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タグ:麻布・六本木地区 ( 8 ) タグの人気記事

昨日のクリスマスは六本木ヒルズに

昨日はクリスマス、特別な日という感覚はなくなってしまったが、各種イベントが行われていた。昨日まで開催というイベントもあり、久しぶりに六本木ヒルズに出かけた。
日中に行ったのでイルミネーションは点灯されていなかったがそれでも見どころたくさん、普段の姿とはちがう顔をみせてくれた。10時過ぎに六本木にでかけたので、まずティムバートンの世界展を見ることにした。
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森美術館で開催中の「リー・ミンウェイとその関係展」とのセット券も割引販売されていたのでそちらを購入することに。これを購入するとスカイデッキまでいけるようだ。
開館してすぐの時間帯であったが、その割には入館者が多いようでティムバートンの人気の高さなのかと感じてしまった。展示は今まで映画(といってもDVDで借りたものであるが)でみたものが展示されており、中には模型もありよくできているなあと思った。
リー・ミンウェイとその関係展ではピカソの「ゲルニカ」を砂絵で再現した絵(?)が床に描かれておりビックリした。
スカイデッキは森タワーの屋上を解放したスペース(緊急用ヘリポートのまわりをウッドデッキで1周できるようになっている)があり、さすがに恋人たちの聖地に認定されたとあって景色は東京を一望でき素晴らしい。昼の東京も素晴らしいと思うが、夜の東京もライトアップされた街並みが綺麗だろうと想像してしまった。
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ウェストモールなどでは昨日までのクリスマスマーケットが開催されており、平日ではあったが、そこそこの人が買物にきたり、食事をしたりしていた。
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BMWをとなかいに見立ててソリを引かせている展示もありクリスマスを満喫させてもらった半日であった。

by motokunnk | 2014-12-26 08:45 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

十何年ぶりでロードショー映画鑑賞

たぶん10数年ぶりであろうと思う。ロードショーを問わず、映画館で映画を観るのは本当に久しぶりであった。その映画は「ゴジラ」である。今朝のめざましTVでは週末公開されてからの入場者が45万人ということである。週末封切りされた映画ではナンバー1ということで、またゴジラファンの私としてもスクリーンでぜひ観てみようと思ったわけである。
封切り劇場は東宝系ということで、六本木ヒルズのシネマ館で見ることにした。最近はホームページから予約ができるので、今朝出かける前に自宅から映画のチケットと座席をセットにして予約した。朝一番の上映であったので、予約画面を見ると、座席はほとんど空席であった。まあ場所と時間から見てこんなものかもしれない。六本木ヒルズにつくと夏休みのイベントであろう、ドラえもんが多数置かれていた。TV朝日もあるので、たぶんそちら関係のイベントであろう。
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さて、東宝シネマは六本木ヒルズ内にあり、エントランスを入ると、ゴジラが迎えてくれた。さすがにりっぱで、貫録がある。売店もあり、ここでもゴジラグッズが多数販売されていた。ゴジラの他にも映画は公開されているが、やはりゴジラはケタ違いの人気なのであろう。
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本題の映画であるが、これは見ごたえ抜群でエンディングまであっという間に時間が過ぎてしまった。芹沢博士役の渡辺謙の「ゴジラ」というセリフもちゃんとゴジラと言っていた。
ストーリーは見てのお楽しみということで書くことはしないが、親子二代にわたって怪獣に翻弄されてしまった家族が中心となって描かれていることも日本版ゴジラとの類似性があるし、なんといってもゴジラがハリウッド版前作とはくらべものにならないほど日本版に近かった。逆に日本版よりも進化して迫力を増したゴジラになっていたような気がする。これで日本でも公開して週末ランキング1位と確保したわけで公開された国すべてでランキング1位とは素晴らしいことである。
これに気をよくしたわけではないだろうが、「ゴジラ」ハリウッド版の続編製作が決定したそうだ。続編ではゴジラのライバル、キングギドラ、モスラ、ラドンも登場するという。どんなストーリーとなるのであろうか、それも楽しみである。
さて今晩はBSプレミアム映画は「ゴジラvsメカゴジラ」である。釈由美子主演のゴジラ映画、メカゴジラが機龍というネーミングで登場する最初の作品、ぜひ観ようと思う。
参考URL → ゴジラ
参考URL → 「ゴジラ」ハリウッド版 続編決定
by motokunnk | 2014-07-29 13:33 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ミッドタウンミーツゴジラ!

