園の奥(原宿方面寄り)にはご覧のスペースが用意されており、従来公園というとベンチがあり、花壇には花が咲いているというスペースも用意されていた。

さてみやしたこうえんをぬけて、代々木公園方面へ向かう。日曜日にはメーデー参加者で大盛況であった代々木公園は3日は、東日本大震災救済のための「ビッグハートプロジェクト」が開催されており、数日前とは明らかに種類の違う多くの人たちで賑わっていた(写真左はメーデー時のもの)。
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代々木公園を抜けて宇田川遊歩道を歩いてみることにする。たまたま散策の際に発見した遊歩道である。宇田川と命名されているので、渋谷川の源流として代々木方面から流れてきていた川が暗渠化され、遊歩道となったのであろう。
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実際にまっすぐな道というよりはゆっくりと蛇行した道となっている。遊歩道は代々木八幡駅近くまで続いている。
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スタート地点は、NHK放送センターから国立能楽堂へ向かう道を入った地点であるから、2km弱の遊歩道ではないかと思う。

さて代々木八幡まで来たので、「春の小川の記念碑」を見て帰宅しようかと歩いていくと今日紹介したくなったもうひとつの区立公園を発見した。その名は「渋谷はるのおがわプレーパーク」である。
何が特徴的というか、まず手造りの看板が目立つ公園である。
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「飛び出し注意」(この看板をだすのはボランティアの女性が行っていた)にはじまり、「渋谷はるのおがわプレーパーク」、そして開園時間まで全てお手製の木で製作された看板である。そして公園の利用ルールまでお手製の看板でできている。何から何までお手製である。みやしたこうえんとは大違いである。公園内もお手製の見晴台やブランコなどが設置されており、ボランティアと思われる人たちが開園前の準備をしている姿を見ることができた。
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みやしたこうえんとは大違いである。方や命名権を利用させることで近代的な施設として生まれ変わったこうえんと市民ボランティアに運営を委託したこうえん、どちらが子供にとっていいのかは判断しかねるが、もし私が若い父親だとしたら我が子を遊ばせたい公園は決まっているのだが。

「ここは「自分の責任で自由に遊ぶ公園です。子どもたちが「やってみたい!」を最大限カタチにするチャンスのある遊び場です子どもたちが自由に遊ぶためには「事故は自分の責任」という考えが基本です。地域のおとなたちと渋谷区が今日協力してこのプレイパークをつくっています。こわれているところをみつけたり困ったことがあったらプレーリーダーやスタッフに伝えてください。」

渋谷はるのおがわプレーパークに書かれている木のプレートに書かれたいることばである。

宮下公園の顛末 → シブヤ経済新聞のオープン記事(過去記事リンクあり)
by motokunnk | 2011-05-04 09:43 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)

渋谷川緑道ってどこにある?