今日から米国版「ゴジラ」が全国ロードショー公開される。TVでCMが流されているが、どの程度ヒットするのであろうか。監督は大のゴジラファンとのことだが、日本人のゴジラに対する思いは様々なので予想することは困難である。
さて、米国版公開に併せて六本木にある東京ミッドタウン芝生広場には巨大なゴジラのオブジェが出現している。ミッドタウンで例年開催されている「ミッドタウンサマー」期間の限定公開のようだ。
朝の散歩で行くことにした。熱中症に気をつけるよう心がけてなるべく日陰を歩くことにし、気温の低い時間帯をねらってとりあえず行くことにした。
青山墓地を抜けて行くのだが、乃木坂トンネルにはご覧のような解説版があった。トンネル内の電気はトンネルの外壁に貼られた太陽光パネルで賄っているそうである。このトンネルは東日本大震災より前に完成しているので省エネとしては先見性があったといえる。
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乃木坂駅を抜けて東京ミッドタウンへ歩を進める。このコースの場合、六本木交差点を抜ける事なくミッドタウンにいくことができるので、人ごみをさける面ではいいと思う。目指すゴジラはミッドタウン西広場の奥の芝生広場にあるようだ。公園を下っていくと、小川の脇には朝顔が花を咲かせている。色とりどりの朝顔が咲くようだ。
そして目の前にゴジラのオブジェが出現した。かなり大きい!9時半過ぎであったので見物客はほとんどいない状態で、ゴジラファンと思しきサラリーマン風の人が熱心に写真を撮っていた。彼から見れば私もゴジラファンだろうと見えたのであろう。
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スペシャル演出として午後7時から30分おきにイベントが開催されるようだが、たぶん、背びれなどに埋め込まれたLEDが発色するのではないかと思った。大迫力でありゴジラファンには一見の価値はあると思う。
さて午後は1時からBSプレミアム映画「ゴジラ対メカゴジラ」を見た。この作品はゴジラ生誕40周年、20作品目だそうだ。メカゴジラも当初の設定とは異なり、日本が英知を結集して作り上げたものとして描かれている。また三枝さんという超能力を持った自衛官も現れ、ゴジラの動向を探る新しい試みもされていた。
ベビーゴジラをめぐる争いが映画の基軸となっているが、主人公3人が語る「この子の出現は6500万年遅かったのか、はたまた早かったのか」は人類に対する問いかけなのかもしれない。核(原子力)をもう少し真摯に考えるべきではないかと改めて感じた映画であった。
参考URL → ミッドタウンミーツゴジラ
参考URL → ゴジラVSメカゴジラ
参考URL → ゴジラ
by motokunnk | 2014-07-25 08:23 | 日記 | Trackback | Comments(0)

散歩を楽しく/初めての東京ミッドタウン訪問

4日の日曜日、東京ミッドタウンを訪れた。何を隠そう竣工オープンして5周年というのに前は通過したことはあったが、中に足を踏み入れるのは今回が初めてである。
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ちょっと、東京ミッドタウンについての歴史を紐解くと、この土地はもとは国有地であった。懐かしい人もいると思うが旧防衛庁の敷地であった。それが再開発計画の遡上にのり、2001年に三井不動産グループが落札して東京ミッドタウンとして2007年に開業したわけである。
さて我が家からはバスに乗っていくのが近道だが、散歩がてら行こうと思い、恵比寿駅から地下鉄で行くことにした。久しぶりの六本木駅は朝10時直前ということもあり混雑しているという雰囲気ではなく、人を意識せずに歩ける環境であった。そして驚いたのは、地下通路で東京ミッドタウンまで続いていることであった。
最近の再開発エリアは駅から直結というのがウリのようである。ミッドタウンより数年前に開業した六本木ヒルズもそういえば六本木駅と直結していたことを思い出した。自宅に帰ってからネットで調べたのだが、前を走る外苑東通りの地下を大江戸線が走っており、六本木の交差点地下に六本木駅があるのであれば、地下通路も整備されて当たり前であることがわかった。どうも都心の地下鉄はどこを走っているかよく把握できていないようだ。今度地下鉄マップをよく見て、最短経路を覚えておくようにしよう!
話がまたまた横道にそれてしまったが、地下通路を歩いて「東京ミッドタウン」に到着した。日曜日ということもあり、オフィス従業員はほとんどおらず、通常であれば多数の人が利用するであろう「動く歩道」もほとんど占有状態であった。
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本来、ミッドタウンに来た目的である「デザインタッチ」の「Tokyo Midtown Award」はちょうど地下で受賞作品が展示されていたので、すぐに見つけることができた。
まずはデザインコンペ受賞作品が目に入った。テーマは安心でグランプリにはお守りカイロが選ばれていた。受験シーズンを乗り切るには絶好のアイテムのような気がした。
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目に留まった作品に「心安寺石庭」がある。京都にある石庭をモデルにしたようで、個人で石庭の静かさを感じることができる作品は素晴らしいと思った。そして素材が落雁というところも気に入った理由である。これだと食べることがもったいないが。
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デザインコンペの作品は小物であるが、アートコンペの作品は結構な大きさである。こちらのグランプリは、『「中にいれておくれ」と屋外はいった』という作品であった。
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作家のコメントがふるっていた。ぜひ実際に見て感じてほしい(コメントは参考URLにあり)。入選作ではあるが『To-kyo』に目が留まった。何の変哲もないおおきな浮き輪のようであるが、色あいが何ともいえないこわさを感じてしまった。作者のコメントにもそれがでているようであった。
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プラザ中央には世界のデザイン賞いろいろと題した展示があり、こちらも小物であるが日常品が展示されていた。日本ではグッドデザイン賞であるが、ドイツにはiFデザイン賞、レッド・ドット・デザイン賞の2つがそしてアメリカにはIDEA Awardがあることを知った。工業デザインも奥が深い!
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プラザのエスカレータを利用して1階にあがり、マツダの企画展示をみることにする。11月20日発売予定といわれる「アテンザ」の赤のセダンとグレーのハッチバックの2台が展示されていた。若者が見入っている姿を見受けた。若者の車離れが叫ばれているが、そんなことはなさそうである。コンセプトストーリーやタブレット端末によるカラー見本(昔は紙であった!)などあり、ICTの進歩にいまさらながら驚いた。
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1階をぶらつき、外の公園まで歩いていく。公園は檜町公園と命名されているようで、こちらは家族連れやカップルなどが気ままに散策している、一般的な日曜日の風景のようであった。この公園も「デザインタッチ」の展示会場となっており、JAGDA(日本グラフィックデザイナー協会)主催による企画展の作品が展示されている。
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まず目に付くのが稲田御影石による作品である。石を題材にした彫刻が各所に説明パネルとともに展示されていた。バクのような形をした彫刻や、町をイメージしたであろう小さな石を散りばめた彫刻などが目についた。
小川に目を転じると「笠間焼」の置物がおかれている。ちょっと見るとどれも同じように見えるが、細部は異なっていることがわかる。
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中にお賽銭のように硬貨が投げ入れられていたが、コインの量で人気投票をしているのだそうだ。
そして小川のもうひとつには瓦がおかれている。奈良時代が起源とも言われる八郷瓦にデザインを施しているそうで、各瓦それぞれにユニークなデザインが施されていた。
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こちらは前者のような人気投票は行われていないようであった。
Tokyo Midtown Awardの受賞作品は11月25日まで展示されているそうであるから、ミッドタウンに行かれた際はぜひ若きデザイナー(と思うが)の作品をみるのもいいかもしれない。
参考URL → 「東京ミッドタウン」
参考URL → デザインタッチホームページ
参考URL → Tokyo Midtown Award受賞作品説明資料(PDF)
参考URL → アテンザホームページ
by motokunnk | 2012-11-06 20:25 | 街の風景 | Trackback | Comments(0)