渋谷川は渋谷駅近くの稲荷橋から暗渠となってしまうことはブログで紹介した通りであるが、今から50年近く前は宮益坂下あたりでまた顔をだしていた記憶がある。ちょうど写真右の仮囲いで覆われたあたりに橋があり、その下を渋谷川が流れていたと記憶している。
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今は渋谷区の区営駐輪場となっているが、その中にステンレスの説明プレートと一緒に渋谷川緑道の標識が建てられていた。
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ここすなわち区営駐輪場のせまい道を緑道と命名したようである。一応桜の木などがあり、それなりの設えはあるが、目黒川の緑道とは大きな差があることも事実である。
そのようなことはさておき、先日NHK「ブラタモリ」で紹介されていた暗渠となった渋谷川の上を歩いてみることにする。
すぐに明治通りにつきあたるが、その通りをまたぐと、「みやしたばし」の欄干柱をみつけることができる。
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多分、ここに「みやしたばし」が架けられていたのであろう。それで宮下公園というのかもしれない。通称「キャットストリート」を原宿方面へ向かっていくと、渋谷学園(長男がここの幼稚園に通園していたので、週末はよく迎えに行っていた。幼稚園の入口が違う場所に変更になっていることに気がつき月日のたつのは早いものと思ってしまった。)を過ぎると道の真ん中にポケットパークが現れる。
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普段は児童たちが遊ぶ姿で一杯なのであろう。さらに進んでいくと目新しいお店がみえてきたあたり、風変わりな道標を見つけることができる。
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よく見ると富士山やエベレストまで何千キロという標識や近所のブティックまで何mという道標が混在しておりなかなか楽しい設えとなっている。隠田商店街には古くから商いをしているお店屋さんや新しく参入したであろうお店が混在しているが、微妙にバランスがとれているような気がした。
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そんな中、「ブラタモリ」で紹介された「隠田橋」の欄干柱を発見した。昭和33年竣功とあるが、この年に架けられたのであれば数年で渋谷川は暗渠となっているので橋自体も数年の命であったろうと思われる。
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今度隠田橋がいつまであったのか機会があれば調べてみようと思う。
さて、表参道からの通りには以前紹介した参道橋の欄干柱がある。歩道橋を渡るとそこには表参道街角庭園の説明プレートがあり、北斎の「隠田の水車」の説明がなされていた。
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それでこの参道橋をとりあげたブログでは隠田の水車がとりあげられていることが多いことに納得した(みんな孫引きでブログを作成していることにホッとしたのが実感ではある)。ここから遊歩道を先にすすんでいくことにする。
途中には渋谷区の施設などがあり、生活しやすさを追及しているような街づくりがなされているように思えた。さて、原宿橋という欄干柱がある地点までたどり着くとそこで遊歩道は終わっており、暗渠がその後どのようになっているのかは地上からは不明であった。
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後で帰宅してネットで調べると、このようなサイトがあり、ここで説明してきたことを含めて丁寧な解説がつけられていた。ちゃんと調べている人がいることに感銘した。時間があればこの先を調べてみようと思っている。

観音橋 → 散歩を楽しく/青山番外編
by motokunnk | 2011-04-16 08:39 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)

この公園も渋谷川関連!

先日のブログで書いたもうひとつの公園というのは、港区立笄公園のことである。数十年前、この近辺が通学路であったが、この公園の存在には気がつかなかった。
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笄小学校という存在は知っていたが、その道を隔てて向いに公園があるとは知らなかった。またその公園というのが、渋谷川に関連していることも笄という地名を調べていくうちに知ったしだいである。
さてそもそも何故、地名に笄がついてのかを調べてみた。麻布細見というホームページによれば、麻布笄町のいわれには、
「町内を流れる笄川に架かっていた笄橋に伝説がある。「江戸砂子」によると、天慶の乱(931~)の際、龍川にさしかあかった源経基を、前司広雄という者が橋に関所を構えて通行を阻んだ際、経基は差していた刀の笄を証拠に与えて通過したという。のちにこの橋を笄橋と呼ぶようになった。他にも、「こうがい」の語源については、香貝、甲賀伊賀など諸説がある。」
その笄川が流れていきつく先が天現寺橋付近の渋谷川だそうである。近所を散策していると渋谷川にゆかりのある名前、場所にいきつく。これも昔は川が生活の中心となっていた証拠かもしれない。
さて、話題を公園というか花見に戻して、公園全体を見ていく。
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昭和45年に開園したと区のホームページに書かれている。通学していた最終年(高校3年生)のときに開園したわけに学生時代は気がつかなかったことも納得である。この公園、散歩コースとして何回もきているが、いつも思うのは機動隊の装甲車が必ず停車しており、警備をしていることである。付近に要人が住んでいるわけでもなく、また重要な大使館もなさそうであるのでなぜいつもここにいるのか疑問である。どなたかご存知であれば教えて欲しい。
公園にはバーゴラやベンチ、ブランコなどが整備されて児童公園のような趣をもっている。訪ねたときも親子連れが多数来ていて幼児が元気よく走りまわっている姿を両親が見守っている姿をみかけた。桜の木もご覧のように多数あり、満開のときは花見にもってこいの場所だと思う。
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外苑西通りに面しており、向いにはAPAホテルがある。今のシーズンに地方から出張に来た人で花見をしたい人(たぶんいないであろうが)には宿泊地としてもってこいだと思う。そろそろ桜も葉桜となりつつある。次回に日曜日に行った桜の名所(定番ではあるが)を紹介して今年の花見シリーズは終えようかと思う。