散歩を楽しく/神社と狛犬その17・櫻田神社

今日は朝から雨降りである。こんな日は気持ちが病んでしまうような気がする。さて先週、麻布エリアを散策した際に、六本木ヒルズ付近で神社を発見したので早速お参り方々狛犬の写真を撮ってきたので紹介する。
このような場所に神社があったとは知らなかったが、帰宅しネットで調べると由緒ある神社のようである。
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「源頼朝の命により、渋谷庄司重国が霞山(現在の霞ヶ関桜田門外)に祀ったことに起こるという。文治5年(1189)奥州征伐の奉賽として、源頼朝より30貫の田地を寄進された。この御神田の境界に桜を植えたところ、その桜が見事に咲き誇ったことから「桜田」と讃え、村の名も桜田村と称したとされる(ただし、桜田郷の名はすでに平安時代の『和名類聚抄』に見える。ともかく桜田は御田などと並んで江戸でも最も古い集落の一つであり、古くから鎮守として祀られていたことは間違いないだろう)。文明年間(1469~87)には太田道潅が社殿を再興し、太刀甲冑を奉納した。寛永元年(1624)、江戸の整備に伴い、氏子とともに霞ヶ関から現社地に遷った。江戸城桜田門は桜田郷の名に因む。また、現在の西新橋1丁目の一部(芝桜田)はかつての桜田村の一部であり、現在も桜田神社の氏子である。」
とある。(http://goshuin.ko-kon.net/touto_jinja/03_sakurada_azabu.htmlより)
そしてこの神社何と港区の七福神の寿老人を祀っているそうである。参道(といってもそれほど長くはなく、いかにも都会にある神社といった短さであるが)左にご覧のような木の板に寿老神の文字と港七福神の内という文字が読み取れる。
初詣の際に七福神の話を書いたが、すっかり忘れていた。忘れたころに偶然見つけてしまう、なにやら探し物を偶然見つけたような不思議な感じがした先週の日曜日であった。
狛犬の話がおろそかになってしまったが、ご覧の1対の狛犬が本殿を守る形で本殿下の階段脇に祀られていた。
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港七福神のページ → 麻布十番商店街の紹介ページ
本ブログ内で関連する記事
七福神のある神社の紹介その1 → 神社と狛犬その5・都内23区の七福神
七福神のある神社の紹介その2 → 麻布の神社めぐり・十番稲荷と氷川神社
by motokunnk | 2011-05-29 11:58 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback(4) | Comments(0)

神社と狛犬その15・乃木神社

先日、乃木神社に行ったことは報告したが、今回は狛犬について報告する。狛犬は2対あり、どちらも参拝する人に面している。
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通常はお互いに向きあう形で顔のみが参拝する人の方向を向いているようだが、この神社の狛犬はどちらも参拝する人に向かっているのが特徴である。神社に隣接して乃木公園がある。こちらも乃木邸からつながっているようだが、震災の影響で乃木邸が閉鎖されているので公開部分のみ見ることができた。
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ちょっと気になることといえば、一般に狛犬の近くには鳥居があるか拝殿があるものだが、こちらの狛犬の場合は狛犬のみで鳥居らしきものはなかった。大正時代に鎮座したのでそういうものかと思っていたが、帰宅し乃木神社のホームページを見ると、何と乃木神社の鳥居も東日本大震災で被害を受けていたことがわかった。この鳥居は損壊の恐れがあるとのことで取り壊されていた。納得である。
by motokunnk | 2011-04-22 19:12 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