港区のホームページ → 笄公園
by motokunnk | 2011-04-13 19:00 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)

隠れた花見スポットを探して

桜の花見も首都圏というか私の近所では今週が見納めのようである。そこで、今回は2週間の週末で歩いた花見スポットについて紹介して行こうと思う。まだまだ数日は満開のようであるので、このブログを見てぜひ見物に出かけて欲しい。
さて第一番目は明治通りのある区間である。その区間は渋谷橋交差点から天現寺橋交差点にかけての道路沿いの街路樹である。これが見事な桜並木である。
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渋谷橋交差点からも見事な桜が見え隠れするが、交差点から左にカーブしていく道を歩いていくと目の前にこの景色が飛び込んでくる。
車座になって一杯という場所ではないが、散歩しながら花見をするには絶好の場所だと思う。
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10分以上歩き続けても桜並木は途切れることがない、それほど長い道沿いにりっぱな並木ができているのである。
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そしてそろそろ桜並木も終わりそうになる場所、都立広尾病院の前にある渋谷区立広尾公園にりっぱな桜が咲いている。
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あずまやもあり、休憩場所もベンチもあるので、夕方からは団体さんでゆっくりと花見を楽しむことができる場所として最適だと思うがいかがであろうか。
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考えてみれば、渋谷川に沿って歩きながら、橋を渡って明治通りまででて、また橋を渡るという散歩コースを考えて歩くのもいいかもしれない。さて次回はここからそう遠くないもうひとつの公園を紹介することにする。
by motokunnk | 2011-04-11 20:39 | 公園・庭園・遊歩道 | Trackback | Comments(0)

東京では桜が満開だそうです

昼のネットニュースによると東京の桜が満開になったそうである。東京の桜は靖国神社の桜を見て決めているのだから、場所によってはまだ5部咲きのところもあるし、散り始めているところもあるであろう。
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さて、今日は昼休みに会社の近辺を散策してみた。いつもこの時期になるとサラリーマンたちが夜桜を見に集まるのであるが、今年は自粛しているようで、そのような集団にはお目にかからない。さて桜は満開である。以前に古川に架かる橋で紹介した新浜橋を東芝側に降りて、古川沿いに歩くと東芝ビルの周りには桜の木が植えられており目を楽しませてくれる光景に出会うことができる。
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途中には新浜公園もあり(公園といっても道路の片隅にあるポケットパークである)、一服をするサラリーマンを見受けることが多い。
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東芝ビルに沿って歩くと、桜の花が心を癒してくれる気がする。会社の周りには桜の木が多くあり、遊歩道にも桜、一般道のも桜と桜オンパレードていっていいかもしれない。
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会社がある浜松町といえば、旧芝離宮恩賜公園の桜が有名であるが、隠れた桜の名所も多々あるので、自分だけの桜のスポットを探してみることも楽しいかもしれない。
by motokunnk | 2011-04-06 19:19 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

麻布十番・「赤い靴」像を見て想うこと

一の橋の交差点から麻布十番商店街を歩くと、程なくして道の真ん中に猫の額ほどのポケットパークを見つけることができる。その中にご覧の童謡「赤い靴」のモデルとなったきみちゃん像が建てられている。
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像といっても台座を含めても1.5m程度の小さなものであるが、存在感はかなりなものである。台座にはプレイトが埋め込まれ、童謡「赤い靴」のモデルとなったきみちゃんについてその生い立ちから亡くなるまでが簡単に書かれている。
「赤い靴」のモデルの女の子は実は外国には行っていなくて国内で一生を過ごしたとはかなり前のTV番組で知ったと記憶しているが、まさかこのように悲惨な人生を過ごしていたのかとは知らなかった。
きみちゃんの一生については、麻布十番未知案内というホームページがあり、その中で詳しく紹介されている。
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亡くなった後は、青山墓地にある鳥居坂教会の墓地に眠っている。墓誌に「佐野きみ」というきみちゃんらしき人物の名前を読みとることができる。
皆さんもこの「赤い靴の女の子 きみちゃん」をぜひ読んで欲しい。そして何かを感じて欲しい。
by motokunnk | 2011-03-30 19:18 | 記念碑 | Trackback | Comments(0)