乃木という名称がつく地名

港区青山界隈には乃木という名称がつく地名、施設が多数存在する。勿論由来は明治の偉人と言っていい乃木希典にちなんだものである。今日はそんな乃木希典についてしらべてみることにした。
乃木希典について私が知っていることと言えば、明治時代の軍人で日露戦争で日本を勝利に導いた人物、また明治天皇の崩御に従って夫婦で殉死したことなどである。乃木希典については、インターネットで検索するとかなりのページがヒットするのでここで説明するよりはそちらを見てもらったほうがよいと思う。
ただウィキペディアには乃木に対して世界的評価の一文が書かれていた。
「旅順攻囲戦は日露戦争における最激戦であったから、乃木は日露戦争を代表する将軍と評価され、その武功のみならず、降伏したロシア兵に対する寛大な処置もまた賞賛の対象となり、特に、水師営の会見におけるステッセリの処遇については、世界的に評価された。
乃木に対しては世界各国から書簡が寄せられ、敵国ロシアの『ニーヴァ』誌ですら、乃木を英雄的に描いた挿絵を掲載した。また、子供の名前や発足した会の名称に乃木や乃木が占領した旅順(アルツール)の名をもらう例が世界的に頻発した。
加えて、乃木に対しては、ドイツ帝国、フランス、チリ、ルーマニア及びイギリスの各国王室または政府から各種勲章が授与された。」
坂の上の雲で、乃木の活躍が書かれているが、やはり日露戦争での活躍が乃木希典の地位を確固たるものにさせたのかもしれない。
またその後学習院院長にも就任し次の句を残している。
「いさをある人を教への親として おほし立てなむ大和なでしこ」
さて乃木希典の人となりはこの程度にして、まずは東京メトロ「乃木坂駅」を降りてみる。
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一番出口から地上にでると乃木神社が目にはいる。境内に入るまえに、このプレートがめにつく。乃木坂の由来について説明されたプレートである。もともとは幽霊坂と呼ばれていた。大正元年(1912年)9月に乃木大将の殉死を悼み、赤坂区議会が改名を議決したことに由来すると書かれていた。没後この名称になったことがわかる。さて乃木神社にお参りすることにする。この神社も大正時代に旧乃木邸敷地に建設された。
太平洋戦争時に一度焼失したが、その後に再建され現在に至っているという。
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境内社は「赤坂王子稲荷神社」「正松神社」。いずれも乃木希典に関連した神社である。
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また拝殿横には、「さがれ石」という国家に一文がある石がおかれていた。宝物殿(といっても1室である)には乃木希典ゆかりのものが展示されている。
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乃木神社には旧乃木邸も見学できるようになっているが、ここでも東日本大震災の影響で保守点検作業のため、一般公開を中止していた。
さて、乃木坂トンネル(トンネルは車専用で歩行者用は横に通路が併設されている。その途中にこのようなプレートがあった。
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地震の後、自然エネルギー活用が叫ばれていることを知っていたかのようなプレートである)を超えて、青山墓地方面へ歩き乃木希典の墓を見て帰宅することにする。青山墓地には乃木将軍通りなるものがあり、その墓もりっぱなようである。
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これがその墓全貌である。本人が望んだのかどうかはわからないが(多分望んではいなかったと思う)、かなりりっぱな設えとなっている。1区画を独占して一族を含めた形の墓となっている。
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墓地としてははずれの方にあるので、探すときは十分注意したほうが賢明であるように思えた(あまり探す人もいないかもしれないが)。
今日のブログタイトルとは書いた内容がそぐわなかったようであるがこのあたりはご容赦願いたい。最後に我家のそばの神社にも乃木希典直筆の記念碑がある。
by motokunnk | 2011-04-17 09:01 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)

赤坂氷川神社には歴史がいっぱい

白金の氷川神社にお参りし、都内の氷川神社を巡ってみようかとの思いが芽生え、とりあえずは近場にある氷川神社をこの3連休でお参りしようと今回は赤坂にある氷川神社をお参りした。
地下鉄千代田線の赤坂駅から徒歩で5~6分ほど歩くと目指す赤坂氷川神社の参道が目に入る。参道脇には看板があり、よく見ると徳川吉宗公即位300周年記念事業のご案内とあり、新社務所建築の寄付(奉賛金というそうである)のお願い看板であった。いずこの神社も記念事業ばやりであるようだ。
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さて、赤坂氷川神社はりっぱなホームページを公開しており、由緒などを調べるのに役に立つ。
ホームページの由緒によれば、
「創立の起源は、古い書物によると、天歴5年(村上天皇 951年)武州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られました。これよりおよそ百年後の治歴2年(後冷泉天皇 1066年)、関東に大旱魃が発生、降雨を祈るとその霊験(しるし)があり、以来よく祭事が行われました。
江戸時代、幕府の尊信は篤く、八代将軍 徳川吉宗公が享保元年(1716年)将軍職を継ぐに至り、同14年(1729年)に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営、翌15年(1730年)4月26日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、28日に将軍直々の御参拝がありました。
以後十四代家茂公まで歴代の朱印状(※港区文化財)を下附され、一層の御神徳を高め、開運・厄除・良縁の鎮守神として尊崇を深められました。」
現在の位置に社殿を作り、遷宮させたのは徳川吉宗ということがわかる。それで吉宗即位300周年記念事業となることが理解できた。
現在の社殿は東京都の有形文化財指定されているとのこと、ここも文化財がたくさんあるようである。境内には銀杏の大木もあるが、これも港区の指定文化財となっていた。
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さて階段をあがり境内を見渡すと古めかしい看板がある。近づいて読んでみると、何と浅野家下屋敷跡とあるではないか、ということは瑤泉院が大石内蔵助と討ち入り前に会った場所はここなのかと感心してしまった。
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帰りには何と南部坂を下り六本木から帰宅したので大石内蔵助気分を満喫したのである。(帰宅して、ネットで調べると、史実には「南部坂雪の別れ」はなく、大石がこの下屋敷を訪ねているのは1回のみだったそうである)。
また、ネットで調べていると、江戸七氷川という記載があり、赤坂氷川神社がその筆頭と書かれている。では残りの六氷川はどこなのかを調べてみると、これがよくわからないらしい。
唯一、赤坂氷川神社のホームページによれば
「望海毎談に云、氷川明神、江戸の中に七所有、赤坂御門外の社、江戸にては年久し、元大宮の近くに小呂子と云所、氷川を祀りたりし社なり、此所より遷したる所なれば、赤坂の宮居を小呂子の宮と呼びたるを、誤て小六の宮といふ、素盞男尊根の國に追せられ、手摩乳足摩乳が家に入給ふ所を、日の川上といふ所なれば、日の川上といふ詞を以て氷川と呼で素盞男尊を祭りたる神なり、大貴己命は素盞男の御子なりと申より此神は此地神の祖なるを以て、氷川の神靈には相共に祠る、世人大貴己命計を祠り申と覚へたり、(―中略―) 此外今井の盛徳寺の内の氷川の社、麻布一本松の市中の社、羽根田村にて新堀近き所の社、下渋谷にて羽根田の屋敷の社、又北の方にては上水のはたなる萬年寺山の社、巣鴨の入口なる氷川の社頭は坂より上へ見上ぐる所にして、いとかうかうしく何も氏子多く賑ふなり」
とあり、脚注に
①赤坂御門外 : 当神社遷座前のお社のことです。
②今井の盛徳寺 : 元氷川坂(現:本氷川坂)の盛徳寺(現:神奈川県伊勢原市)の敷地内にあり、当神社に勧請されました。
③麻布一本松 : 現在の麻布氷川神社のことです。天慶五年(938)源経基東征の時、麻布一本松付近に勧請しました。文明年間太田道灌ともいわれます。万治二年(1659)、芝増上寺の隠居地になるに伴い、現在地に遷座しました。麻布の総鎮守のお社です。
④羽根田村 : (調査中)
⑤下渋谷 : 現在の渋谷氷川神社のことです。明治22年以前、渋谷村は上渋谷・中渋谷・下渋谷に分かれていました。慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとあります。
⑥萬年寺山 : (調査中)
⑦巣鴨の入口 : 文京区千石の簸川(ひかわ)神社のことです。もとは小石川植物園の地にありましたが、承応元(1652)年に、徳川綱吉の白山御殿が造営されることになり、同じ地にあった白山神社と共に移転しました。簸川神社が現在地に移ったのは元禄十二(1699)年です。
と記されている。
渋谷にある氷川神社も七氷川のひとつであることがよくわかる。
狛犬の写真を撮りに赤坂氷川神社までお参りにいったが、狛犬以外の新たな発見をした氷川神社参拝であった。この他(勝海舟が住んでいた、包丁塚など)にもいろいろな発見があったので、次回以降に書き記すこととする。

この記事を書くにあたっての参考→ 赤坂氷川神社ホームページ
by motokunnk | 2011-01-08 15:58 | 神社・仏閣・城郭 | Trackback | Comments(0)